徒然名夢子 -25ページ目

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

新潮日本古典集成別巻 三
南総里見八犬伝第六輯
巻之三

(この2 ここから)

 その頃、粟飯原首胤度(あいはらおふとたねのり)は、その日の申の刻には、すでに八、九里の路を来て、杉門(すぎと)の里の付近にある、並松原を通り過ぎていたところ、後方から聞こえる蹄(ひづめ)の響きに、何気なく振り返ると、思いもしていなかった籠山逸東太縁連(こみやまいつとうたよりつら)が、鞭を揚げて招きながら、
 『やぁやぁ、粟飯原殿、止まってください』
と呼び掛けながら、瞬く間に追いついてきて、馬よりひらりと降り立った。胤度はまず従者に下知して、その馬を労らせて、縁連には腰に付けていた薬籠の薬を与えて、追いかけて来た理由を尋ねると、縁連はしばらく呼吸を整えて、
 『これは殿の御命令です。殿は先程一大事であると仰って、連れ戻せとの御命令です。急ぎ引き返してください』
と言うと、胤度は異議も無く、
 『それは何事かと知ることは出来ないようですが、遠路を厭わず、さらに貴方を寄越したという事は、大方ならぬ一大事なのでしょう。さあ、お連れください』
と言い終わると、そのまま踵を返すと、胤度の従者達は、縁連が乗り捨てた馬を牽(ひ)いて、元来た道へ皆々同様に帰ると、縁連は胤度と雑談しながら、道を急いでいたが、この日も既に黄昏てしまった。そこに、縁連の従者達が遅れて馳せ参じる者、二人、三人と一里程の間に、三、四十人になってきて、胤度はこれを訝って縁連を見ながら、
 『貴方はなぜ、従者を数多く連れてきたのだ』
と問うと、縁連は大声で、
 『この事は他でも無い、おぬしを誅伐するためよ』
と言う間もなく、抜き打ちに煌めかせた刃を稲妻のように、胤度の肩先に切りつけると、
 『そうか、わかった』
と胤度も、刀を抜いて合わせて、二人は討ち合いし、初大刀の深手によって右手(めて)が力を失い、ただ受け流すのみになると、縁連は踏み込みながら、すでに首を切って刀の切先を押し貫いて、刺し揚げたのだった。思いがけない事だったので、胤度の従者達は、罵り騒ぐ他もなく、あたかも湯が沸騰するように、上へ下へと道を返して、周章(しゅうしょう、あわてふためくこと)は大変なありさまだった。その時、縁連は声高らかに、
 『粟飯原胤度は逆心があったので、それがしが討手を承って、このように誅殺したぞ。お前達の中に異議を申す者があれば、皆尽く首をとるぞ。静まれや』
 と叫ぶと、胤度の譜代の若党・村主金吉(すぐりきんきち)、使主銀吾(おみぎんご、村主、使主朝に古代朝鮮の姓であるため、二人は渡来人であることがわかる)は、主の首級を渡さぬと、すでに刀を抜いてかかると、中間、小者にいたるまで、逃げられないと悟り、等しく刃を振って、相手を選ばず斬りかかっていった。その中で金吉・銀吾は恩義の為に必死を究めて、左右等しく縁連を、差し挟んで攻めかかれば、休む暇も無かった。時に並松の木陰から、頬被りした一人の曲者が、忽然と現れて、道の辺(ほとり)に捨て置かれていた嵐山の尺八と小篠落葉(おささおちば)の両刀を手早く箱から引きだして、小脇に抱いて逃げようとした。その隙を胤度の槍持が遥かにこれを見て、粒用に走り来て、
 『曲者、待て』
と呼び掛けて、槍をひねって突こうとすると、曲者は、持っていた三種の宝を後方へパッと投げ捨てて、巨刀を抜いて槍を受け止め、逆に押し返して、丁々発止と戦った。その間に、また木陰から頬被りした奇怪な賤婦(しずのめ、貧しい風袋の女性)が転がるように走り出て、笛と刀をかき集め、もとの木陰に隠れると、怯まず戦っていた曲者は、槍の蛭巻(ひるまき、槍の柄に巻かれた革や金属)を断って(槍を持てなくなる)、返す刀で槍持を切り倒し、その血煙に、夕映えが残る王莽時(おうまどき、おうもう、前漢末に平帝の死後、自ら摂皇帝につき、次に真皇帝となり、国を奪取し新と号した。この期間は短く反乱軍に敗れ、後漢が成立した。ゆえに夕暮れの暗くなるまでの短い時間を指す。逢魔時とも)に木陰から出てきた賤婦と目をあわせて微笑んで、
 『造化精妙(しあわせよし、ぞうかせいみょう:造化=天命による幸運、幸せの意味、精妙=極めて細かく巧みであること)』
と言うと、夕暮れに紛れて、二人揃って逃げ失せたのだった。


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