【札幌】不登校・引きこもりの子供達の記録♡なーたん -9ページ目

【札幌】不登校・引きこもりの子供達の記録♡なーたん

長女の不登校から生活が一転!そしてまさかの長男も小5で不登校…発達障害と言われた長女の生きづらさに答えを探し続けた8年間。本当に大切なことは何かに気付いてからはもう悩むことはなくなりました。不器用な天才達の応援団として子供達の成長の記録ブログ。

娘の精神状態は


私が居ると

イライラして

もう嫌だ
なんでこんな目に遭うの?
大学辞める
もう死ぬから


と言うようになりました。



今はまだ事故のショックと
身体に残る後遺症で半身の痺れと
頭がクラクラ回るようなことが

頻繁にあるようなので
思うようにいかない身体の不調の
ストレスもあると思います。

とにかく、意欲が湧かない。
やる気も出ない。
過食
イライラ

普段なら怒らないことも
怒りをぶつけて、時にはどついてきたりします。


色々調べてみると

脳の左側(側頭葉)を打っていて
クモ膜下出血もあったのですが

イライラしたり怒りっぽくなるのも
高次脳機能障害の症状ではあるみたいです。


これを検査してくれる先生が
京都に居たのですが

3月で引退する為
新規を受け付けないとのこと( ;  ; )

大阪で専門病院があるので
予約を入れましたが

早くて3月はじめ💦

でも、予約しました。

指の回復は
見てる感じでは

かなり曲がるようになって
ペンも持てているのですが

本人は今までとは全く違う感覚らしくて
悲観的です。


リハビリに行く直前まで

行きたくない。行かなくていい。
もう必要ない。

と言いますが

直前になると準備して出かけます。
(葛藤しながらも頑張ってます)

整骨院ではイケメンの院長が
担当してくれて

施術室に入っていくと
楽しそうに会話して笑い声も聞こえてきますが

終わって出てくると
また元の神妙な顔に戻ります。

まあ多分、私の前では
その顔をしている方がメリットがあるのでしょう。

院長の前では無理して元気にしてるかもしれません,

その帰りにはいつもお風呂に入って

買い物して帰り、ご飯の作り置きを作って
洗濯をしたら娘の部屋を出ます。


娘は、ワンルームに住んでますが
私が常に居るのが嫌だと言うので

病院の日以外は知り合いの旅館に
滞在させてもらうことにしました。


そこは古い旅館ですが
1番最初に娘と大学生活をスタートするために
初めて京都に来た時に

お世話になった旅館です。

何かあるたびに、娘のことを心配して
いつでも来ていいよ、と言ってくれていて

京都に行く度に1〜2泊は娘と泊まっていました。



これは、娘が大学生活をスタートした時に
書いた記事ですが
ここに書いてある コウジさんが
今回めちゃ助けてくださいました。

台湾を中心に活動してるWEBデザイナーさんです。
娘に
必ず治るから、絶対に諦めないで!

と力強く言葉をかけてくれました。

娘と京都に来た時は
右も左もわからず

知り合いも居ないため
本当に不安でしたが

この旅館にきたら
ホッとできる場所になっていましたひらめき電球


娘は、精神的にもしんどくて
身体も骨は回復してますが

身体の色んな後遺症がありながら
リハビリに通わなければならない今が

1番キツい時期だと思います。

学校の卒業制作も
事故がなければ、完璧にできたのに!

と悔しいのと
人にお願いして出した作品は意味がない。
といって友達の申し出も断り

自分でやると言いながらも
意欲が湧いてこない状況。

卒業制作の期日が3日後までなんだけど
やりたくない。

もうやりたくないんだけど。
どうすればいい?


と言う娘に、完璧にできないのは
悔しくて辛いし、やりたくないよね。。

でも、せっかくここまで
頑張ってきたんだから!
出来てるところまででもいいと思う。
どんな思いで作ったのか
完璧に出来上がってなくても
コンセプトも短くてもいいから出したら?

