※この法話は、2019年12月4日に行われた内容です。一部編集しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12月8日は、成道会(じょうどうえ)の日になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…ん、成道会?

 

 

 

はて…?

 

 

 

というところでしょうか。

 

 

 

 

 

そもそも、仏教では大切な日が3つあります。

 

1つ目が、降誕会(ごうたんえ)

2つ目が、成道会(じょうどうえ)

3つ目が、涅槃会(ねはんえ)です。

 

 

 

字からも想像できるように、

1つ目の降誕会とは、誕生を祝う日になりますので、

お釈迦様がお生まれになった日を指します。

 

3つ目の涅槃会とは、

お釈迦様が亡くなられた日を指します。

 

では、2つ目の成道会とはと言うと…

 

 

 

 

 

 

 

お釈迦様がお悟りを開かれた日を指します。

 

 

 

 

 

 

 

(ちょっと解決)

 

 

 

 

 

 

そんなお釈迦様がお悟りを開かれた日、「成道会」なのですが、

皆さんは、この成道会に何か特別なことをされますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はというと必ず…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケーキを食べます!

 

 

 

 

 

 

 

こう申しあげると、

 

「え?お釈迦様がお悟りを開いた記念にケーキ?それじゃ、まるでクリスマスじゃない!」

 

と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 

 

しかしこれには、訳があります。

実は、私の母の誕生日が、12月8日、そうです、ちょうど成道会の日なのです。

 

そこで、成道会に家族皆でケーキを食べて、母の誕生日を祝うことになる訳です。

 

 

 

 

そんな私の母の誕生日はさておいて、

12月8日は私の実家のお寺で成道会法要をお勤めしています。

 

 

 

この日は寺が1年で1番忙しく、

お参りされる檀信徒さんやお手伝いをして下さる和尚さんたちで大賑わいとなります。

 

市内在住の和尚さんが約10人馳せ参じて下さり、

そのお手伝いを得て成道会の法要をお勤めします。

 

お檀家さんも大勢集まって下さり、

さほど広くない本堂ですから人でいっぱいになります。

いつもは静かな寺も成道会の日ばかりはとても賑やかになるわけです。

 

 

 

 

この日の極めつけは、法要後に振る舞う食事です。

 

長い習慣で、煮物や香の物、ご飯、けんちん汁を振る舞います。

 

そんな食事を、参加者全員に振る舞うのですから、その準備は大変です。

 

当日は早朝から親戚や近所のおばさんたちが手伝いに来て下さり、

総出で食事の準備に精を出します。

 

文字通り、右往左往、走り回ってのご馳走です。

当然、私も幼い頃から、成道会の日は学校へ行く前にお皿洗いをしたり、

テーブルを並べたりと、手伝いにかり出され、

思い出深い日となっています。

 

 

 

そんな成道会の思い出話はこの辺にしておいて…

 

 

 

さて、お釈迦様がお悟りを開かれてから今日に至るまで、

多くのお釈迦様の教えが伝わっています。

 

仏教を専門に学び出して未だ三年な私ですが、

仏教を学んでみると、何気ない生活の中でも、

 

「これを仏教的に考えたらどうなのだろう?このことは仏教の教えと重なっているな!」

 

と、仏教の教えに照らして考えることが多くなりました。

 

また特に、忘れられないような衝撃的な体験や悲しみの体験を思い起こし、

「あの時、仏教の教えを知っていたならどう対処しただろうか?」

と、振り返って思うことが多々あります。

 

挫折や苦しみを実感した時こそ、仏教との出会いがあるみたいですね。

 

今日は、少し前にはなりますが、私が大学生のときにあったある出来事をお話ししたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈カナダでの体験〉

 

私は大学生のとき、1年間カナダに留学しました。

 

語学や異文化に興味を抱いていた私は、

一度は海外に滞在し語学の勉強をしたり、異文化に直接触れてみたいという思いがありました。

 

大学生だった私は、アルバイトもしていましたが、

留学できる程の資金を貯めることはできず、

親に思いを伝え留学費用を出してもらい、夢を叶えることができました。

 

 

 

 

この一年間のカナダ留学で、日本にいては経験出来ない様々な経験をすることが出来ました。

 

 

 

 

私が滞在したのはカナダのトロントだったのですが、

そのトロントで驚いたことは、路上で生活をするホームレスの多さです。

 

日本でもホームレスの方を見かけることはありますが、

トロントはその比ではないのです。

 

場所によっては路上数メートル間隔で1人といった具合で、驚く程に路上生活者が多いのです。

 

道を歩いていると、必ずと言っていいほど「Hey, man!」と声をかけられ

「Give me money」とお金をせがんでくるのです。

 

当時、ハタチの大学生で、ましてや親に留学資金を出してもらっている私に、

他人にお金を恵む余裕など、あるはずがありません。

 

そんな私は、「Hey,man」と声を掛けられるのが憂鬱でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は11月中旬でした。

 

 

この日とても冷え込んだことから、

トロントの街を行く人たちはコートの襟を立て、既に手袋を着用していました。

 

 

ホームレスの方は男性が多いのですが、

この日初めて見かけたのは、恐らくインドか中東系の方だと思いますが、

お母さんとまだ2〜3歳くらいの小さな女の子が路上に座り込んでいました。

 

 

地面に少し汚れて黒ずんだレジャーシートを敷き、

その上に体育座りをして頭の上から厚手の毛布を被り、

身体を覆って寒さを忍んでいる様子でした。

 

そして道行く人たちに声をかけたり、眼差しを送ったりしていたのです。

 

この光景を目にしてしまった私は、何とも切なく遣る瀬ない気持ちにかられたのです。

 

勿論、この時も人に恵むお金の余裕はありません。

 

 

「何かしてあげたい」

 

 

やむにやまれず親子に近づいた私は、

たった一つだけバックに入っていたキャンディーをお母さんに手渡しました。

 

 

親子二人に一粒のキャンディーで申し訳なく思ったのですが、

この小さな女の口に入れば、女の子はきっと喜んでくれるだろうと、

思い切ってお母さんに上げたのです。

 

しかし、次の瞬間、

私の目に飛び込んできた光景は、想像だにしないものでした。

 

何と、お母さんが無表情にキャンディーを自分の口に放り込んでしまったのです。

 

唖然とした私は、思わず

 

「なんであなたなの、子供に食べさせてやらないの?」

 

と、怒りを交えて訴えそうになりました。

 

しかし、当時の私はまだ英語を十分話せるわけでもなく、

ましてや変に絡らまれでもしたらと思い、何とも後味の悪い思いを胸に、その場を立ち去りました。

 

しかし、お母さんに視線を残しながら立ち去ろうとした私の目が捉えたのは、

お腹の辺りが少し膨らんでいるお母さんでした。

 

 

 

 

「あっ、このお母さん、お腹に赤ちゃんが?」

 

 

 

 

そう直感しました。

 

その途端、胸騒ぎにも似た思いが、心の中を駆け巡ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

子供にキャンディーをあげずに自分が口にしてしまったお母さんに、

「人でなし!」

と怒りを感じた愚かな自分。

 

 

お母さんにはお母さんの事情があったのに、

何も分かっていなかった自分。

 

 

結局、私はちょっと良いことをしてみたかっただけの傍観者だったわけです。

 

 

 

 

 

 

 

自分を責め、自分を恥じました。

 

もしかしたら、お腹の膨らみは私の思い過ごしだったかも知れません。

しかし、少なくともこの母子が寒空の下、

路上で人の善意に頼らなくてはならない事情やいきさつも、何も知らぬまま、

例え一時の事とは言え目の前の女性に非難の(まなこ)を向け、怒りを覚えたことは事実です。

 

本当のところは分かりませんが、

もしお母さんのお腹に赤ちゃんがいたなら、

私があげたキャンディーはお母さんが舐めて、

お母さんと赤ちゃんのエネルギーになり、

引いては隣にいた小さな女の子の幸せにもつながってゆく、

ということも考えられますよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

この体験を、仏教を学ぶようになってから振り返り、ハッとさせられました。

 

あの時、私は親子を見て可哀想に思い、キャンディーを差し出しましたが、

差し出しながら

 

