中学時代、
ただただ
”飛びぬけて野球好き”というのが
先生たちの間でも有名だった息子が
「オレ、野球楽しかったのになぁ…」
と
高校に入ってわずか2か月で
天井を見上げながら
ポロポロっと涙をこぼした姿が
わたしは長い間忘れられなかった。
いなべ総合学園野球部を
学校ごと辞める、と決めた直後に
彼がつぶやいた一言だった。
ところが、
自宅療養期間を含めた
そのわずか2か月の野球部生活が、
その後の息子の人生に与えた影響は
予想していたよりもはるかに大きかった。
例えば、
いなべ総合学園を辞めて数か月後、
(そのとき彼は県外の寮に移っていたが)
社会人リーグの仲間と一緒に訪れた
スポーツ用品店で、
いなべ総合の尾崎監督と同じジャージを
見かけた息子は
突然 激しい動悸と吐き気に襲われて
慌ててSOSの電話をかけてきたことも
あったし
彼がうつ病を発していたと分かったのは
なんといなべ総合学園を辞めた2年後だった。
やはり、引き金になっていたのは
いなべ総合学園野球部での出来事だった。
彼が飛び抜けて
前を向いて進もう、とする子だったので
その痛みの深さに
わたしたちは気付いてなかった。
この時の彼は 過食症になっていて
とにかく異常なほど食べ続け、
お腹がいっぱいでこれ以上食べられない
…という状態になっても
口に何かを入れていないとおさまらず、
ひどいときにはゴムを噛み続けていたりした。
そして、吐くわけでもないのに
体重は増えるどころか減っていく一方だった。
うつ病の診断を受けたのと同じころから
大学のオープンキャンパスに参加しはじめ、
大学野球部の監督さんとも会って
社会人リーグのチームから
ほぼ大学野球部への進学が決まる流れに
なったけれども
(高校の単位は通信で取った)
結局、彼は
大学受験直前で方向転換をした。
「子ども教育に関わりたい」という思いが
急に出てきたことと、
そしてもうひとつ
「野球部という集団に対する恐怖感が
どうしても抜けない」。
社会人リーグにいたあいだも
どうやらその違和感に耐えながら
過ごしていたらしかった。
彼自身のなかにあった、
あの飛び抜けた「野球が楽しい」の気持ちは、
いなべ総合学園の野球部にいた2ヶ月で
すっかり失われてしまっていたのだ。
いなべ総合学園を辞めてからは
わたしたちと離れて過ごしていたから
その変化に気づいてやれなかったけれども
彼という人間の9割を占めていたはずの、
いちばん好きだったものはとうに消えて、
ぽっかり大きな穴が空いていたから
だからそれを埋めるために
過食症になってしまっていたのだ。
このときはじめて、わたしは
いなべ総合学園野球部での2か月が
彼にとってどれほど深い傷になっていたかを
本当の意味で思い知ったように思う。
ーーー
そして、彼が方向転換を決めたことで
わたしの中には新たな懸念が浮かんできた。
子どもと接する仕事をしたいなら、
むしろ
このトラウマとは徹底的に向き合っておかないと
彼はいずれ
もっと苦しむことになるんじゃないだろうか?
