ディアギレフは芸術創生しベニスに死した。ベジャールの模倣、ヴィスコンティー監督 | 病気だらけのブログ

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読み専門でしたが、天才・努力家のダンサーながら過小評価されているジョルジュ・ドンの事を書くために始め、洋楽、マイケルジャクソン、ドストエフスキー、旅行、ユダヤ資本、政治、経済、社会問題などランダムに書いています。

ディアギレフの芸術創生に関する功績は、多すぎて書くと長くなる程。「自分を驚かせるものを創ってみろ」という言葉を発していたディアギレフ、この言葉でニジンスキーはアナーキストというか前衛的な創作をし得たのかもしれません。

 

ベジャールの惹かれたものに「ヴェニス」、「ギリシャ神話」、「(若い男の)ダンサー」・・・がありますが

 

ディアギレフはベニスで客死し、ディアギレフも若い男性が好きで、ニジンスキーはギリシャ神話にインスピレーションを得ていました。

 

ベジャールの「春の祭典」は鹿の交尾から思いついたということですが、バレエリュスの「牧神の午後」と「春の祭典」を足してベジャール版「春の祭典」誕生になったのかと思いますし(牛では無く鹿のイメージ)、ベジャールの71年の神の道化ではバレエリュスの「ペトルーシュカ」を組み込んだものにも思います。

 

バレエリュス「牧神の午後」 1912年

モダン・バレエのはじまりと言われている

この手の動かし方、ベジャールも使っていました。

 

牧神はギリシャ神話に出てくる上半身が人間、下半身が山羊の神(バレエでは牛の衣装)

牧神が葡萄を食べたり、笛を吹いたりしてしているところに、7人のニンフ達が水浴びをしていた。牧神は、ニンフ達を誘惑しようと追いかけ、ひとりのニンフに愛の告白をする。でもそのニンフはスカーフを置いたまま逃げ、牧神はそのスカーフを相手にみたてて、愛を営みます。(初回公演は、最後のシーンは過激だったそう)

 

批判が渦巻くなかディアギレフはロダン等の擁護の手紙を手に、メディアに抗議に行きます。働きますね、ディアギレフ。

Youtubeで再現バージョンがあり、こちら、最後のシーンは過激ではないものになっています。

 

牧神・ニコラ・ル・リッシュ

ディアギレフはこれを1912年に公演しました。前衛的ですね。

 

バレエリュス「春の祭典」1913年

死の物語
今では、作曲も、バレエも、傑作のひとつに挙げられていますが、当時は批判や大騒動が起こりました。曲は不協和音も聞き取れます。

あらすじは

古代のスラブの人々は太陽神の怒りを鎮めるため、生贄をさし出していました。女の子達を集団で踊らせ、脱落した子が生け贄で、死ぬまで踊らなければならない

 

ディアギレフとニジンスキーは独創的でした。

 

 □

 

バレエフォーライフのロックとバレエの組み合わせも、クイーンは既にPVで牧神の午後を取り入れていたし、他のアーティストもPVでバレエを取り入れることはしていたので、既にある組み合わせでした。

フレディーマーキュリーはディアギレフやニジンスキーの功績を理解していたと思います。

 

ディアギレフとルキノヴィスコンティーの「ベニスに死す」について

ディアギレフは作曲家志望でした。そして、ヴェニスで客死したときは恋人の作家と一緒でした。なんと、その恋人はディアギレフの死後、ニジンスキーの娘キラと結婚します(狭い世界)。その恋人は2回結婚していて、ディアギレフのような完全な同性愛者とは違います。

ルキノヴィスコンティーの「ベニスに死す」の主人公はディアギレフがモデルかもしれない(私の想像です)

 

↑映画「ベニスに死す」の作家の主人公(右)と主人公が虜になる少年(左)

 

 

作曲家志望だったディアギレフ

ヴィスコンティーの配した主人公はディアギレフに少しだけ似ている?作曲家の設定でヴェニスで死んでいます。

 

前にも書きましたが、ベジャールの「アダージェット」は映画「ベニスに死す」の主人公の最後を踊りにしたものではないかと思っています。

「バラ、椅子、マーラーのアダージェットの曲、死」の共通項からそう思います。

 

バレエ・フォー・ライフのドンの映像でドンが頭から汁を流しているようなシーンも映りますが、は映画「ベニスに死す」の主人公も最後、頭から汁を流していますね。

 

ベニスに死すの、美を求めて死にゆく最後のシーン

主人公は薔薇の花をさしています。アダージェットでも椅子とバラが使われます。

 

頭からは汁。

ドンも役で頭から汁を流していたのがありました。

 

 

ヴィスコンティーもベジャールもディアギレフを意識していたんだろうと思います。

 

ヴィスコンティーもディアギレフのように、若い(男性)愛人に芸術などの教育や著名人に会わせるなどして、同じような育て方をしました。

 

作曲家ストラヴィンスキーについて

ディアギレフと学生時代からの知り合い

「ペトルーシュカ」、「火の鳥」、「春の祭典」が三大バレエの作曲。全て、ディアギレフからの依頼で作曲。それ以前は無名だった。

ディアギレフの死後、複調、変拍子、リズム主題の援用などが特徴が無くなる。

トラヴィンスキーを世に残したのもディアギレフだと言える。

 

「ペトルーシュカ」のあらすじ
ペトルーシュカ、バレリーナ、大きなムーア人はパペット(操り人形)で人形遣いが登場。

ペトルーシュカ(ピョテルの愛称)という道化をニジンスキーが演じる。

 

感謝祭、見世物小屋で、人形遣いが人形に笛で魔法をかけ、ペトルーシュカ、バレリーナ、ムーア人に命が与えられ、喜んで踊る。

ペトルーシカはバレリーナに恋をするが、その後、人形遣いによって、暗い部屋に放りこまれ、寂しさや理不尽さに悲しむ。バレリーナが来てくれ、恋心を伝えるも、彼女は冷たく去っていく。

ようやく部屋から抜け出たぺトルーショカが、陽気に暮らしているムーア人の部屋に行くと、バレリーナと踊っているのを見て嫉妬し、喧嘩になる。
大きなムーア人にペトルーシュカは殺され、それを見ていた見物客は大騒ぎをするものの、人形遣いは「これはただの人形だ、心配することはない」と説明する。
人形遣いは、テントの上にペトルーシュカの姿(亡霊)を見て、おそろしくなって逃げ、ペトルーシュカの亡霊は、テントの上で倒れる。
 

ニジンスキーのペトルーショカ

 

70年のベジャールのニジンスキー・神の道化は「「ペトルーシュカ」も組み込まれているように思います。

 

ベジャールが凄かったのか?

ディアギレフやニジンスキー、ドンが凄かったのだと思います。

 

今のベジャール・ローザンヌのバレエ団は、アメリカンな感じになっていると思うのですが、ベジャールはギリシャ芸術回顧だったように思います。

どこへ向かうのか?