と、私の思うことを言いました。

あとは娘次第。

卒業してほしい気持ちは勿論あります。
今まで頑張ってきた4年間…

それを全うしてほしい。

でも、今の娘にそれを求めるのは
あまりにも酷な気がして。

一方で娘なら頑張るんじゃないか?と
いう気持ちもあります。

「やりたくないけどどうしたらいい?」
って聞くってことは裏を返せば
「やりたい」ってこと。

娘がどう選択しても
それが娘の答えならその方向で
サポートしていこうと思います。







今日で事故から ちょうど1か月経ちました。


事故当時のことは、記憶から抜けて
何も覚えてない娘。

少しずつ、質問してみています。


娘は

事故当日 気がついたら
病院のベッドにいた。

身体の痛みと、手が動かない
ただ、そういう現実を
ぼんやり感じていた。

食欲もなく
これからどうなるのか、さえ
考えられなく

ただただ、動かないんだ。

って思ってそこに居た。


事故から4日目に私が面会した時は
まだ朦朧としてました。

娘が友達にLINEを初めて送ったのは
5日目。

そのくらいから
少しずつ意識が戻ってきた感じです。



私はまず1番最初に
娘からの電話で「手が動かないんだ」と
弱々しい声で伝えられた時と

先生から、元のように動くかはわからないと
言われた時


震えるほど絶望感と
この子はこれからどうやって
生きていくんだろう…

生きていけるんだろうか…

本当にその恐怖心に襲われて
涙が止まりませんでした。


今までの娘を見てきて

生きづらさを抱えながら

本当に毎日絵を描く事で
生きることを保っていた。と言ってもいいほど

娘は絵に救われていました。
本当にギリギリのラインで。

娘から描くことが奪われたら
生きていく術を失ってしまう。。

どうしよう!!

これが、私の事故当初の頃の正直な気持ちです。


娘は、入院中も早く指を動かしたい
と、固定器具(シーネ)を勝手に外したり
して看護師さんに止められることもあったそうですが

右側肋骨9本より、肩甲骨の痛みより
何より、右手が動くか?
絵が描けるようになるのか?


本当にただ、それだけしか
頭にない。という感じでした。


退院してからは
まだ、固定が外せない1週間は

ストレスで過食
ご飯を食べたばかりでも
お腹すいた!というので

また、おかずを作ったりしました。

好きなカレー屋さんがあって
そこに食べに行っても

帰るとお腹すいた。とまた食べます。


それと、昼間の眠気もひどくて
3回くらいは
急に寝てしまうことも。

集中力もやる気もなくなっています。


退院後の診察では
手のレントゲンとCTと
脳外科と
リハビリを受診し

次回の診察では精神科も受診を勧められました。


娘にとっては長く待たされる
病院もストレス。

本当に大変な精神的負担です。

しばらく、レンタカーで病院に行ってましたが

足は歩けるので
次回からはバスと地下鉄で行く練習です。

そんな感じですが

気がかりだったのは

娘はまだちゃんと泣けてませんでした。

LINEでは泣いていいんだよ。
病院で泣けなかったら
帰ってから泣きなね。

って言ってたんですが

娘なりに 戦っていました。


そして、退院して少しずつ
現実を把握してきました。

固定が外れても
すぐには指が動かない現実

線が上手く描けない現実

これからちゃんと元のように戻るよ!
という言葉を医師からは聞けなかった現実



病院から帰り
レンタカーを返して戻ると


もう、前みたいに描けない。
絵だけが好きなことだったのに。
他に出来ることないのに。
私何か悪いことしたの?


娘が泣き出しました。

はじめて声をあげて。


私は娘をギュッとはできないけど
抱きしめるようにして
泣きながら
「悔しいね!悲しいよね!」


やっと泣けたね。。。


その後しばらく泣いて

手のリハビリで付けるバンドを手に巻いて

ベッドに入って寝ました。



何度も言ってきた

大丈夫!!

