元々魂の通りに生きていた
こんにちは!ななです!本日は「元々魂の通りに生きていた」というテーマです「魂の声に従って生きる」――最近ではよく耳にする言葉ですがふと振り返ってみると、私は小さな頃からずっと魂のままに生きていたのではないかと思うのです。私は子どものころから、好き嫌いがとてもはっきりしていました。周りがどう思うかより、自分の「好き」「嫌い」が基準でした。空気を読むことが苦手で、それよりも「今どう感じるか」で行動してしまう。そんな私は、きっと扱いにくい子どもだったと思います。宿題も、やりたくないときはやりませんでした。でも、好きなことには驚くほどの集中力を発揮していました。たとえば歌を歌うこと。それから、ひとりで空想の世界に浸る時間。自分の世界に入ってしまうと、周りの声が聞こえなくなるほど夢中になっていました。当時の大人たちからすれば、それは「わがまま」や「頑固」と見えたかもしれません。けれど今思えば、それは私なりに“魂の方向”を自然と感じ取っていた姿だったのだと思います。やりたくないことを拒否するのも、心の防衛本能だったのかもしれません。私は直観も昔から強かった気がします。でも、子どもの頃の直観って、大人たちにはなかなか理解されません。「勘違い」「被害妄想」「夢見がち」と片づけられ、私自身もいつしか「自分の感覚なんて信用できない」と思うようになっていきました。親に対しても、本当は言いたいことがたくさんありました。でも、家庭の空気を乱したくなくて、我慢を選ぶことが多かったです。それでも親からすると、私は「好き勝手にしている子」に見えていたようです。心では我慢しているのに、外からは自由に映っていた――それも、魂の本質が表に出ていたからかもしれません。高校時代も、頭では「勉強しないと」と思っていたのに、心も体もまったく動かず、どうしても集中できませんでした。周りは真面目に受験モードに入っているのに、私は心のどこかで「これは私の道じゃない」と感じていたように思います。今となっては、それも魂からの明確なサインだったと納得できます。大人になってから、私は何度も「社会」に合わせようとして苦しくなりました。でも今思えば、私はずっと「魂の通りに生きてきた」人間だったのだと思います。社会のルールや期待に無理に自分を当てはめようとして、逆に心が疲弊していった。あの頃の「やりたくない」が正直なサインだったと、やっと理解できるようになりました。「頑張っている人がえらい」「普通にこなせることが大事」そんな価値観の中では、私のあり方は否定されがちでした。でも魂の目線で見れば、むしろ正直で、自然な流れだったんだと思います。自分を抑えて、苦しんで、壊れて、ようやく私は本来の自分に戻りつつあります。もう、自分の感覚を無視しない。もう、「正しさ」に自分を合わせなくていい。私は、私のリズムで生きていく。それは、ずっと昔から魂が望んでいた生き方だったのかもしれません。お読みいただきありがとうございますXもやっています!!https://x.com/nana_official35