そこで、彼と話し合った。
そうしたら、彼は
学校を辞めると決めたその日から
一切足を踏み入れていなかった
いなべ総合学園へ
「一度行ってみようと思う」と言い出した。
「尾崎監督と対面してみる」と。
---
その日はわたしも付き添った。
当時からいた教頭と、そして尾崎監督本人から
息子に対してあらためて謝罪があった。
息子からの要望で
当時の調査結果の記録を読み上げてもらったが
都合の悪い事実
(=実際にあったいくつかの出来事)
に関しては
全く記載されておらず、
それでも息子は
とても紳士的に、大人の対応をした。
「調査の内容としては、別にそれでいいです。
ただ、正直な気持ちを言うと
あのとき、 調査があって
どこの誰に尋ねられたとしても、
野球部内の人間が
絶対に本当のことを言える空気感ではなかった
と言うことだけは
はっきり伝えさせていただきます。
もし僕も そっち側の立場でいたら、
とてもじゃないけど先輩や同級生たちが怖くて
口が裂けても本当のことは話せませんでした」
「僕は今回、
このいなべ総合学園で
2度と僕のような生徒を出してほしくない、
そう思ったから
それだけを伝えるために、今日ここへ来ました。
そのことだけは、絶対に約束してください」。
尾崎監督は、その場で息子に約束をした。
「先生も、変わらないかん」
そう言って、息子と握手をした。
わたしは、尾崎監督という人を
当時はまだあまり知らなかったから
なんとなく尾崎監督のその雰囲気に
半分 騙されていたけれども
(結局、尾崎監督という人の本性は
その後さらに数年をかけてようやく理解した)
実は、息子のほうは分かっていた。
尾崎監督が変われない、ということも
外向きには良い人間を演じるのがうまいだけ、
ということも。
内側から見ている野球部員の子たちは
全員がそれを分かっていると思う、
とも言ってた。
だから、
彼自身についての感情としては
“もう自分にとっては過ぎ去ったこと”で、
監督についても他の部員についても
起きた出来事の全てを過去に置いてきていたけど
「正直、あの人(尾崎監督)が変わるのは
絶対に無理だろうと思う」
と話してた。
「ずっとあのやり方しか知らないわけだから、
変われなくても仕方ないと思う」と。
でも、このときわたしたちは
彼自身のトラウマにケリをつけるために
出向いただけなので、
正直なところ
尾崎監督がどうとか、もはや興味がなかった。
(そして、実際のところ、
このブログを通して
いまだにたくさんのコメントやメールを
受け取り続けていて
その大半は
いなべ総合学園の卒業生や
いなべ総合学園を含めた
過去の尾崎監督の野球部の教え子orご家族からで
起きていたさまざまなつらい出来事が
詳細に書かれたものはあるけれども
本気で尾崎監督をかばうような内容のものは
実は1件も届いていない。
かろうじて、
「以前よりは変わりましたよ」
「少しはマシになりましたよ」
という内容の短いコメントが、
わずか2件あっただけです。
特にここ数年は
なぜか他の高校野球部で不祥事が起きるたびに
1日あたりのアクセス数が
毎回300〜600ほどに跳ね上がっていて
今年に入ってからは 特に
コメントやメールが増えたようです)
(※そして、以前にも書いた通り、
SOSがあった際にその方の安全を守るため
このブログへのコメントは
わたしが表示する操作をしなければ
表示はされません。=他人からは見えません。
ですから、安心してください。
皆さんからのコメントやメールは
ちゃんと届いています。
ただし、わたし自身への批判は
唯一1件だけ「消えろ」というものがあったので、
コメント主のIPアドレスを
うっかり消してしまわないように
それだけはあえて表示してあります。
わたし自身は批判を食らっても構いませんが
万が一 今後
息子に嫌がらせ等が起きると困るので、
安全対策のためです。
※→その後、謝罪のご連絡をいただいてることに
先日 気が付きました。
ですのでこのコメントは削除しました。
わざわざご連絡くださってありがとうございます)
ーーー
それでも、大学に入ってから
さまざまな実習や
