小さい時 宗教にハマる大人が不思議だった。隣の家の人が良く我が家に「より良く生きるために」と勧誘にきていた。

なんとなく不気味さを感じた。


中学の時 他人の先生が遅刻する事が増えてやがて先生を辞めてしまった。風の噂だとお酒を飲まないと「いてもたってもいられない」ほどアルコール中毒になり、入院しているらしい。なんとなくだらしなく思った。


社会人になり先輩にジャニーズのライブに誘われた。家賃と食費以外の給料の全部をジャニーズの推しに貢いでると楽しそうに言った。

おにぎり1つ頬張りランチ代を節約してる姿に違和感しかなかった。


やがて中年になり私の周りは結婚する人と、しない人で二分化されてきた。

結婚した人は家庭が生きがいと言い

子供を産んだ人は 子供が生きがいと言い

独身者は「生きがい」を探したり 

そんな私も成長と共に何かにハマったり、縋ったり、生きるためにお金や時間を惜しみなく使った




子どもの時「大人はなぜ1人で立って居られないのか不思議だった。」


大人は立っていられるように足を支えてくれる「何かに」時間を使い 人生を浪費し、お金を注ぐ。

しかも、それを誰かに勧めて輪を作ったり、共有したり 立ち続けられる方法を教え合う。大人は皆 揃いも揃って心を強く持ち自分を支える事が出来ない存在なのかと。大きく万能に見えて弱いのかと。

子ども心に不思議だった。



それから私も大人になった。分かってしまった


自立とは何かに依存することだという事を。


大人になってから死ぬまでの莫大な時間を1人で立ち続けるのは苦痛なのだ。自分とは統率のとれた存在のようでそうではない。

お腹が空いてるのに時間に縛られ食べられなかったり、眠いのに仕事で起きなくてはならなかったり 寂しくてたまらないのに何事もないように夕飯の買い物をする

ずっと握っていたかった触り心地の良いぬいぐるみを離して硬い靴を履く

怒鳴りつけたい気持ちを抑えて、冷たい目線を送る

こんな自分じゃないのに、こんな自分のフリする

能力以上の事を出来るふりをする


大人になってから、自分らしい自分はいない。だから依存するのだ。依存先では自分らしく自由で居られるから。

依存先での自分のために生きる事を頑張れるから。


自立とは 生きていなくちゃ出来なくて 自立とは依存すること

依存先が沢山あれば、より自由が増える事を感覚的に分かっている大人達は、自由に生きる方法を誰かの共有する。


自立とは他者や物、あらゆるものに依存している状態のこと。決して 自立とは自分だけで立っている事ではない。