去年は激務で帰れなかったから
2年ぶりに過ごせた実家での年末年始。
癌摘出手術後の母との再会。
当時は連絡を受けてからの数週間、
離れた母の容体と、父のメンタルに
心張り裂けそうな中で毎夜泣いてたけれど
無事手術を終え、やっと会えるに至った。
それまで全然平気だったのに、再開直後、
ママの方からハグしてくれて、
ギリ堪えたけど、ママの顔が見えないくらい
目が涙でいっぱいになった。
変わらない実家。
パパとママ。
甥、姪、兄姉弟、義姉、義妹、猫。
年末年始がスタート。
大晦日はテーマパークへ。
雪遊びして、アイススケートして、
夜はこちらで用意した蟹で鍋と焼きを。
並べて隣に関西風すき焼き。
年越しそばを頂き迎えた2017年元日。
毎年バスをチャーターして
お泊まりコースでの元日を組んでたのが
これまでの主だったけれど、
今回は義姉と義妹が台所のがお世話を
交代でずっとしてくれながら、
全員揃った家族で迎えた年越し。
懐かしくて温かくてみんなとの距離が近くて、
なんだかすごくうれしかった。
変な表現だけど、
母が体力的に歩き回れないお陰といった感じ。
元旦朝からは
おせち料理、豊富、お年玉、初詣。
繰り返すけれど、
すごく懐かしくて私はとても感激してた。
その夜、甥姪が寝静まった頃、
パパとママが子供達を集め
話し合いの場が持たれた。
ママの容態の報告、共有と、
これからの治療方針。
そして、万一のことを考えてのお墓の話。
▼ママの容体の報告、共有
ずっとママが避けてきた健康診断でのX線。
たまたま今年は撮ったようで、
そしてたまたま見つかった大きなシコリ。
すぐさまPET検査で疑われた「肺腺癌」。
11月末日、朝9時からの摘出手術。
がんのステージはⅠB期で
転移とかが無いのでとりあえずは
手術療法になるとのことだった。
5年生存率は80%ほど。高いほうだと思う。
左の肺の下葉を取り除き
上葉にもかかっていれば少し取り除くようだ。
あとは、先生の〝腕〟と本人の〝気合〟で
望んだオペ。
無事成功。
この時は、ほんとに居ても立っても居られなくて
>すぐ行く、いや来るな。
>でも行きたい、いや本人の希望だ来るな。
こんなやり取りをパパと猛烈に繰り返してたのを今でも覚えてる。
▼これからの治療方針
腺に発見されていたことから、
レントゲンでは映し出されない癌が存在している可能性があるということから、
今後は抗癌剤投与療法に踏み出すとのこと。
今月(1月)から、1週間連続投与を4ヶ月連続。
もっと説明すると、
今月1週間投与し続けて3週間の休憩、
来月1週間投与し続けてまた3週間の休憩、
それを4月まで、計4セット。
母の持病である喘息というハンディーを抱えての投与。現在左の肺はすでに下半分が無い。
抗癌剤の作用で髪も抜けるかもしれない。
未知の後遺症との戦い。
1番懸念するは、癌の細胞分裂を止める抗癌剤の作用で働いてしまう白血球の細胞分裂の抑止減少。
どんどん新しく生まれてくる細胞の動きを止めるのが抗癌剤。
よくなるためとはいえ、
不安でしか無い未知の戦いが始まるというわけ。
普段からおしゃべりが大好きで
少しは静かに!なんてツッコんできた
そんな元気印の母が、当たり前だった。
その光景はしばらく見ることは無い。
▼お墓の話
桜葬 パパの希望
お墓 ママの希望
海葬 パパの検討中
パパとママは、まだ双方で希望が分かれていて
子供達への将来の負担にはなって欲しく無いと、その上で意見が聞きたいと言ってきた。
わたしは、とにかく頭が大変でずっと涙が止まらなくて
結局感情論だけで終わってしまった…
なんだろう… まださ、
こんな近くにパパもママもいるのに
お墓の話をしてるってなんなんだろう…
どんだけ冷静を努めても涙腺が許してくれなかった。兄弟たちのそれぞれの意見はこう。
兄
遠方ゆえ、定期的な墓管理は現実的に厳しい。
姉
再婚願望はあるから兄弟の意見を尊重したい。
弟
兄弟との集まりは継続したい お墓については今後改めて検討するので、都度アウトプットするので最終判断(親の希望)を聞かせて欲しいという流れでどうかと提案。
そして私
やっぱり泣きっぱなし。
希望としてはパパママとの関東での同居。
私がお給料を入れ、ママの入院時は家事を担当するし、ママが亡くなっても
パパの側で暮らし、とにかく一緒にいたい意図。最後にサーフィンに行けなくなってしまう海葬はやめて欲しいと伝えた。
弟の意見通り、
これからは兄と弟が随時アウトプットして、
親と相談、のちに親が最終判断をする
という流れに決まり、話し合いは終息。
ママも、
そしてパパも、
これから頑張り続ける日々が始まる。。。
お正月2日目。
昨夜の夜更かしに皆、眠気を踏ん張りつつ
本家、祖母に会いに行った。
相変わらず、寝たきりでも綺麗な祖母。
「ご無沙汰しています」
祖母宅では、約20年ぶりの従姉妹と偶然会い、
タイムスリップのような違和感とともに
お互いの近況を話し合い祖母宅を後にした。
この後は、東京に戻る予定で、
その帰路、最寄り駅までは
パパが私を車で送ってくれた。
すっかり暗くなった地元の景色を見ながら
私は、11月のママの手術前にやり取りしていたパパとのLINEを思い出してた。
パパ「ここで2人で暮らそう」
初めて見せた、パパのぐしゃぐしゃになった弱音。ママが居なくなったらパパはここで1人で暮らすのかな…。絶対無理だ。次くるまでに説得材料を揃えよう…。
そんなことを考えながら見えた景色は、
幼い頃にはなかった高台から見える
遠くに並ぶ高層ビルの明かり。
手前には高速道路が横切り、点々と続く街灯がクロスして、なんだかお台場や、クイーンズに続くNYの夜景にも似てた。
もちろん光の数は足元にも及ばないけど、とても綺麗だった。
すると、運転しながらパパが急に話し初めて
ここの夜景綺麗でしょって。
糖尿病対策のための散歩で、この景色が綺麗で凄く楽しいんだって、そう言った。
心の中の声が聞こえたのかな…
関東で一緒に暮らす提案は
ただの私のエゴなのかな…。
パパに「ありがとう」と「頑張って」を伝えて
大きく手を振ってバイバイした。
今回の年末年始帰省、終了。
私は、家族の誰の、
こうした繊細な感情を知らずにきた。
だから、こうして緊急事態が起きた時に、
初めて色んなことを知るに至った。
家族なのに。何年も知らずに来ていた。
そういうものなのかな…。それすらも分からない。
非力で、
無知で、
未成熟で、
情けなくて、
後悔や、自己嫌悪、
いろんな感情で私は涙が止まらない。
これからどうなるんだろう。
あたしは何ができるんだろう。
どう動くべきなんだろう。
私は一体どうしたいんだろう。
帰路。マクスは涙でぐしゃぐしゃ。
2017年はじまり


