今回は私がなぜ不登校になり色々と面倒くさい事になってしまったか晒していこうと思います。
私の家の家族構成は、父 母 私 弟 犬で年齢もこの順です。父一人働きで特に貧困でもなく普通よりやや上くらいの家庭でした。
幼稚園と小学校は普通に通えていて自分で言うのもあれですけど優等生でした。弟とはとしごです。
弟は幼稚園は行きたくないと駄々をこねて遅刻で行き、小学校は一年生の時に行きたくないと駄々をこね、吐いたりしながらも言ってました。一年生の間は母と一緒に行ってたりもしましたが2年生から普通に行けるようになりました。
小学校の間は部活ではきょうだい揃って合唱部に入り私は部長もしました。優秀な成績を残し県大会で落ちていたところから全国大会まで上り詰めました。
中学校では私は吹奏楽部で弟は帰宅部でした。
私は一年生の時学級委員をやっていて、友達も多い方で名前の知らない人からも声をかけてもらうくらい人柄もよく、吹奏楽も一年生ながらもコンクールメンバーになり、とても楽しかったのを覚えてます。
私の学校では合唱コンクールがありクラスごとに発表するものでした。その頃からストレスで体重が徐々に減っていきました。
ストレスの原因と思われる事件
1、合唱コンクールのピアノが決まらない。
2、意識がハッキリしなくなり色々なヘマをする。
3、胃が働かなくなり吐いてしまい先生に怒鳴られる。
4、母の勘違い
5、半沢直樹のマネ
6、父の悪戯
この様な事件があり私はトドメを刺され学校に行かなくなりました。一つ一つ紹介します。
1のピアノの奏者が決まらないのは結構きつかったです。
周りのクラスが練習を始めている中、曲も決められず結局ギリギリになってピアノが決まりクラスの士気も下がり残念な結果に終わり私が責められました。
これが2に繋がり段々、学年で頭が良い方だったのが下落して、自分の名前の漢字も書けない時がありとても焦ったのを覚えてます。
クラスに配るプリントなども何をすればいいのかわからなくなりずっと配れませんでした。
3の時でとうとう私は保健室に入り浸りクラスに行かなくなりました。朝学校に来たらお腹がとても痛くなって吐いたり蹲って動けなくなったりしました。早退して帰ったりすることも多くうちからも出れなくなりました。
4の母の勘違いは段々と不登校になる自分を見て半分ヒステリックになり学校に乗り込みいじめなどがあると私が言ったと言いに行きました。確かに言葉の強い子はいましたが、いじるくらいで私はあまり気にしてなかったです。母が乗り込んだせいでいじめてもいない子が私に謝ることになってしまいました。私の友達も大勢謝り母が納得するまで謝りました。私はもう何も考えず何も悪い事をしていない子が謝るのを見て納得している母と先生たちがとても憎かったです。
5の半沢直樹は先生達が私に土下座をしてきたことです。今説明すると結構カオスな状況だなと思えます。
先生が1人ずつ三人土下座して私が学校に行かなくなったのは自分達のせいって謝ったのですが1人土下座してるときにもう2人の先生が大笑いしていて本当に意味がわからなかったです。これに関しては謎。
6の父の悪戯は私が喋れなくなったのをいいことに性的なことをしてきました。それだけです。
まあ色々あり活発で明るくお喋りな子から
一日中ベットから動かず食事も大体吐いて何も喋らなくなりました。ここまでが2年生になる頃までです。
2年生になる頃は悪戯もなくなり母も弟に期待する感じで私の部屋に誰も入らなくなりました。
弟は帰宅部で特に委員もやらず勉強も下の方でした。
そして1年生の秋頃には行けなくなりました。
ヒステリック発動します。
常に怒鳴る母と元々怒鳴る父、気が狂いました。
弟は死にた〜いくらいでずっとイヤホンで音楽を音漏れするほどの音量で聴いてます。
私は自殺しようと思いネットで自殺の方法や事故が多い場所などを調べリストカットが癖になりました。
首を吊ったら紐が切れてしまいダメでした。
そこで行き着いたのは食べない自殺
精神も安定して体重も軽くなり嬉しいことしかありませんでした。
ですが我慢して我慢していた糸がプツンと切れてしまい恐ろしいほど食いまくりました。体重が増えるとどんどんブスになり醜形恐怖症っぽくなり鏡を全部見ない生活をしました。
結果
中一 53kg
中ニ 39kg
中三 80kg
で肉割れが痛くて身体が洗えなくなりました。