子どもたちとの触れ合いの中で、
やはり息子の中には
じわじわと不安が浮き上がり始めてきた。
もしかして、いつか
自分自身がめいっぱいの精神状態になったら
あの尾崎監督のように
子どもたちを殴ったり怒鳴り散らしたり
ついうっかり
そういう言動をしてしまわないだろうか、
と。
大学在学中には、野球部の監督が
部員の子たちに
「あいつ(うちの息子)を野球部に誘え」と
よく話していたらしく
(息子は 自分が行く予定だった野球部を断り
同じ大学の教育学部に入学していたので)、
実際に野球部の子から
何度も声をかけられていたけれども
息子は全く興味を持たなかった。
一方で、
勉強の方の成績は
たいして良いわけでもなかったけれども、
老人ホームへ実習に行っても
幼稚園や保育園に実習に行っても
学内にある子どもたちとのふれあい広場でも
教育実習でも
とにかく人との関わり方、子どもとの関わり方
についての息子の評価は
どこへ行っても飛び抜けて高かった。
(それこそ、老人ホームの実習後なども
「もし学校の先生を目指すのを迷ったりしたら
ぜひうちへの就職も考えてもらいたい」と
大学の先生へそんなお話があったそうだ)
おそらく、子どもと接する仕事は
彼には天職なのだろう、と
親のわたしたちもそれは感じていたけれども
彼のあのうつ病と過食症の経験から、
彼自身が持つ不安もまた
侮ってはいけないところだ、とも感じてた。
彼にとって
「子どもと密に接する指導者」
「学校の先生」
として
最後の記憶になってしまっていたのが、
あの尾崎監督で止まってしまっていたからだ。
(注:大学では、それこそ“学長を含めて”
息子は先生たちと
非常に密な関係を築いていたけれど、
大学の先生たちは
学生とは大人同士のような関係性を築くので
高校時代までとは
まったく関わり方が違うのです)
ーーー
そんなときに、たまたま
前に進むきっかけをくださったのは
まさかのあの名将、
愛工大名電の中村豪“元”監督だった。
実は、共通の知人Hさんを通して、
息子がいなべ総合学園の野球部にいた当時から
息子に起きていることを
中村元監督はリアルタイムで知ってた。
(Hさんは、
弟さんが中村監督時代の名電野球部にいて
その当時からよく見に行っていたので、
その頃から中村監督をよく知っているそう。
当時から中村監督という人は
選手の家族や兄弟にもよく声をかけていたそうな)
わたしたちが中村元監督に
初めて直接お会いしたのは、
まさに息子の中の不安が
じわじわと頭をもたげてきた大学3年時で、
息子はその日、中村元監督に質問をした。
「中村監督が思う、『いい先生』って
どんな先生だと思いますか?」
中村元監督はそのとき
ごくごく自然に、当たり前のように、
息子に答えた。
「(先生や、指導者は)
ワンテンポくらい、遅いくらいが
ちょうどいいんじゃないかねぇ…?」
「即断即決、というのは
どうも間違いを起こしやすい気がするね」。
一瞬の間を置いて、
息子とわたしは同時に「ああ…!」と
妙に納得の声をもらした。
そしてその直後、息子は
「なんだろう。
なんでかわからんけど、涙が出る」
と言いはじめて
何回も何回も、涙をぬぐった。
わたしも、同じ。
わたしはそのとき
息子がいなべ総合学園野球部で
いちばん最初に恐怖を感じた4月1日のことを
思い出してた。
「違う色の眼鏡を持っているか?」と
尾崎監督に尋ねられ
「家にある眼鏡は
もう度が合ってなかったかも…」
と一瞬考えた息子は
次の瞬間に
「聞いとるやろがーーー!!!」と
尾崎監督に大きな声で怒鳴りつけられ
恐怖で凍りついた。
その日 帰宅したときには
「大変なところに入ってしまったかも…」と
息子は顔面蒼白で、
その瞬間のことを話しながら
恐怖で涙目になった。
(でも、そんなのは
まだ天国だと言えるレベルで、
そこからわずか数日のあいだに
先輩が監督に殴られたり
同級生が吹っ飛ぶほど監督に突き飛ばされたり
そんな光景を息子は山ほど見ることになった。
そして入学して2週間後には
息子自身が自宅療養になってしまう)
あの2か月のことを知っていた
中村元監督は、
わたしたちからは