「きっと母親は小さな女の子に食べさせるだろう」

 

という、自分の経験的法則から割り出した結果を予想し期待していたのです。

 

 

本来、差し出すときには無条件で差し出すべきものを、

自己満足の美談に似たものを期待していたのです。

 

だから、それが裏切られた結果となった時、

怒りが湧いて出たのだと思います。

 

 

 

つまり、自分の物差しで目の前の状況を測っていたのです。

 

 


 

 

 

 

 

 

〈寓話・群盲像を評す〉

 

世界に広がったインドの有名な寓話があります。

 

それは、

視覚に障害がある方たちが象の一部に触れて、象を評するというもので、

仏教経典の中にも、ジャイナ教やヒンドゥー教でも、

或いはイスラム教やヨーロッパやアメリカでも用いられ、

日本では19世紀初めに出版された『北斎漫画』の中に、この話を元にした絵が掲載されています。

 

 

今日は少し難しい話にはなりますが、

仏教経典『長阿含経(じょうあごんきょう)』にあるお話を紹介させていただきます。

 

 

 

 

 

鏡面王という王様が10人の視覚に障害がある方を集め象に触れさせ、

それぞれに触ったものについて語らせるのです。

鼻に触れた人は「これは(ながえ)だ(ゆるい曲線をした馬車の梶棒)」と言い、

(きば)に触れた人は(きね)だと言い、

耳を触った人は、これは穀物のゴミを振るう()であると言い、

頭を触った人は大きな(かなえ)(古代中国の金属製の器のことで、現在の鍋や釜のような器)、

背に触れた人は丘阜(きゅうふ)(小さな山)、

お腹に触れた人は壁だと言い、

後ろ足の人は樹、

(ひざ)を触った人は柱、

前足の人は(うす)

尻尾(しっぽ)に触れた人は(つな)と答えた、とあります。

 

 

 

 

 

 

この教典が伝えるお話は、決して、視覚に障害がある方を揶揄しているわけではありません。

私をはじめ人間誰しもが、

自分の経験や知識に縛られて真実をありのままに、全体として捉えていない、

ということを説こうとしているのです。

 

 

先ほどお話しいたしました、カナダでの私の体験もそうです。

 

 

私自身は、当然母親が幼い子供に食べさせてあげるだろうと、

何の疑いも無く思っていたわけですが、

その親子の事情も何も知らぬまま、そうするだろう、そうすべきだ、と相手に期待していたのです。

自らの経験から割り出したことを信じて疑っていなかったのです。

 

私たちは、自分が見たり聞いたり感じたりしたほんの一部の情報から、

物事を解釈し、判断し、それこそが正しいと信じてしまうのです。

 

 

どうでしょうか、

皆さんも思い当たることがありませんか?

 

 

このことは、自分の立場や地位、プライドなどが関わってくると、更に顕著になりますよね。

 

 

例えば嫁と姑の争い、上司と部下、親と子、大きくは国際間の諸問題、

これらの(いさか)いに見られるのは立場にこだわった意見や見解の相違です。

物事を一面だで捉えて理解し、判断し固執してしまう。私たち人間の悪い癖です。

 

 

 

 

 

 

 

 

〈縁起〉

 

お釈迦様がお覚りになられた「縁起の法則」は、

仏教の最も基本となる「物や現象に対する見方であり捉え方」です。

 

この「縁起」と聞くと、

恐らく皆さんは「縁起がいい・縁起が悪い」との言葉が思い浮かぶのでしゃないでしょうか。

 

実はこの「縁起」という言葉は元々仏教の言葉で、

今の意味合いとは全く異なるものでした。

 

 

お釈迦様がお覚りになられた「縁起」の法則は

「一切の存在や現象は、無限の関わり・関係性の中にある」

ということです。

 

つまり、私一人を考えても、

この世に誕生したことも、誕生してから成長し、

今この法話を執筆している私として存在していることも、

無量の無数のご縁を頂き、

今、ここに立っているということです。

 

無量・無数と申しあげましたが、

この頂いているご縁は、現代のスーパーコンピューターでもはじき出すことは出来ないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本には昔から「お陰様」と言う言葉があります。

 

ところが、この「お陰様」を英語で表現することはできないのです。

 

もし、他からの助力や応援がはっきりしている場合は、

「あなたのおかげで」を英語では「Thanks to」と言うことができます。

 

しかし、初対面の人との話で、話題が両親に及び、

「ご両親はお元気なのですか?」と聞かれると、

私たちは「はい、お陰様で」と答えますね。

 

ところが、欧米の人にとって一度も会ったこのない人のことで、

「お陰様で」

と言われたら理解に苦しむのです。

 

 

日本語を学んでいる外国人によると、

「おかげさまで」という表現は、「もったいない」などと並んで、

外国語に翻訳できない言葉の一つだそうです。

外国語に相当する観念がないのだそうです。

 

つまり、「お陰様」という言葉の裏には、

日本人が永年育んできた仏教の縁起や、八百万(やおろず)の神といった観念が生きているのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

成道会をお迎えするに当たり、

無量・無辺のご縁を頂いて生かされている縁起の事実に、

「お陰様」

と、素直に言える謙虚さを忘れないようにしたいと思います。

 

皆さんがご清聴くださったご縁で、何とかこの場を終えることが出来ました。

 

 

 

 

 

ご静聴、有り難う御座いました。  合掌

※今回は、私がアメリカへ禅のお話をしに行った際の渡航記を記したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年9月、

 

私は”禅の海外布教に関する調査”を実施する為、

 

アメリカ・サンフランシスコへ渡航の旅へ出ました。

 

渡航期間は10日間。

 

サンフランシスコ市内と郊外にある、

坐禅堂や禅センター(現地の仏教を信仰する方が集えるコミュニティ施設)、また現地にあるお寺を訪れ、

事前に準備をしてきたパワーポイントを使用して、

現地の人々に「日本の禅」についてお話(プレゼンテーションという方がしっくりくるかも?)しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーそもそもなぜ、そんな話になったのか?Why

 

”お坊さん”と聞くと、

お寺に居住して、法事や葬儀をやっている、

というようなイメージを持つ方が大半ではないでしょうか。

 

 

しかし、私の”お坊さん”は少し異なります。

 

 

私の実家(生まれた寺)は地方にあり、

私は今東京でアパートを借りて一人暮らしをしています。

そして平日はスーツを着て、

”全国のお寺を管轄する本部”に併設されている、

”仏教の研究所”のようなところに勤めています。

 

また、土日は同じ研究所の仲間と共に特別養護老人ホームや福祉施設等に足を運び、

定期的に施設に入居されている方へお話をしたり、

またその施設で亡くなられた方の法要を勤めたり、

また毎回異なったレクリエーションを用意して施設の方々と触れ合いの時間を設けています。

(懐かしの歌をうたったり、手遊びをしたり、福笑いをしたりとバリエーションも多々です…!)

 

 

 

そんな研究所では、

”研究所”というくらいですから、

何かしらの研究や調査を個々人で行い、

その成果や結果を論文にするという使命があります。

 

 

その中で、

私は元々英語を喋ることや異文化が好きであったため、

「海外において、禅(仏教)の教えの布教には、どういった手法が効果的なのだろうか?」

と疑問をもち、

このアメリカへの渡航の旅へと繋がったわけです。

 

 

 

 

 

 

ー何故に、サンフランシスコ?Why

 

世界には196もの国々があるのに、

なぜアメリカの、しかもサンフランシスコなのか。

 

 

それは、私の直属の上司に理由があります。

 

 

そもそもお坊さんの世界にも”上司”と呼ぶ階層があるのかと思う方もいると思いますが、

研究所において私の上司は、

過去にサンフランシスコの寺院で長年住職勤めていたり、

また現地にある禅センターと呼ばれる布教機関にも勤めていたことがあり、

既にサンフランシスコ内で多くのコネクションを持っていることや、

またサンフランシスコだけでも多くの仏教に携われる施設があることから、

サンフランシスコに絞り、調査を行うことになりました。

 

 

 

このへんでWhyは全て解決されたでしょうか。

 

 

 

しかし、

肝心なのは調査の中身です。

 

 

 

 

「海外において、禅(仏教)の教えの布教には、どういった手法が効果的なのだろうか?」

 

と言っても、

どの手法で何をもって調査するのか。

 

 

 

 

私はこに調査を行うにあたり、

ある一人の日本人の詩人を引用し、それを柱に調査を行うことにしました。

 

 

 

 

その詩人は、

 

 

 

 

 

 

 

”相田みつを”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんも、一度は耳にしたことのある日本を代表する詩人ではないでしょうか。

 

 

 

相田みつをの代表作といえば、

 

 

”にんげんだもの”

 

 

 

ですね。

こちらも耳にしたことのあるフレーズだと思います。

 

 

 

 

 

では何故、

 

相田みつをを、海外への布教に紹介したのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

それは、次回のブログにてご紹介したいと思います。

 

タイトルを見て、

 

 

「???」

 

 

と思った方多いのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、坐禅には

 

”歩く坐禅”

 

と呼ばれる坐禅があるのです…!(なんと…!!