という言葉は言えませんでした。

「頑張れば
必ずまたかけるようになるから!
リハビリ頑張ろう!」


それを言うのが精一杯。


娘が泣けたことで
また一歩進めると信じています。


















年末年始は面会もできず

出来ることがないということで
退院は年明けと聞いて

札幌に一旦戻り

退院の日は電話で5日と確認キラキラ

4日に京都に行きました。
翌朝レンタカーで娘を迎えに行きました。

会えたのは
事故の直後の車椅子ぶりあせるあせる

何もなかったように自販機で飲み物を買って
いましたが

固定された右手は
痛々しいです。

メガネが事故の際に粉々になってしまったので
真っ直ぐ眼科に行きメガネの処方箋を
もらいました。

足はなんともなかったので
歩くことは大丈夫ですが

頭を打っているので
めまい、耳鳴り、PCなどの光が眩しい
ちょっとしたことで怒りっぽかったり
昼間も異常に眠いなど

まだまだ日常では不具合いがあるので

引き続き様子を見ていきたいと思います。

指3本は
「3週間したらCTで確認して
シーネという固定器具を外して良い」

と最初の頃、先生に言われたみたいですが

退院の日に
次回の外来まで外せない(CTも)と言われ
1週間伸びたことが腑に落ちない
許せない。と先生に不信感を感じているので

焦りと、早く動かしたいのに出来ない
イライラがピークになっています笑い泣き

大きい病院で救患の患者さんが次々入ってくるので
後回しにされたダウン

仕方ないよね。では、
本人も気がすまないようです。

まだ一ヵ月も経っていないのと
見通しが立たないという
1番彼女が苦手な状況汗

気持ちのアップダウンは
ジェットコースター並み叫び


痛みが消えて、現実を受け入れられるまでは
もう少しかかりそうですショック!

もう少し通いやすいリハビリの整形外科を
探して行ってみることにしました。

しかし
大きい病院は
なんでも時間がかかりますねあせる

診断書も2〜3週間かかるとのこと。
レントゲンやCTの写真データもお願いしましたが
いつもらえるのか…

退院後のことで
先生に聞きたいことがあっても
予約した診察時しか話せないので

個人病院で、親身になってくれるところを
探したいと思います。


でも、退院の時に

1人だけ
お薬の説明をしてくれた
薬剤師の女の子がドキドキ 神対応でした!!

お薬の説明をしながら
「お母さん、遠くから本当に大変でしたね〜!
1人で抱えないで、私達に是非
なんでも相談してくださいねニコニコ
いい先生ばかりなんで
1人で
本当に頑張りすぎないでくださいビックリマーク

って
言ってくれました。

走馬灯のように
事故から今までの事が思い出されて

思わず涙汗
もちろん、病院で泣いたのはその時が
はじめてですしょぼん

現実的に、その薬剤師さんに直で相談なんて
できないですが
看護師さんや先生のことも
ちゃんと立てて

正直、病院の対応に不信感が無くはなかったので

短い時間でこの病院は良い病院と
思わせてくれた彼女に感謝してますラブ単純パー


恋つづ の上白石萌音ちゃんみたいラブラブ


可愛かったし、本当に親身になって言ってくれて
唯一心が暖かくなりました。

それまでは、どの先生も
看護師さんも、かなりドライな対応で

事故当日も退院の時も
「お母さん来なくても大丈夫ですよパー」と先生は言ってましたあせる

まさか!!行かない親、いる!?

救急病院だからこんなもんか、、
と思ってたので

最後に気持ちよく退院できて良かったです音譜



今、私は毎週カウンセラーの勉強会があり
復習しているのですが


心のケアで一番大切なことって
【心に寄り添う+元気になってもらう】

これを、同時にすることだと思うので
今回はいつもと逆の立場で

実体験できて
また一つ気付きがありましたひらめき電球

あの薬剤師さんは
多分、カウンセリングの手法も技も知らないと
思いますが
天性のカウンセラーだなと思いましたラブラブ

見習おうアップ


娘には、そろそろ居てくれなくていいんだけど…えー
と言われてますが

まだ、警察、弁護士、病院諸々の
対応もあり
食事は作れないので
身体の回復のためにも、まだまだ
居座ります口笛