詳しいことは何も話さなかったのに
その日、息子の手を何度も握って
「本当に大変な目に遭ったなぁ。
なかなか普通では経験しないようなことを
経験してしまった。かわいそうなことだった。
だけど、あんたなら良い先生になれる。
だからがんばるんだよ。
しっかり頑張りなさい。
いい先生を目指しなさい」
繰り返し、繰り返し、
そう声をかけてくださった。
息子は帰る道すがら、
「オレ、今日、行ってよかった。
本当に行ってよかった。ありがとう」
そう言いながら運転してた。
おそらく、彼はこの日
中村元監督に実際に会うまでは
「強豪野球部の監督」という立場の人に
少なからず警戒心と不安感を
抱いていたんだろう。
それは実はわたしも同じだった。
だけれども、
さすが名将と言われるだけの豪快なお人柄の中に
「子どもへの愛情」が
何度も見えた気がした。
言葉の端々に、それがあった。
同じことを、息子も感じていたらしい。
「オレ、なんか
頑張れそうな気がする」
と
息子はこの日、そう言った。
息子が初めて中村元監督にお会いした大学3年時
---
そして、その後も
Hさんが中村元監督のお宅に
お邪魔するたび、
「あの子はその後どうしとる」
「あの子は元気で頑張っとるのか」
「あの子は最近どうだ」
と
とにかくしょっちゅう
息子のことを尋ねてくださっていたそうで
中村元監督だけでなく、
その後は奥様にもお会いすることになった。
奥様もとてもフレンドリーな方で、
お土産まで持たせてくださって
「教員採用試験に合格したら、
ぜひ連絡してね!」と。
それからは、本当に何度も
お電話をいただいた。
息子は結局、さらに方向転換をして
児童養護施設を第一希望に就活をし
昨年その就職が内定した時も、
今年大学を卒業して入社式を終えたあとにも、
「(児童養護施設とは)そりゃあいいわ、
あの子にはぴったりだ」
「良かったなぁ、あの子ならやれる」
「あの子なら頑張れる」
とにかく中村元監督は
毎度 お電話でそう言ってくださって
今日現在に至るまで
何度 連絡をいただいたか分からないくらい。
とにかくいつも、
電話での第一声は
「あの子は元気で行っとるか?」
「あの子は仕事頑張っとるか?」と
息子の様子を気遣う言葉で始まって
実は昨日も、お電話をいただいた。
昨日は、監督とも奥様とも
しばらくお話をさせていただいたけれども
お二人のどちらもが、やはり一番最初に
「あの子は元気にしとるかね?」
「仕事は楽しそうか?」
「あの子は優しい子だから。
いい仕事にご縁があってよかった」。
今ではもう、まるで
息子の成長を喜んでくれる祖父と祖母が
もう一組できたかのよう。
昨日お電話を切ってすぐに息子に送ったLINEの一部
---
そんなふうに中村元監督と
何度かお話させていただくうち
気が付いたことがある。
今でも本当に数え切れないほど
あちこちの野球部の威圧的指導が
ニュースになるけれども
そのたび、
中村元監督の口からはよく
「(選手の子が)野球を嫌いになってまうわ」
「野球が嫌になってまったらかわいそうだわ」
「そんな野球、子どもが楽しくないわ」
という言葉が出る。
中村元監督にとっては
高校野球も、中学野球も、小学生の野球も、
常に
「子ども自身が
野球を楽しんでいるか」
がいちばん大事なことのようで
なにより、中村元監督ご自身が
「子どもが楽しめない野球は、
自分も楽しくない」
と感じておられるようだ。
それで、理解ができてきた。
縁もゆかりもないうちの息子のその後の様子を
あれほどまでに毎度毎度しつこいくらいに
Hさんに尋ねられて、
奥様も昨日のお電話で
「うちでもしょっちゅう
あの子(うちの息子)のことが
話に出るんだけどね、」
と言われていたように
中村元監督の中には
子ども>野球
の意識が、存在している。
そう気がついた。
だって、
よくよく考えてみれば
縁もゆかりもない、
自分にとって何の得にもならない、
しかも
“とっくに野球からも離れた”
我が家の息子のことを
イチローや山崎武司さんほどの
名だたる有名選手を育てたあれほどの名将が、
どうしてそこまで
気にかける必要がある???