今回はここまでにしようと思います。
それでは
私の家の家族構成は、父 母 私 弟 犬で年齢もこの順です。父一人働きで特に貧困でもなく普通よりやや上くらいの家庭でした。
幼稚園と小学校は普通に通えていて自分で言うのもあれですけど優等生でした。弟とはとしごです。
弟は幼稚園は行きたくないと駄々をこねて遅刻で行き、小学校は一年生の時に行きたくないと駄々をこね、吐いたりしながらも言ってました。一年生の間は母と一緒に行ってたりもしましたが2年生から普通に行けるようになりました。
小学校の間は部活ではきょうだい揃って合唱部に入り私は部長もしました。優秀な成績を残し県大会で落ちていたところから全国大会まで上り詰めました。
中学校では私は吹奏楽部で弟は帰宅部でした。
私は一年生の時学級委員をやっていて、友達も多い方で名前の知らない人からも声をかけてもらうくらい人柄もよく、吹奏楽も一年生ながらもコンクールメンバーになり、とても楽しかったのを覚えてます。
私の学校では合唱コンクールがありクラスごとに発表するものでした。その頃からストレスで体重が徐々に減っていきました。
ストレスの原因と思われる事件
1、合唱コンクールのピアノが決まらない。
2、意識がハッキリしなくなり色々なヘマをする。
3、胃が働かなくなり吐いてしまい先生に怒鳴られる。
4、母の勘違い
5、半沢直樹のマネ
6、父の悪戯
この様な事件があり私はトドメを刺され学校に行かなくなりました。一つ一つ紹介します。
1のピアノの奏者が決まらないのは結構きつかったです。
周りのクラスが練習を始めている中、曲も決められず結局ギリギリになってピアノが決まりクラスの士気も下がり残念な結果に終わり私が責められました。
これが2に繋がり段々、学年で頭が良い方だったのが下落して、自分の名前の漢字も書けない時がありとても焦ったのを覚えてます。
クラスに配るプリントなども何をすればいいのかわからなくなりずっと配れませんでした。
3の時でとうとう私は保健室に入り浸りクラスに行かなくなりました。朝学校に来たらお腹がとても痛くなって吐いたり蹲って動けなくなったりしました。早退して帰ったりすることも多くうちからも出れなくなりました。
4の母の勘違いは段々と不登校になる自分を見て半分ヒステリックになり学校に乗り込みいじめなどがあると私が言ったと言いに行きました。確かに言葉の強い子はいましたが、いじるくらいで私はあまり気にしてなかったです。母が乗り込んだせいでいじめてもいない子が私に謝ることになってしまいました。私の友達も大勢謝り母が納得するまで謝りました。私はもう何も考えず何も悪い事をしていない子が謝るのを見て納得している母と先生たちがとても憎かったです。
5の半沢直樹は先生達が私に土下座をしてきたことです。今説明すると結構カオスな状況だなと思えます。
先生が1人ずつ三人土下座して私が学校に行かなくなったのは自分達のせいって謝ったのですが1人土下座してるときにもう2人の先生が大笑いしていて本当に意味がわからなかったです。これに関しては謎。
6の父の悪戯は私が喋れなくなったのをいいことに性的なことをしてきました。それだけです。
まあ色々あり活発で明るくお喋りな子から
一日中ベットから動かず食事も大体吐いて何も喋らなくなりました。ここまでが2年生になる頃までです。
2年生になる頃は悪戯もなくなり母も弟に期待する感じで私の部屋に誰も入らなくなりました。
弟は帰宅部で特に委員もやらず勉強も下の方でした。
そして1年生の秋頃には行けなくなりました。
ヒステリック発動します。
常に怒鳴る母と元々怒鳴る父、気が狂いました。
弟は死にた〜いくらいでずっとイヤホンで音楽を音漏れするほどの音量で聴いてます。
私は自殺しようと思いネットで自殺の方法や事故が多い場所などを調べリストカットが癖になりました。
首を吊ったら紐が切れてしまいダメでした。
そこで行き着いたのは食べない自殺
精神も安定して体重も軽くなり嬉しいことしかありませんでした。
ですが我慢して我慢していた糸がプツンと切れてしまい恐ろしいほど食いまくりました。体重が増えるとどんどんブスになり醜形恐怖症っぽくなり鏡を全部見ない生活をしました。
結果
中一 53kg
中ニ 39kg
中三 80kg
で肉割れが痛くて身体が洗えなくなりました。
今回はここまでにしようと思います。
それでは