中学校入学式、友達ともいい感じだった。
4月に、体育祭があって、そこでも、友達との友情が強まった。と思われた。5月もそこそこいい感じだった。一変したのは6月に入ってからだった。隣の席の男子が、いきなり、机を離してきた。最初は何も思っていなかった。。その日の掃除の時間、その男子と、掃除場の人たちから、整列する時間を空けられた。最初は、なんとも思っていなかった。次の日、また少し机が離されていた。その日の掃除の時間も整列する時、間を空けられ、悪口を言われるようになった。「きもい」「消えろ」「死ね」。私のことだとはっきりわかった。また次の日、昼休みに、先生に虐められてることを話した、いじめてきた人達は指導されてた。これで終わりになる。やっと、普通の学校生活が送れると思った。掃除が終わって、教室に戻ると、今まで掃除が終わると、「おつかれ〜」「今日一緒に帰ろ?」って声掛けてくれてた人達からも、声をかけられなくなっていた。その時思った、「私は、必要ないんだ。だからいじめられているんだ。」そう思った。その次の日から、保健室登校し始めた。保健室が、唯一助けてくれる場所だと思ったけど違かった。保健室の先生は、「教室行かないの?」「次の授業は行けるよね?先生も、教室まで一緒に行ってあげるから。」私が求めていたのとは、全然違かった。私が求めていたのは、「話聞くから、ゆっくりして行きな。」「何かあったらいつでもおいで」だった。保健室も、私の居場所はないんだ。と思った。カウンセリングがあると知って、カウンセリングも受けた。受けたけど、カウンセラーは、相談を聞いてくれなかった。カウンセリングを受けるたんび、聞かれるのは、「最近楽しいことありましたか?」「どんなことでしたか?」「そうだったんだぁ!!」そんなことばかりだった。学校に、私の居場所はない。不登校になった。親には、いじめられてるなんて話せなかった。でも話したくなかった。家にひとりでいるのに、人の視線を感じたり、笑い声が聞こえたり、悪口が聞こえたりした。怖かった。逃げたかった。死にたくなった。毎日がそんな繰り返しで、毎晩涙を流すようになった。そんなある日、辛さから逃げるためにODをした。楽になった。
でもあとから来るのは、吐き気だった。
そして、とうとうおかしくなり、閉鎖病棟入院。
そこは、生き地獄だった。毎日奇声は聞こえるし、毎日叫び声が聞こえてきた。怖かった。私に向かって、「死ね」「殺してやる」言われたこともあった。
ほんとに居場所がない。おかしくなって入院してるのに余計におかしくなる。そう感じた。入院して2ヶ月経っても状況は変わらなかったが、奇声が聞こえても、叫び声が聞こえてきても、何も思わなくなっていた。
私に向かって「殺してやる」「死ね」そう言われても、私は「この人は、私より今ものすごく辛いんだ。」そう思うようになっていた。
閉鎖病棟に3ヶ月入院して、退院して、思ったこと。
それは、中学・高校でいじめられて困っている子の居場所を作ってあげたい。そして、いじめによって自殺する子を無くしたい。そして、体調が悪くて、困ってる人、精神的に辛い人を助けてあげたい。
第一に、いじめによって自殺する子を無くす未来を作りたい。