 

 

 

 

 

 

 

通称、”歩く坐禅”と言われることが多いのですが、

正式には

 

 

”経行”

 

 

と言います。

 

 

 

 

 

ん、

 

 

 

 

読めた方いますか?

 

 

 

 

 

 

 

経行

 

 

 

 

 

 

 

 

けいこう?

 

けいぎょう??

 

きょうぎょう???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は…

 

 

 

 

 

 

 

 

きんひん

 

 

 

 

 

 

 

と読みます。(いや、難問ネ…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一発で”きんひん”と読める人は、

なかなかいないのではないでしょうか。

 

(お坊さん業界はこういった難読な日本語が非常に多いのです…トホホ)

 

 

 

 

 

私自身も、初めてこの字を見た時に「きんひん」と読めず、

きょうぎょうと思っていました。(いい加減)

 

そもそも坐禅の経験が浅かった頃は、この”経行”の意味もよく知りませんでした。

 

 

 

 

 

 

経行の「経」とは、織物のたて糸のことを指し、

たて糸のように真っすぐ、そしてゆっくりと歩く(行う)ことを言います。

 

 

こんなイメージでしょうか。

 

 

 

 

 

 

ですから、

皆さんが想像する足を組んでじっと坐る”坐禅”とは、

全く異なったものになります。

 

 

 

 

そしてこの経行も、

「歩く坐禅」と言われるほどとても大事な時間なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曹洞宗を開かれた道元禅師が、

かつて中国に仏教を学びにいった時、

師匠である如浄禅師からこんな教えを受けました。 

 

 

 

 

 

 

「坐禅より起(た)ちて歩く時は、須(すべから)く一息半趺(いっそくはんぷ)の法を行(ぎょう)ずべし。」

『寶慶記』より

 

 

 

 

 

 

これは、

「坐禅から立って歩くときは、必ず一息半歩の法を行いなさい。」

という意味です。

 

 

 

この歩行法(一息半歩)というのは、

一呼吸で足を半歩ずつ動かして前進する、という

とてもゆっくりな歩行法です。

 

 

 

 

 

 

 

 

現在、修行道場やお寺での坐禅会などでは、

1回約40分の坐禅を行います。

 

40分経つと、5分ほど坐禅堂の中をゆっくりと歩きます。

 

 

 

 

これが、いわゆる”経行”です。

 

 

 

 

道元禅師が教えを受け継がれたその当時から、

坐禅において、この経行は必ず行うことと記されています。

 

 

 

 

経行は主に、坐禅が一炷終わり、

続けて二炷目、 三炷目と続く際に行います。

 

 

 

 

では、この経行を行う理由とは一体何なのでしょうか?

 

それは、

 

・足の痛みを緩和させる

・眠気に襲われ坐禅に集中できない時や、雑念が取れないときに一度リフレッシュをする

 

こういった目的で、この経行を行います。

 

 

 

 

 

 

 

 

修行道場や各地にある寺院では、

摂心(せっしん)という坐禅を集中的に行う期間があり、

1日に坐禅を5セット、6セット行う日もあったりします。

 

(1回40分×5セット=3時間20分……もう終わる1日が終わる頃には、子鹿のように足がガクガクかもしれないですね…)

 

(因みに、坐禅の回数の数え方としては、

正しくは”5炷(ちゅう)、6炷(ちゅう)と数えます)

 

 

 

 

 

 

 

 

経行をすることで滞っていた血液も流れ、眠気も飛び、

新たな気分で坐禅に取り組むことができるのです。

 

 

 

 

今思えば、

修行中に行った経行は、怠惰になりがちな心を入れ替える大切な時間だったようにも思えます。

 

 

 

 

「知恵!」

 

 

 

 

 

 

 

はい。

 

タイトルから繋げてはじまりましたが、

この諺(ことわざ)は皆さんもご存知ですね。

 

 

 

 

 

「三人寄れば文殊の知恵」

 

 

 

 

 

これは、

一人で考えてもなかなか良い考えが浮かばないけれど、

三人集まって相談すればそれぞれが優れた人物でなくても良い考えが浮かぶ

という諺です。

 

 

 

 

 

この諺に出てくる”文殊”というのは文殊菩薩(もんじゅぼさつ)のことで、

実は坐禅を行う坐禅堂の中央には、必ずこの文殊菩薩が安置されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、先ほどの諺ですが、

「文殊の知恵」と言われるように、

一般的には知恵や知識のある菩薩としてこの文殊菩薩は知られていますが、

本来は「智慧」をもつ菩薩として周知されていました。

 

 

 

 

以前も、この「知恵」と「智慧」について触れたことがあるので、

こちらもご覧ください。

 

「知恵」?それとも「智慧」?

 

 

 

 

一般的に耳にする「知恵」は、

物事の道理を判断し処理をする頭の働きを言いますが、

 

「智慧」の方は、

物事は正しいのか、真実はどうなのかを考える心の働きを言います。

 

 

 

 

 

 

同じ”ちえ”でも、全く意味が異なりますね。

 

 

 

 

そんな文殊菩薩は、仏教において「智慧」を司る菩薩として知られており、

物事を正しく見極め、判断し、私たちを正しい悟りへと導いてくれる菩薩であります。

 

 

 

 

しかし、時代が経過するにつれて段々と智慧が知恵とも解釈されるようになり、

今日では知恵や知識がある菩薩さまとして知られるようになりました。(諸説あります)

 

 

 

 

そんな文殊菩薩は智慧(知恵)を司る菩薩として昔から知られていましたが、

他にもこんな逸話が残っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お釈迦様の弟子の一人に、維摩居士(ゆいまこじ)という人物がいました。

 

 

 

この人物は、論争が大好きなことで知られていました。

(私とは真逆の性格をお持ちのようです…)

 

 

 

その理屈っぷりには誰も論破することもできず、

いつも皆がうんざりしていたといいます。

 

 

 

 

そんなある時、

維摩居士が病気になったのですが、

お見舞いに行ってもまた言い負かされるのが嫌で、誰もお見舞いに行こうとしませんでした。

 

 

しかし、

お釈迦様の代理でお見舞いに行った文殊菩薩だけが、

対等に彼と話しをすることができたというのです。

 

 

 

 

そこから文殊菩薩は頭の回転が早い、頭がいい、知恵や知識が豊富であると派生したという説もあります。

 

 

 

 

 

 

ではなぜ坐禅堂にもこの文殊様が安置されているのでしょうか。

 

それは、

 

悟りに至る智慧を常に修行僧たちと一緒に大事にしていこうという願いを込められ安置されています。

 

 

悟りの道を行くのに無くてはならないものが智慧であることを、

文殊さまは教えてくれているのですね。

 

 

智慧を大切に、身を調え、息を調えて、心静かに正しい道を文殊さまと共に歩んでいきたいものです。

※この記事は、高齢者福祉施設に毎月発行している月刊紙(2019年12月号)に掲載した内容です。(内容を一部変更しています)

 

 

法事やお葬式に参列すると、必ず目にするものがありますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドンッ

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、みなさんもご存知の「木魚」です。

 

 

木魚というと、

なんとなくお坊さんの代名詞のような感じもしますね。

 

(しないか。)

 

 

 

 

 

 

と、まぁ、

そんな木魚はお経をお唱えするときにリズムをとるために僧侶が叩きます。

 

 

 

 

 

 

さて、そんな木魚ですが、

実際に手にとって触ったことがある方は少ないのではないでしょうか?

