チェックは続く。
私は亡くなった長男を見送る時に夫と共に優大の魂を感じた。そして魂からのメッセージも受け取った。夫が見たのはとてもはっきりした映像だったので、それがなんであったのか、お経を上げて下さったお寺の住職に聞いてみたのだ。すると住職は「私には見えませんが、それはラジオの周波数のようなもので、チャンネルを合わせられる人もいるんでしょうな~。」と。何かを証明するような答えではなかったけれど、二人でとても納得して帰った。そもそも見えないものばかりのこの世界で、たったひとつの現象や、見えないものについて証明しようとすることなんて本当は意味がないのだろう。私の魂がやりたいことは、愛することと許すこと。意味などない、条件もない、何も分け隔つもののない「無条件の愛」というものを知ること。だから、私の人生にはいくつかの、苦しみや怒りや罪悪感や悲しみがわきおこる出来事があった。その度に、愛そう、許そう、癒そう、としてきた。生きにくくて、投げ出したくなって、無意味に思えて、それでも「愛したいわたし」がいつもいた。そんな私のこの人生の地図、今まで歩んできた道のりの意味、それがわかった時、そこにはただ感謝しかなかった。「あぁ、愛するためにうまれたんだ。すべて与えてもらっていたんだ。」そう心から思った。誰もが魂の目的をもっているとしたら、あなたはどんな人生を描きたい?どんな目的にも共通すること、それは・・・喜びをもって生きること。誰かと比べて物質的に不自由であっても足りないことがあっても、成功してもしなくてもそんなことは関係なくて。「大切なのは心からの喜び。」そんなことを思いながら、桜をながめる今日この頃・・。