韓国に旅行をしてきた。
帰国して、
海外がすきな友人へ連絡をしようとおもったが。
できなかった。
海外で私がみてきたこと。
感じたことがあまりにもうすっぺらいことのように感じたからだ。
韓国に行った。
きれいで感動した。
たのしかった。
韓国人は押しがつよかった。
主観的な感想ならば、いくらでもでてくる。
だが。
わたしの話にはそこから
まなぶことがあまりにもない。
しつこい客引きをかわす方法をおしえることはできても
しつこい客引きをすることについての理由について。
韓国人から見た日本人について。
お国柄について。
それに対する日本人の心理。
状況。
さまざまな視点をもって物事を捉えていないわたしには
そういった応用の利く答えが用意されていない。
そんなわたしの話を聞いたところで
おもしろくもないだろう。
体感して。
感動して。
経験になって。
それからどう感じとり、
どう学ぶことができて。
どう生かすことができるか。
それがほんとうに生きていくうえでの
「学ぶ」ということではないのだろうか。
おしえられている数学や英語をこなすことだけでは
人生をたのしみつくすことなど
できないのではないだろうか。
ちょっとしたことをみて
どれだけたくさんの視点を持つことができるか。
どれだけたくさんの引き出しをつくることができるか。
そこからどれだけたくさんの応用を利かせられるか。
人生は険しい。