 

 

 

木魚と一概に言っても、

大きさも様々なのですが、

 

いわゆるセレモニーホールや葬儀場などの施設にある木魚は、

簡易的なものが多く、

片手の手のひらに乗せることができるくらい、

軽くて音も高音で「ポクポク」と鳴るものが多くあります。

 

 

一方で、

お寺など寺院にある木魚はもっと大きいもので、

大人が両手で抱えてもかなりの重さで(たいてい持つことはできるくらいです)、

音も「ボクボク」といった中低音を出します。

 

 

 

因みに、私が修行を行った本山(ほんざん)では、

想像を超える大きさの木魚がありました。

 

 

 

 

こんな感じです(写真は別のお寺さんの木魚です)

 

 

 

 

 

 

さすがに誰だなんでも持つことはできない大きさで(ボディビルダーならいけるかも)、

なんと、立って、しかも両手で棒を持たなければ叩けないほど

巨大な木魚がありました。

 

この大きさまでくると、

音も「ボン………ボン………」

と、重低音が鳴り響きます。

 

さすうがに「ポクポク」と連打できるものでもありません…。

 

 

 

そんないろんな木魚があるわけですが、

どの大きさにしても作りは木製のものがほとんどで、

中は空洞になっています。

 

 

そしてバイと呼ばれる棒で叩いて鳴らします。

 

 

さきほどの立って叩くような巨大な木魚ですと、

バイだけでも1〜2kgほどにもなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とまぁ、本題に戻りまして…

 

 

そもそも何故、木と魚で「木魚」と言うのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、かつての木魚の原型が、

坐禅堂に吊り下げてある魚鼓(ほう)であったことに由来します。

※ぎょく、ぎょこと読むこともあります(写真参照)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、木魚というと、

かつてはこの魚鼓のことを指していたのです。

 

 

 

よーく見てみると、

これは一匹の魚が玉をくわえた姿をしており、

このお腹の部分を下から長い棒で叩いて音を出します。

 

 

 

しかし、昔はこれを叩いてお経を唱えていたわけではありません。

 

 

 

魚鼓は、お経を唱える時に使うものではなく、

食事の始まりを伝えるためのものでした。

 

それが中国、明の時代(1368~1644年) に今の丸い形となり、

お経を唱える時に使われるようになりました。

 

 

 

 

また、魚の形を模していることと口に玉をくわえていることにも、

それぞれ理由があります。 

 

 

 

 

 

魚にはまぶたがなく、眠る時も目を開けてまるで眠っていないように見えますね。

 

 

 

 

 

これは、

”坐禅や法要中に修行僧が居眠りをしないように”という

戒(いまし)めでもあるのです。

 

 

なんとも面白い例えですよね。

 

 

そして、魚鼓の口にある玉は煩悩を表しており、

お腹を叩くことで煩悩を吐き出させるという意味があるそうです。 

 

 

 

 

 

私の実家のお寺にある木魚は、

多くのお寺にあるような直径三十センチほどの大きさの木魚です。

 

お寺に生まれた私は、

小さい頃からこの木魚の音に親しんでいました。

 

 

木魚のある本堂と私の部屋までは30mほど離れているのですが、

毎朝6時を過ぎると、遠くから微かに響いてくる、

 

ボン…ボン…ボン…ボン

 

という音でよく目を覚ましていました。

 

そして眠い目を擦りながら遅れて本堂へ向かい、

時には父の隣で一緒にお経を唱えることもありました。 

 

 

 

 

今でも木魚の音を聞くと、

父の隣でお経を唱えていた幼少期を思い出すことがあります。

 

当時は、お経の意味もわからず眠い目をこすりながらお唱えしていた お経も、

今では心を込めて唱えている自分に、

時の流れを感じます。

※この記事は、高齢者福祉施設に毎月発行している月刊紙(2018年10月号)に掲載した内容です。(内容を一部変更しています)

 

 

幼い頃、私はよく母親から

 

「あんたはしょっちゅう 忘れ物ばかりして!」

 

と、怒られていました。

 

頭でわかっていても、忘れ物っていつもしてしまうんですよね…。

(今でも変わりありません…笑)

 

 

 

この「しょっちゅう」というと、マイナスな言葉の前に多く使われますよね。

 

 

実はこの言葉も仏教から生まれた言葉で、

本来はマイナスなイメージでは使われていませんでした。

 

 

 

では、この「しょっちゅう」という言葉は元々、どのように使われていたのでしょうか?

 

私の経験談からお話したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は大学で英米文学を学んでいました。

(お坊さんでも、必ずしも仏教を学んでいるわけではないんですよ!笑)

 

 

当時はまだ仏教に興味を引かれず、

語学や外国の文学を学びたいという思いが強かったので、

仏教系の大学に進学したはものの、大学では仏教を専攻することはありませんでした。

 

 

 

そんな私は夏休みやお正月に実家の寺へ帰っても、

寺の手伝いをすることもなかったのです。

 

 

また私は次男ということもあり、

当時はまだお坊さんになるつもりもなかったので、

まさか自分が人前で仏教を語るなど想像もつきませんでした。

 

 

 

そんな私も色々とご縁があり、

大学を卒業してから修行道場である本山へ行き、

お坊さんとしての道を歩み始めました。

 

そしてこの法話会にも参加させていただくことになりました。

 

 

 

 

法話会のメンバーに加わり仏教の勉強を本格的に始めた時、

一つの壁に当たりました。

 

それは、

このともしび法話会で仏教をテーマにお話することは、

そうそう簡単ではないということです。

 

 

 

私がお釈迦様の教えを理解できても、

今度はそれを自分の言葉でわかりやすく皆さんに伝えるということが、

いかに難しいかという壁に当たったのです。

 

 

 

そんな時に、あるお釈迦様の言葉に出会いました。

 

 

 

お釈迦様はある日、説法の旅に出掛ける弟子たちに、こう教えたと言います。

 

 

 

 

 

 

「初め善(よ)く、中頃も善く、後にも善く、道理と表現を兼ね備えた教えを説きなさい。」

 

 

 

 

 

お釈迦様は正しい教えを説くにあたり、

いつも道理をわきまえた上で表現豊かに教えを説きなさいと弟子たちに仰ったのです。

 

 

 

この言葉を「初中後」とまとめた形で呼ぶようになり、

やがて「後」 の部分が略され、

「初中」が「しょっちゅう」に変化していったと言われています。

 

 

 

 

 

今ではどちらかと言うと、マイナスな意味で使われていますが、

本来は初めから終わりまで常に良いという意味で使われていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めて法話会でお話をした時は、

自分が学んだことをただ伝えるだけで精一杯だったことを今でも覚えています。

 

 

人生の大先輩方に、

このお釈迦様の教えを丁寧にわかりやすく伝えなくては、というプ レッシャーがあり、

お釈迦様が説いたように「表現豊かに」という伝え方がうまくできませんでした。

 

 

しかし、施設での法話会に参加して約1年と半年経った今、

お話をしながら周りの反応を伺う余裕もでき、

 

「なるほどね」

 

と頷いてくれる方もいらっしゃるようになりました。

 

 

お釈迦様の説法ほど立派にお話することは難しいかもしれませんが、

法話会でも「しょっちゅう」わかりやすくお話しできるよう、

改めて努めていきたいと思いました。

 

※この記事は、高齢者福祉施設に毎月発行している月刊紙(2018年6月号)に掲載した内容です。(内容を一部変更しています)

 

 

 

 

「あぁ、今日はなんだか退屈だなぁ」

 

 

と、みなさんも「退屈」という言葉を使ったことは何度もあるのではないでしょうか。

 

私は学生の頃、毎日の授業とアルバイトの繰り返しに

「退屈だなぁ」と思うことがよくありました。

 

 

(我が家の動かない猫、クロ)

 

 

 

「退屈」というと、飽き飽きしてしまう様子や暇を持て余すことを言いますが、

そもそもなぜ、

 

「退く」と「屈する」と書くのでしょうか?