(ちなみに、中村元監督は
例えばイチローや山崎さんら、教え子の方々とは
今でも普通に交流がありますよ)
それは、中村元監督が
勝てるかどうか よりも
野球の才能があるかどうか よりも
子どもが野球を好きかどうか
子どもが野球を楽しんでいるかどうか
=子どもが幸せかどうか
のほうに
関心がある人だからだ。
わたしが中村元監督を大好きなのは、
さまざま有名なプロ野球選手を輩出した
すごい人だから、ではなく
本当に単純に
ごくごく当たり前のように
大人として
子どもの「楽しい」「好き」を大事にして
そこをいちばん気にかけてくれる人
だからだ。
そして、有名になっていけばいくほど
そこを見失っていく指導者が多いのに対して
高校野球界のレジェンド、と
言われるまでになっても
その「大人としてごくごく当たり前のこと」が
「ごくごく当たり前のこと」として
腹の中にごくごく当たり前に
どかんと存在してる人だからだ。
(※これを読んでいる子どもたちへ。
「意志が強い人」と言うのは
そういう人のことを言うんだよ。
「図太い=意志が強い!」と勘違いしてる
指導者が多いけれども
そういう間違った大人に惑わされないように)
ーーー
いつのまにか、
我が家の息子にとって
最後の記憶になっていた
「野球の指導者」
「学校の先生」
は
「同じジャージを見るだけでPTSDが発動する
尾崎監督」
から
「自分自身の人生を気にかけて応援してくれる
中村元監督」
に上書きされていって
それと同時に、
息子の目の前に再び野球が現れた。
息子の職場で、施設長から
「実は毎年 野球のリーグ戦があるんだけど
ぜひ選手として参加してほしい」との
お話があり
(入社式を終えるまで、
息子はそこに野球が存在することすら
知らなかった)
大学時代には
野球部からあれほどお誘いがあっても
見向きもしなかった彼は
2日間かけて5試合 総当たり戦の
秋の野球の大会に向けて、
今ではしょっちゅう
休みの日や仕事帰りなんかに
ひとりでピッチング練習に出かけていく。
そして、
「だいぶ感覚が戻ってきたわ!」
「オレ(野球をやめて)10kgも太ったからな〜、
昔より球が重くなったかなー笑笑笑」
「マジでさ、ようやく良い感じに
球が指にかかるようになってきたんやて!」
と
帰ってくるといちいち
嬉しそうに報告してきたりする。
数日おき、あるいは
タイミングが続く時には数日連チャンで、
ピッチング練習のときに使った帽子が
洗濯カゴに放り込まれていて
いまになって、
その帽子を干すたびに
今度はわたしの方が繰り返し思い出している。
「早く乾かして、忘れずに持たせないと
またあの子がどんな目に遭うかわからない」
「今からでも乾くだろうか、
乾燥機にかけて
早いうちにバッグに入れておいてやる方が
いいだろうか」
いなべ総合学園時代の2ヶ月間、
洗濯物ひとつとっても
毎度そんなふうに追い詰められた気持ちで
扱っていたことを。
まるで胃の中に鉛があるような、
ずーんとくる重い感覚を。
そして、それを思い出すたび
同時に中村元監督の存在が
浮き上がった恐怖をふわっとかき消していく。
「あの子なら大丈夫だわ」
「あの子ならやれる」
縁もゆかりもなかったはずの、
雲の上の存在だったレジェンドが
無条件に(そして無邪気なほど純粋に)
なんの裏もなく息子を応援してくれる
その愛情の深さに、
ほぅっと大きな息をつく。
ーーー
たったひとりの大人の存在が、
立ち上がれないほどに
子どもの人生に足を引っ掛けて転ばせたり
あるいは
倒れた子どもの手を取って
「大丈夫、やれるぞ」と
その背中を押してくれたりする。
どうか、
我が家の息子と同じような思いをした
(あるいは 息子よりももっともっと
過酷で引き裂かれるような思いをした)
たくさんの子どもたちと
そのご家族の方々に
人や環境に怯えなくて済むような日々が
訪れますように。
辛い経験をしたのと同じくらいの
素晴らしい出会いがありますように。
その過去の記憶の、
何倍も何十倍も何百倍も
“忘れられないような幸せな経験”が
この先たくさんやってきますように。
腹の底から、本気の本気で、
そういう子どもたちと
ご家族のために
祈っています。
ADHD当事者で、
子ども2人もがっつりADHD
(+もと不登校)な
NAMIEです ( ˘͈ ᵕ ˘͈ )♡
元モンスターペアレント!
そして現在、
再びモンスターペアレント復活中。
〈記事より抜粋〉
↓↓↓
… 25年前までさかのぼって調査するよう同校に指示したことを明らかにした。137ある全県立高校にも、上級生から下級生に対して暴言をともなう校歌指導などの学校行事がなかったか報告を求めるという。
〜中略〜
ーーーーー
すべての学校の、
特に野球部の子たちや
強豪スポーツ部の子たちへ。
3人のADHD
~奇跡を起こす少年と不登校の癒しの少女&モンスターペアレントの物語~
★90分セッション 10,000縁
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※ZOOMかお電話で対応しています。
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〈90分で驚きの変化が起きる
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