誰もがこの身このままで仏(ブッダ)となり悟りを開くことができる!!あなたの悩みを救済し極楽浄土へ導く駆け込み寺!!

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宿命により寺院で生まれ10才で得度。
山修行を終え俗世にて教化の道へ。
その後日本を飛び出し海外教化の旅に。
密教の教えを広めるため活動する
仏ブロガー密教僧侶@法裕法師の

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青蓮華②


蓮の花が開くときには、

「ポン」という音がするといいます。


和歌や俳句には、

開花の音を詠んだものが

少なくありません。



蓮開く音聞く人か朝まだき


これは、正岡子規の句になります。

実際に花開く音がしなくても、


静かな水面(みなも)に

蓮が大ぶりの花を開かせるその瞬間、


音なき音を聞いたのが、

私たちの祖先でした。


日本人らしいその感性は、

決して失いたくないものです。



泥の中から茎を伸ばし、

鮮やかな花を咲かせる蓮華。


にごった泥に染まることなく、

気高く咲くそのすがたは、

じつに神秘的であります。


だからこそ、

俗世の欲にまみれることなく、

清らかに生きることの象徴

にもなったのでしょう。



阿難のような澄んだ目の持ち主になれば、

世の中の見え方も変わることでしょう。


正岡子規のように、

みずみずしい感性であたりを

見渡してみれば、

新しい発見がたくさん

あることでしょう。


蓮の花言葉は、

神聖」、そして「清浄」です。

南無

青蓮


お釈迦さまには優れた十人の

お弟子さまがいました。


かの有名な阿難(あなん)尊者

その一人です。


常にお釈迦さまのお側につかえ、

尊い説法をもっとも多く聞いたことから、

多聞第一(たもんだいいち)

と称されているほどです。



阿難尊者の功徳をたたえる語り物には

「顔は清らかな満月のようで、

目は青い蓮華のようだ」

と記されています。


けがれのない阿難尊者の澄んだ瞳が、

青い蓮華にたとえられております。



仏教の経典に説かれるパドマは赤い蓮華で、

プンダリカは白い蓮華です。


そしてウトパラと呼ばれるのが

青い蓮華にあたります。


ところがですが、不思議なことに、

インドには青い蓮華はありません。


それどころか、世界中のどこを探しても、

青い蓮華というのは見当たりません。



じつは、どうやらこの青い蓮華というのは、

蓮(ハス)の花のことではなくて、

睡蓮(スイレン)のことだったようです。


熱帯睡蓮の仲間には、

青い花を咲かせるものがあり、


専門家によると、

ステラータという種類が、

経典に登場する青い蓮華に相当する

といいます。



美しい流線型の花びらと、

その涼しげな淡い青い色は、


まさに仏さまの半眼(はんがん)

のまなこを思わせます。



ところが、わが国には青蓮(しょうれん)

と呼ばれる蓮があります。


つぼみの外側こそ淡い緑色ですが、

開くと花は白い色をしております。


この白い蓮の花を青蓮(しょうれん)

と名づけたのは、

青い蓮華を求め続けた人々の篤い信仰心

のあかしだったともいえるのでしょう。

南無

説法


もうすぐお盆ですね。


お盆でご先祖さまのお帰りを迎え入れる

精霊棚(しょうりょうだな)には、

夏野菜で作ったナスの牛と、

キュウリの馬を飾(かざ)ります。


ナスキュウリがご先祖さまの

送迎用の乗りものとなります。


「ご先祖さまに少しでも早く戻ってほしいから

お迎えは馬で、

ゆっくり帰ってほしいから

お送りは牛で」


というのは有名ですが、


「ご先祖さまは馬の背に乗って、

荷物は牛の背に載せて」


という伝えなど、

さまざまな伝えがあるようです。



最近は、出来合いのお盆飾りも

売られていますが、

夏の思い出として自分で作ってみるのも

楽しいものです。


一番簡単な作り方は、

キュウリやナスにオガラをさして、

足にすれば完成です。


足は割り箸などで代用してもいいでしょう。


足の長さをうまく調整すると、

より牛や馬のようになります。


さらに工夫して、小豆(あずき)を

目にしたり、


トウモロコシの毛やネコジャラシを

シッポにしてもよいですね。


どうぞ、ご実家でお盆を迎えられるなら、

自分なりの作りかたに挑戦

してみてはいかがでしょうか。




追伸:

最近では、お盆休みを利用して、

ご先祖さまと過ごす時間にはあてず、

お仕事に明け暮れていたり、

旅行へ出掛けられる人も多いですね。


しかし、ご先祖さまがあっての

自分なのですから、

極力、

ご先祖さまと過ごす時間を大切に、

優先してさしあげてください。


旅行やお仕事をどうしても

変更できない場合などは、


お盆を迎える前にお墓参りをして、

ご先祖さまに事情を説明しましょう。


そして、お仕事先でも旅行先でも

ご先祖さまを思う心を欠かさないように

しましょう。


お先祖さまを大切にすることで、

気持ちよくお仕事もできますし、

旅行もできますよ。

南無


慈悲


いきなりですが、

あなたには友達はいますか?


「いる」という人は、

その友達はあなたにとって、

本当に気持ちが通じ合える友達でしょうか?


「いない」という人、

なぜ友達がいないか

考えたことはありますか?



おそらく、

いろいろな答えがあるでしょう。


すごくいい友達に恵まれている人

もいるでしょうし、

そんなでもない人

もいることでしょう。


友達がいなくて悩んでる人

もいるでしょうし、

反対にへっちゃらな人

もいることでしょう。



わたし法師は、あまり友達が

多いほうではありませんでした。


中学校に入ってからの、それ以降は、

重度の登校拒否者でありまして、

ほとんど学校にも行かず

友達は全くいませんでした。


本当に気持ちが通じ合えるような

友達と出会ったのは、

大人になって僧侶となってからです。



本山での厳しい修行時代では、

真夏の暑い日でも、真冬の寒い日でも、

いつも同じ時間を共有し励まし合い、

沢山の苦難を乗り越えてきました。


そんな友達とも、

本山での修行を下山してからは、

お互いが別々の道を行くことになり、

ほとんど会わなくなりました。


ここ近年、わたし法師は

海外に拠点を移したこともあり、

めっきり連絡をとることもなくなりました。



その後、付き合う人脈も変わり、

友達も変わっていきました。


友達だって結構、その時その時で

変わっていくものです。

ずっと同じではありません。


みんなお互い変わっていきます。


でも、だからこそ

友達なんだと思います。



友達は自分の歴史でもあります。


どんな友達とどんな風に

その時を過ごしたか、

お互いの歴史を作りあい、

共有しあえる仲間ともいえます。


友達なしに過ごした時間は、

やはり、どこか薄っぺらい時間

だったように感じます。



人は一人では生きられない

とお釈迦さまは教えられました。


ということは、

人に支えられて生きている自分

気づくということでもあります。


それと同時に、人を支える自分

気づくということでもあります。



友達はあなたを支えてくれる

大切な人です。


それと同時に、

あなたはその人を

支えることが出来る

わけです。


友達がいるということは、

あなたを必要としている人がいる

ということでもあるのです。

南無

千手観音


前回のつづき

日本という国においては、

私たちは親や学校の先生などから、

ほめることよりも、


なぐる蹴るなどして厳しくしかったり、

ムチを打つように厳しく指導、

命令したりして、


より高い目標にむかって

無理やりにでも頑張らせるのが良い、

と思われている時代でした。


社会が求めることも、

頑張らせることだったように

洗脳をかけられていたのだと思います。



出来ていない部分や不足している部分に

注目して、

そこを指摘・指導することが、

親や先生や社会のしてきたことです。


それはとても大切なことでしょう。


しかし、あまりにもあなたたちを

ほめてはあげることをしませんでした。


私たちがほめられて育っていないから、

人のほめ方がわからないでいるのです。


出てくる言葉といえばいつも

「ダメ、早く、もっと、しっかり、頑張れ」

です。


これでは全て現状を

否定」されている言葉ばかりで

なにも「肯定」していないですよね。



そんな教育をずっと

親や先生、社会から受けてきたのですから、

はっきり言いまして、

人間らしい人間には育つのは

難しいでしょう。


このようなメッセージを長年

受け続けていたら、

達成感も満足感も得られず、

自信なんてつくわけはありません。


「自分はいなくてもいいんだ」

と思ってしまうこともあります。



あなたが自分を好きになれるように、

あなたが生まれてきて良かったんだ

と感じられるように、


先ずは、自分で自分を

ほめてあげてください


あなたの存在を喜んでいる人が

絶対にいるのですから。

南無