 

 

 

実は、この言葉は仏教から生まれた言葉で、

今とは全く異なる意味で使われていたのです。

 

 

今回は、そんな「退屈」という言葉についてお話します。

 

 

 

 

 

 

 

私は大学を卒業したあと、

一般企業に就職をし会社勤めをしていました。

 

 

当時は毎朝7時に起きて会社へ向かい、

夕方に仕事が終わると友達と食事をしたり映画を見に行ったりしていました。

 

 

その後、会社を辞め修行の道へと進んだのですが、

修行を行う本山(ほんざん)ではそんな生活からはまるで想像できない日々が待ち受けていたのです。

 

 

 

本山では、一つの大きな部屋に60人ほどが一緒に寝て、

まだ陽も昇らない早朝に大きな鈴の音で一斉に起きます。

 

 

起床後はすぐに洗面を済まし、

坐禅を40分し、

そして 本堂へ移動をして朝のお勤めへと続きます。

 

 

まだ慣れない正座でお経を読み、

お勤めが終わると次には食事、

そして廊下の雑巾掛けと、起きてから休む間もありません。

 

 

会社勤めをしていた頃とは全く異なる生活に、

心と体がついていけませんでした。

 

 

 

また、 それまで仏教の行事にあまり関わることがなかった私は本山での生活に中々慣れず、

毎日のように先輩から叱られ落ち込む日々でした。

 

 

 

 

実は、

 

この修行の厳しさに屈してしまい、

修行を続ける気力を無くしてしまう状況を

仏教では「退屈」と言っていました。

 

 

 

「退」と「屈」の漢字が示す通り、

現状の厳しさに退き、挫折するように屈してしまう意味として

この漢字が使われていたのです。

 

 

 

まさに、私は 修行の中で「退屈」してしまったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はなんとか途中で投げ出すことなく、

本山での修行を1年間終えることができましたが、

これは一人の力ではなく、間違えなく、

仲間の存在があったからです。

 

 

この「退屈」という言葉は古いお経の中にも記されており、

周りから尊敬されるような優れた修行者でも「退屈」を経験していたことがわかります。

 

 

そんな状況でも修行を 乗り越えることができたのは、

仏教で大切にしている仲間の存在があったからなのです。

 

 

私の修行生活を振り返ると、

環境の変化に全く慣れず、目の前のことでいっぱいになり、

屈してしまうことが幾度もありました。

 

 

そんな時、私を支えてくれたのが、共に修行をしていた仲間だったのです。

 

 

 

周りを見渡せば、

修行という環境の中で挫折しかけていたのは私だけでなく、

他の仲間も同じでした。

 

 

 

同じ環境下だからこそ分かり合え、

共に励まし合うことで私は最後まで修行道場での修行を続けることができました。

 

 

 

今思うと、この「退屈」という言葉は修行の厳しさに屈してしまうことを指すだけでなく、

共に歩む仲間の大切さも教えてくれる言葉なのではないかと感じます。

 

 

 

修行時代、自分を支えてくれた仲間のように、

自分も「退屈」している人を見かけたらそっと手を差し 伸べるようになりました。

 

 

※自己紹介にも書いてありますが、このブログは高齢者福祉施設に訪問した際にお話した内容になります。

 

 

毎月、私はこちらの施設にお伺いさせて頂いておりますが、

実は毎月読むお経を変えているのはご存知でしたでしょうか?

 

その理由としましては、

皆様にも色々なお経に触れて頂きたい思いがあり、毎月お経を変えています。

 

そんな今月は、

修証義(しゅしょうぎ)の第三章にあります、「受戒入位(じゅかいにゅうい)」というお経を皆さんでお唱えいたしました。

 

 

「第三章」とありますように、

修証義というお経は全部で5章まである、とても長いお経の一つです。

 

 

この修証義というのは、

曹洞宗を開いた道元禅師が書いた『正法眼蔵』という書物の中にある言葉や教えを集めたお経で、

この「第三章 授戒入位」は、

皆さんが安心して仏さまになる為に、守らなければならないことなどが書かれているお経です。

 

(修証義については、是非こちらのサイトもご参照ください。https://www.soto-kinki.net/sp/okyo/list_shushogi.php

 

 

 

そして今日お読みしたこの「第3章」ですが、

よく見てみると”ある言葉”が繰り返しでてくるのですが、どの言葉かわかりますか?

 

(このブログを読んでいる方は「さっぱり?」だと思うので、第3章を文章で書いてみました。)

 

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第三章 受戒入位
次には深く仏法僧の三宝さんぼうをう敬い奉るべし、しょうえ身を易えても三宝を供養し敬い奉らんことを願うべし、 西天東土仏祖しょう伝する所は恭敬くぎょう仏法僧なり。
若し薄福少徳の衆生は三宝の名字猶ほ聞き奉らざるなり、いかいわんや帰依し奉ることを得んや、徒に所逼しょひつを怖れ て山神鬼神等に帰依し、或いは外道の制多に帰依すること勿れ、彼は其帰依に因りて衆苦しゅくを解脱すること無し、早く仏法僧の三宝に帰依し奉りて 衆苦を解脱するのみに非ず菩提を成就じょうじゅうすべし。
 其帰依三宝とは正に浄心を専らにして或いは如来現在世にもあれ、或いは如来滅後にもあれ、合掌し低頭して口に唱えて云く、南無帰依仏、南無 帰依法、南無帰依僧、仏は是れ大師なるが故に帰依す、法は良薬なるが故に帰依す。僧は勝友なるが故に帰依す、仏弟子となること必ず三帰に依る、 何れの戒を受くるも必ず三帰を受けて其後諸戒を受くるなり、然あれば則ち三帰に依りて得戒あるなり。
 此帰依仏法僧の功徳、必ず感応道交するとき成就じょうじゅうするなり、設い天上人間地獄鬼畜なりと雖も、感応道交すれば必ず帰依し奉るなり、已に帰依し 奉るが如きは生生世世在在処処に増長し、必ず積功累徳しゃっくるいとくし、阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいを成就するなり、知るべし三帰の功徳其れ最尊最上甚深不可思議 なりということ、世尊已に証明しょうみょうしまします衆生当に信受すべし。
 次には応に三聚浄戒を受け奉るべし、第一摂律儀戒、第二摂善法戒、第三摂衆生戒なり、次には応に十重禁戒を受け奉るべし、第一不殺生戒、第 二不偸盗ちゅうとう戒、第三不邪婬戒、第四不妄語戒、第五不酤酒こしゅ戒、第六不説過戒、第七不自讃毀佗きた戒、第八不けん法財戒、第九不瞋恚しんい戒、第十不謗 三宝戒なり、上来三帰三聚浄戒、十重禁戒、是れ諸仏の受持したまう所なり。
 受戒するが如きは、三世の諸仏の所証なる阿耨多羅三藐三菩提金剛不壊の仏果を証するなり、誰の智人か欣求ごんぐせざらん、世尊明らかに一切衆生の 為に示しまします、衆生仏戒をう受くれば、即ち諸仏の位に入る、位大がくに同うし已る、真に是れ諸仏のみこなりと。
諸仏の常に此中に住持たる、各各の方面に知覚を遺さず、群じょうの長えに此中に使用する、各各の知覚に方面露れず、 是時十方法界の土地草木牆壁瓦礫しょうへきがりゃく皆仏事を作すを以って、其起す所の風水の利益りやくに預る輩、皆甚妙不可思議の仏化ぶっけに冥資せられてちかき悟を顕わす、是を無為の功徳とす、是を無作の功徳とす、是れ発菩提心なり。 

 

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さて、どんな言葉が繰り返し登場していたでしょうか?

 

 

 

ヒントは、特に前半に集中してあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、それは「帰依(きえ)」という言葉です。

 

 

 

なんとこの三章の中だけで15回もでてきます。

 

 

 

そんな「帰依」ですが、

簡単にいうと「頼りや、拠り所にしなさい」といった意味になります。

 

 

また、このお経の中には途中、

 

「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」

 

と立て続けに「帰依」が出てくる言葉もありますが、

これは仏様を拠り所にしなさい、法というのは教えですが教えを拠り所にしなさい、そしてその教えを実践する僧を拠り所にしなさい、そういった意味合いになります。

 

 

この「仏・法・僧」の3つを大切にすれば、

お釈迦様のように良いお悟りをひらくことができるというのです。

 

このことを「仏・法・僧」の3つを三宝とも言います。

 

この三宝については実はお釈迦様だけでなく、

聖徳太子もこの三宝を帰依しなさい、三宝を大切にしなさい、と憲法17条でも言っていたのです。

 

※聖徳太子と三宝については、こちらをご参照ください。

https://true-buddhism.com/teachings/sampo/

 

 

 

ではどうしてそこまで、

・この「帰依」することが大切だと言われているのでしょうか?

・一体仏様に「帰依」するとはどう言うことなのでしょうか?

 

 

私もこのお経を初めて読み仏様に帰依するという言葉を見て、

一体どう言うことなのか理解できませんでしたが、

ある時、自身の自分の生活を振り返ってみたら、

自分もいつの間にか「帰依」していたことに気づきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ー「幼少期の記憶から」

 

私は小さい頃から、母が毎朝、仏壇に入れたての温かいお茶と白いご飯、そしてろうそくに火をつけてお線香を立て、仏様に手を合わせている姿を見ていました。

 

私はそんな母を見て

 

「毎日偉いなぁ」

 

そうとしか思っていませんでした。

 

 

自分はというと…

 

「朝のそんなバタバタした時間に仏壇に手を合わせてる暇なんかないわ!」

 

と、母にお供え物をあげなさい!

と言われない限り、

自分から手を合わせに行くとこはありませんでした。

 

 

そんな母は、

いつも仏壇にいるお釈迦様に手を合わせるとさっと立ち上がって台所へ向かい、

私たち家族の朝ごはんの支度に取り掛かります。

 

 

朝ご飯の用意も私が学校に出る時間を逆算して用意してくれて、

出かける直前も「今日は寒いからこれ羽織って行きなさい」と、

いつの間にかハンガーにかけられて吊るされた上着を私の肩にかけて、見送ってくれました。

 

 

朝だけでなく家に帰ってきて夕飯の時でさえも、

「先に食べてていいよ」

と、家族を優先しみんなが食べ終わった後に残り物でご飯を食べていたり、

母はアレが欲しい、これが欲しいと我儘を言うわけでもなく、

ただただ家族のために自分の時間を割いて尽くしてくれました。

 

 

それは母にとって、

”自分の息子だから”

という理由で尽くしてくれたのかもしれませんが、

しかし今振り返ると母はまさに「仏様」のように思えました。

 

 

 

 

そんな母に対して自分はというと、いつも我が儘ばかり。

 

 

 

 

少しでも自分の意見が通らないと、不満そうな顔をしてごねる。

ご飯の時も準備を手伝うどころか、

ご飯があって当たり前、

寧ろ用意されていなかったら「なんで無いの?」だなんて酷いことを言っていました。

 

そしてそんな私の態度に、

家の中の雰囲気も悪くしていたことも多々ありました。

 

常に「自分の、自分が」という欲求を満たさないと我慢できない、

そんな周りを見ない状況だったのです。

 

 

 

 

そんな私は大学を卒業し、

お坊さんになるべく、大本山の修行道場へ行きました。

 

 

修行に行くと、

これまで家では全くしていなかった“あること”をするようになりました。

 

 

それは

 

 

「お釈迦様に手を合わせる」ということです。

 

 

 

 

私が修行をした大きなお寺では、

いわゆる一般の家にあるような仏壇といういのはあまりなく、

お釈迦様は”仏殿”と呼ばれる大きなお堂の中に安置されていました。

 

そんな仏殿の中のお釈迦様は私たち修行僧にとってとても大切な存在でありますので、

お堂から100mも離れたところにある廊下でさえ、

お堂の前や後ろを通る時は必ず、お釈迦様に手を合わせて頭を下げて通行をしていました。

 

(今振り返ると、中々新鮮な光景ですね…)

 

また仏殿の中を掃除するときも掃除を始める前や後は必ず大きなお釈迦様に手を合わせたり、

また何もお釈迦様に対してだけでなく、他の仏像などにも毎日のように手を合わせている自分がいました。

 

 

 

 

 

 

 

そんな修行道場での修行を1年間終えて、

久々に家に帰ってからのことです。

 

 

 

 

 

 

私は修行中の行動が体に染み付いていて、

私生活においてそれはあらゆる場面で出ました。

 

 

履物を脱いだら向きを揃える、

蛇口を使って周りを汚してしまったら綺麗に拭き取る、

時には朝4時くらいにパッ!っと目が覚めてしまうことさえありました。

 

 

そして他にも、修行中に身についていたことがありました。

 

 

それは、

修行中に毎日やっていた「仏様に手を合わせる」ということです。

 

 

修行に行く前の私はというと、

朝起きたら洗面をし、のこのことリビングに移動して朝食を出るのを待っていました。

 

しかし、修行道場の修行を終えてからは、

朝起きて洗面が終わるとリビングに行く前に必ず仏壇へ向かい、

お線香を供えて手を合わせる習慣がついていたのです。

 

そんな生活が変わると、

修行に行く前と後で、なんだか家にいる感覚が違いました。

 

 

同じ家という空間の中にいるのに、

なんだか前に家にいた時よりも気持ちが落ち着くようになったのです。

 

 

うまく言葉では表せないのですが、

どこか気持ちにゆとりができたような感じがして、

それが故に、毎朝母親が用意してくれるご飯もどこかありがたいなという気持ちが芽生えるようになり、

そしてそれが自然と行動に出て、

食べ終わった茶碗を自分で台所まで下げ、

いつの間にか父親の茶碗も下げるようになり、

今度は食事の支度も母親と台所に立ってするようになっていた自分がいました。

 

 

そしてそれは家の中でなく外に出ても同じでした。

 

 

例えば、

電車に乗る時、昔は少し躊躇していたことでしたが

年配の方、子連れのお母さんなど席を必要とする人に

どこも躊躇なく声をかけられるようになりました。

 

 

どちらにも共通することは、

相手への気遣い、人を思う気持ちが自ずと芽生えるようになったということです。

 

 

「修行に行ったから」

 

「頭を丸めたから」

 

というのも少なからずあるかとは思いますが、

仏様に手を合わせるということが生活の一部になったことで、

なんとなく心の落ち着きができて「自分が、自分は」という思いが落ち着き、

「相手をみる」という心置きができていました。

 

もしかしたら、

仏さまに手を合わせるということで

“いつも仏様に見られてる!何か悪いことをすると仏様に見られるんじゃないか!”

という思いもあって、それが色々抑制しているのかもしれませんが、

少なからず自分自身が変わったことには間違いありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日読んだお経の中にあるように、

 

「帰依しなさい」

 

と言われても、なんだか難しそうですよね。

 

「私も頭を剃らないといけないのかな」

「仏教徒として何か特別に信仰をしなければならないのかな」

 

と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、

実はみなさんでも仏様に「帰依」することはできるのです。

 

 

それは、手を合わせることです。

 

 

普段から仏様だけでなく、心の中でも誰かに向かって手を合わせることで、

実はおのずと、仏さまに「帰依」することができているのです。

 

 

ー「ただ行うことの難しさ」

 

既に皆さんもご存知の通り、

私たちは曹洞宗という宗派の仏教徒でございます。

 

 

曹洞宗と言うと、

その代名詞とも言えるのが「坐禅」です。

 

 

昨年、こちらの法話会で「いす坐禅」というものを一緒に行いましたが、

覚えていらっしゃいますでしょうか?

 

 

※いす坐禅については、こちらをご覧ください。

 

https://www.sotozen-net.or.jp/isuzazen

 

 

 

 

この「坐禅」ですが、

坐禅を行う上で、こんな言葉があります。

 

 

 

 

只管打坐

 

 

 

 

読めますか…?

 

”しかんたざ”と読みます。

 

 

この言葉の意味は

 

 

「ただ、ひたすらに坐る」

 

 

そういった意味になります。

 

そもそも何故、こんな言葉があるのかというと、

坐禅は何か目的をもって、それを達成する手段としてするものではなく、

普段感じる様々な思いとか欲に囚われずにただただ坐ることが肝心であり、

それ故に「ただ」坐ると言う意味でこの「只管打坐」と言う言葉があります。

 

意外と、この坐禅の本質というものを知らない方は多いかと思います。

 

坐禅と聞くと、

例えばじっと静けさの中で坐って神経と研ぎ澄ます、

集中力を高めるために坐禅をする、

今度の試合に勝つために意気込みとして坐る…などなど、

 

そういった何かを得る”目的”があって、それを達成する為に坐禅をする、

という認識をしている方がいると思いますが、

実はそうではないということです。

 

 

私も当初、そんな”目的をもってすること”だとばかり思っていました。

 

 

と、そう言われてから坐禅をしましたが、

そうすると、

では何故、坐禅をするのか?

 

という疑問に当たりました。

何も目的もないのに、何の為に曹洞宗は坐禅をするのか?

 

 

 

 

 

この問いは、私自身が修行を行ったお寺で坐禅をしてても、

なかなか答えを得ることは難しかったです。

 

だって、

生きていて、目的もないのにその行いをするなんて経験、

ほとんどないからです。

 

(ほとんどと言ったのは、例えば、休みの日に目的もなくベッドの上でひたすらごろごろしたり、目的もないのにふらふら散歩することもあったからです)

 

 

 

では何故、ただひたすらに、坐禅を行うのかー?

 

 

その答えを一緒に探っていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

日常生活で「ただ◯◯する」というと、

「ただ黙々と勉強をする」とか、

「ただただ作業を進める」とか、

もっぱらその行為をする様を表しますね。

 

しかし、

この「ただ」と言うのは口に出して言うだけでしたら簡単ですが、

実は実際に行うと、難しいんです。

 

 

 

例えば、

 

人から何かを頼まれてするとき、

「ただ」それを行えばいいところを

作業を進めていると…

 

「なんでこんな事を私がやらなければならないの?」

 

とか

 

「こんなことしても何の得にもならないじゃない」

 

と、その行いについて損得を考えてしまったり、

自分がしている行いに対して、

 

「(自分はこんな事をしてるんだよ!どう?見て!)」

 

と良く見られたい思いとか、

 

「すごい!」

 

と人から認められたいという思いが出てきてしまいます。

 

 

そうすると、

本来その目の前のことを「ただ」行えばよかったところを、

損得勘定だとか目立ちたいとか名誉欲が邪魔をして、

時に相手に嫌な思いをさせてしまったりそれが他に悪い影響をもたらしてしまうことがあるんです。

 

 

 

 

 

 

 

みなさん、「花」を想像してみてください。

 

花ってまさに「ただ」咲いているものではないでしょうか。

 

 

 

 

花は

 

「人に見せよう!」と思ったり、

 

「わぁ〜きれい!」

 

と思われたいがためには咲きませんよね。

 

ただ、ただ、ひたすら、無心に咲くだけなんですね。

 

 

 

しかし、

人間には感情というものがありますから、

物事に対して色んな思いが湧き上がってきてしまうことは当たり前なことです。

 

そして、

そんな花とは対照的に、

人間は色んな欲求、欲望が邪魔をしてどうも花の様に「ただ」で居られることは難しいんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ー「英語を勉強するなか、起きた事件」

 

そうは言うものの、

私もそんな「ただ」咲く花になれない一人でした。

 

 

それが顕著にでたのが、

私が学生の頃、海外でホームステイをした時のことです。

 

(以前のブログでも話ましたが、筆者は海外で留学歴があります)

 

 

 

当時、私は大学で語学を専攻していたのですが、

「英語をもっと勉強したい」というその思いで、カナダへ留学に行きました。

 

 

現地ではホームステイといって、

現地の一般のお宅にお邪魔して、現地のカナダ人の家族と一緒に一つ屋根の下で生活を共にさせていただきました。

 

そんなホームステイ先には、

・お父さん

・お母さん

・子ども(当時、高校2年生)

 

この家族に加え、

・日本人である私

 

そしてもう一人、

私と同じように韓国から留学に来てホームステイをしている韓国人の男の子、

・ソンくん(20歳)

 

がいました。

一つ屋根の下に、5人で暮らしていました。

 

 

 

まだホームステイを始めた当初、

韓国人のソンくんとは”同じ英語を勉強しに留学に来ている仲間”いうことで、

お互いにつたない英語でなんとか会話をしたり、

ときには一緒に買い物に行ったりと仲良くしていました。

 

 

しかし、そんな状況はいつの間にか変わり、

いつしかソンくんとは会話をしなく、お互いソッポを向く関係になっていったのです。

 

 

その原因となったのは、

私がカナダでの生活を始めて半年が経った頃のこと。

 

 

それはカナダでの生活も慣れてきて、

少し自分の語学力にも力がついてきたな、と感じてきたときのことです。

 

 

 

 

ある日、

いつものようにホストファミリーとソンくんと皆で夕食を食べ終えて、

リビングでテレビを見ながら話をしていた時のことです。

 

 

ホストファミリーが、私とソンくんに色々話を振ってきます。

 

 

「今日は学校どうだった?」

「友達はできた?」

「何か英語でわからないことはある?」

 

 

そう私たちに話を振ると、

私は我も先と会話に入り込み、ソンくんには喋らせまい!と、

まるでソンくんがその場にいないかの如く、ホストファミリーとの会話をしだしました。

 

当時、私は段々と英語を理解して喋れるようになってきて、

 

「英語が少し喋れるようになった」

 

と自分の中で感じたことで少し鼻が高くなっており、

まだ英語を喋ることがままならなかったソンくんに対して

 

”自分はあんた(ソンくん)よりも喋れる”

 

と言う傲慢な態度をとっていたのです。

 

 

また、ホストファミリーたちにも自分は英語を話せるようになったんだと見栄を張りたい思いも強まり、

そんな傲慢な態度と気持ちが表に出てきていたのです。

 

 

そんな態度が大きくなってしまった私は、

それからというものの時にソンくんのことを無視してしまったりしました。

 

 

そしてその結果、

私とソンくんの仲はギクシャクしたものになってしまったのです。

 

 

 

 

 

今思い返すと、本当に恥ずかしく、

なんとも悪いことをしてしまったな、強く後悔しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ー「自分の傲慢さを、気づかせてくれたもの」

 

そしてそんなギクシャクした関係が暫く続いたある日、

ソンくんが急に、私に話しかけてきました。

 

ソンくんは重い口を開いてこう言ったのです。

 

 

 

「ごめんね。」

 

 

 

その瞬間、

私は足の指先から頭の先まで、ゾクゾクっ!と震えが来たことを今でも覚えています。

 

 

ソンくんは、私たちの仲がギクシャクしていることに対して、

ソンくん自身が英語をうまく話せなく、コミュニケーションが取れないが故にギクシャクしてしまった、と

そう自分を責めて私に謝ってきたのです。

 

 

私はそれを知ったときに、

自分の本当に小さな心と哀れな姿、態度に

 

「ハッ」

 

と気付かされたのです。

 

 

このギクシャクした状況を作ったのは、ソンくんではなく、

まぎれもなく私だったんだ、

私がソンくんよりも英語を話せるということにいつの間にか鼻が高くなり、

見栄をはりたい、

そんな態度をとってしまったからこんな状況になってしまったんだと、

私はものすごく申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 

 

そして、私は「なんで今、ここでカナダにいるのか、私は何のためにカナダへ来たのか」

考えました。

 

私がカナダに来たのは「英語をもっと勉強したい」ただその理由で来たのであるのだから、

そんな傲慢な態度や目立とうとする気持ちは無くそう、

そう思い改めたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ー「日常生活でも「ただ」行う」

 

ソンくんの一言がなかったら、

きっと私はずっと見栄を張って相手に嫌な思いをさせたまま、

カナダでの生活を送っていたと思います。

 

この一件の後は、私もソンくんに「ごめんね」と伝え、

自分の行いを改めて、そしてカナダへ来た当初のようにただ英語の勉強に励み、またソンくんとの仲も良い関係に戻れました。

 

 

 

 

何も坐禅とか英語の勉強だとか、そういった特別なことだけではありません。

 

普段の日常生活の上でも、

かっこつけるためにとか、

認められたいがために行うのでは無く、

目の前のことを「ただ」行うことが大切なのです。

 

 

この話の初めに紹介した「只管打坐(しかんたざ)」。

 

 

これは何も坐禅においての教えだけではありません。

 

私たち日常生活にも生きる教えであります。

 

是非、この言葉を聞いて、自分の生活を振り返ってみるのもいいかもしれませんね。

 

皆さんこんにちは。

 

5月1日に元号が変わり、新しい時代になりました。

 

この新たな時代に居合わせた私たちは、

何かおめでたい気持ちになり、「なんだかこれもご縁だな」

なんて思いますね。

 

 

実はこの「ご縁」という言葉は、

お釈迦様が説いた大切な教えである「縁起」に由来する言葉であります。

 

 

(日本語には、実は仏教語が語源であるものが多くあるんですよ…!)

 

(例えば、「玄関」とか「大袈裟」とかとか…)

 

 

 

 

皆さんは「縁起」という言葉を聞いて、何を思い浮かべるでしょうか?

 

 

 

 

例えば、結婚式一つをとっても、

おめでたい日は縁起のいい日である大安の日にしようとか、

ご祝儀は縁起がよくて、夫婦が永遠に一緒に居られるよう願って、割りきれない縁起のいい数字の3を包もうとか、

私たち日常生活のあらゆる面でこの「縁起」は使われます。

 

 

しかし、仏教の世界ではまた少し違った意味合いでこの「縁起」という言葉は使われます。

 

 

 

初めに簡単に言ってしまうと、

縁起とは「縁(よ)って起こる」ということです。

 

 

 

どういうことかと言うと、

「この世のあらゆる物事には必ず原因と結果がある。」

また、

「物事がそれだけで存在することは無い」

ということです。

 

 

 

原因があるからすべての現象は存在する。

 

 

 

その存在が原因となって、次の結果がもたらされる。

 

 

 

そうした因果関係を見極めたのが、お釈迦さまの悟られた境地の一つでした。

 

 

 

 

よく、仏教でこの「縁起」を説明するときに例として引き合いにだされるのが、

花の例えです。

 

 

 

目の前に一輪の花があります。

 

 

目の前の花はきれいに咲いていますが、

しかし、花はまず、がなければ咲くことはできません。

 

しかし、ただ種があるだけでは花は咲きませんね。

何が必要でしょうか。

 

花になる過程で土や水や適切な温度や太陽の光がなければ、

「花」を咲かせることはありません。

 

この時の、この「種」となるのが「原因」で、水や光などが「条件」となって、そして花は咲きます。

 

いろんな条件に縁(よ)って、花になるわけですね。

 

 

 

 

実はこのお釈迦様の説いた「縁起」は、

みなさんの生活でも色んな場面で現れます。

 

 

他にはどんな事例があるでしょうか?

 

 

1つの例として、私の趣味である音楽から仏教の「縁起」をご紹介いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、趣味でオーケストラの団体に入っています。

 

もうかれこれ、小学生の頃から音楽が好きで、オーケストラや吹奏楽をやっています。

 

演奏する楽器は、パーカッションです。

 

パーカッションって、どんなパートだかわかりますか?

パーカッションは大太鼓やシンバル、ティンパニといった手とか体を使って叩く楽器の総称を言います。

またマリンバや木琴、鉄琴、時にはピアノなんかも「打って音を出す」と言う意味では、

パーカッションに分類されたりします。

 

そんな色んな楽器をやるパートがパーカッションです。

 

 

そしてオーケストラのなかで演奏される曲というと、

だいたいクラシックがメインになります。

 

 

クラシックで有名な曲というと、みなさんは何が思い浮かぶでしょうか?

 

例えば「威風堂々」とか「天国と地獄」、

よく運動会のかけっこで使われる曲は有名なクラシックが多いですね。

 

他にも多くのクラシック音楽があるわけですが、

皆さんは「ボレロ」と言う曲をご存知でしょうか?

 

 

名前を聞いて

「あぁ、あの曲ね〜♪」

と思った人もいるかと思いますが、

恐らく、どなたも人生で一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

♪タ~ララララララランラララーというメロディです。

 

(文字で音を表現するのは、なかなか難しいですね…)

 

 

 

このボレロなのですが、

なんと曲の冒頭から終わりまでひたすらこのメロディの繰り返しでずっと流れているのです。

 

 

(知らなかった人は、一度通して聞いて確かめてみてください♪)

 

 

同じメロディがひたすらずっと続いてる、

それだけ聞くと、

 

「え、すごく単調でつまらない曲じゃないか」

 

と思う方もいらっしゃるかと思います。

 

 

しかし、実は繰り返しのメロディの後ろでは、

小太鼓もまたずっと同じリズムを刻んでいます。

 

 

♪タン、タカタカタン、タタタン、と。

 

 

また更には、

小太鼓だけでなく、低音で伴奏をしているパートもあります。

 

 

♪ボン、ボン、(ウン)、ボン。

 

 

こういった裏で動く音楽によって、

ただのメロディでも盛大に盛り上がったり、時には小さく寂しげに静かに聞こえたり、

ボレロの中でも色んな顔をみせてくれます。

 

 

こういった後ろで鳴っている小太鼓とか伴奏も「ボレロ」の一部に入るわけですが、

もし、仮にメロディがなく、小太鼓だけが♪タン、タカタカタン、タタタンと鳴っていたらどうでしょうか?

 

 

恐らく、

 

「え?何の曲なの?」

 

そう思いますよね。

 

 

一部の人は

「あ、これはボレロかな…?」と直感が働く方もいるかもしれませんが。

 

また伴奏だけが♪ボン、ボン、(ウン)、ボンと演奏していても同じ反応になると思います。

 

 

では、メロディである

♪タ~ララララララランラララー

だけ聞こえていれば、

誰でも「曲の名前は知らないけど、これは聞いたことある曲だ」と思うから、「ボレロ」なんじゃないの?

と思うかもしれませんが、

しかしそれだけでは1曲の「ボレロ」として音楽は成立しないんですね。

 

 

「ボレロ」と言う曲は、

メロディがあって、裏で小太鼓が鳴って、伴奏もあって、色んな楽器が合わさってやっと「ボレロ」と言う皆さんが知っているクラシックの1曲として成立するのです。

 

 

 

 

最初に「花」を例えに縁起を説明しましたが、

このクラシック1曲にしても、

メロディから小太鼓から伴奏から色んな「条件」である楽器が合わさって、そして「花」としてボレロ、と言う曲の形になります。

 

 

 

 

まさに、色んな楽器が縁(よ)って起っているんですね。

 

 

 

 

 

そういうことで、

花にしろ音楽1曲にしろ、物事一つにとっても、

それ単体だけでは成立しないということです。

 

 

 

何事も「原因」があってそしてあらゆる「条件」があわさってやっと成立するという

「因果関係」で成り立っているわけです。

 

 

 

 

仮に、人一人をとって同じことが言えるのではないでしょうか?

 

 

 

 

私たちも、一人じゃここまで成長してないですよね。

 

育ててくれる両親がいて、食べるものがあって、一緒に過ごす友達がいて、とあらゆる物事があって今の自分が成り立っているのです。

 

 

 

 

 

きっとこの物事の成立を考えると、

皆さんの身の回りのことだったり、

はたまた自分自身について考えると、

何か大切なことに気付くのではないでしょうか。

 

 

 

 

今日1日を振り返ってみても、

朝電車に乗ってくるとき、電車を運転している人がいてここまでこれる。

 

もっと言うならば、電車を管理、整備してくれる人がいるから安全に電車に乗れる。

 

もっと言うなら電車を作っている人がいるから電車という乗り物にのってここまで来れる。

 

そういって私がここに立っているだけでも、

あらゆる物事が関わり合ってここに立つことができるのです。

 

 

 

 

そう考えてみると、

日常のあらゆる場面において周りに感謝せずにはいられないのではないでしょうか。