※この法話は、2019年12月4日に行われた内容です。一部編集しています。
12月8日は、成道会(じょうどうえ)の日になります。
…ん、成道会?
はて…?
というところでしょうか。
そもそも、仏教では大切な日が3つあります。
1つ目が、降誕会(ごうたんえ)
2つ目が、成道会(じょうどうえ)
3つ目が、涅槃会(ねはんえ)です。
字からも想像できるように、
1つ目の降誕会とは、誕生を祝う日になりますので、
お釈迦様がお生まれになった日を指します。
3つ目の涅槃会とは、
お釈迦様が亡くなられた日を指します。
では、2つ目の成道会とはと言うと…
お釈迦様がお悟りを開かれた日を指します。
(ちょっと解決)
そんなお釈迦様がお悟りを開かれた日、「成道会」なのですが、
皆さんは、この成道会に何か特別なことをされますか?
私はというと必ず…
ケーキを食べます!
こう申しあげると、
「え?お釈迦様がお悟りを開いた記念にケーキ?それじゃ、まるでクリスマスじゃない!」
と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
しかしこれには、訳があります。
実は、私の母の誕生日が、12月8日、そうです、ちょうど成道会の日なのです。
そこで、成道会に家族皆でケーキを食べて、母の誕生日を祝うことになる訳です。
そんな私の母の誕生日はさておいて、
12月8日は私の実家のお寺で成道会法要をお勤めしています。
この日は寺が1年で1番忙しく、
お参りされる檀信徒さんやお手伝いをして下さる和尚さんたちで大賑わいとなります。
市内在住の和尚さんが約10人馳せ参じて下さり、
そのお手伝いを得て成道会の法要をお勤めします。
お檀家さんも大勢集まって下さり、
さほど広くない本堂ですから人でいっぱいになります。
いつもは静かな寺も成道会の日ばかりはとても賑やかになるわけです。
この日の極めつけは、法要後に振る舞う食事です。
長い習慣で、煮物や香の物、ご飯、けんちん汁を振る舞います。
そんな食事を、参加者全員に振る舞うのですから、その準備は大変です。
当日は早朝から親戚や近所のおばさんたちが手伝いに来て下さり、
総出で食事の準備に精を出します。
文字通り、右往左往、走り回ってのご馳走です。
当然、私も幼い頃から、成道会の日は学校へ行く前にお皿洗いをしたり、
テーブルを並べたりと、手伝いにかり出され、
思い出深い日となっています。
そんな成道会の思い出話はこの辺にしておいて…
さて、お釈迦様がお悟りを開かれてから今日に至るまで、
多くのお釈迦様の教えが伝わっています。
仏教を専門に学び出して未だ三年な私ですが、
仏教を学んでみると、何気ない生活の中でも、
「これを仏教的に考えたらどうなのだろう?このことは仏教の教えと重なっているな!」
と、仏教の教えに照らして考えることが多くなりました。
また特に、忘れられないような衝撃的な体験や悲しみの体験を思い起こし、
「あの時、仏教の教えを知っていたならどう対処しただろうか?」
と、振り返って思うことが多々あります。
挫折や苦しみを実感した時こそ、仏教との出会いがあるみたいですね。
今日は、少し前にはなりますが、私が大学生のときにあったある出来事をお話ししたいと思います。
〈カナダでの体験〉
私は大学生のとき、1年間カナダに留学しました。
語学や異文化に興味を抱いていた私は、
一度は海外に滞在し語学の勉強をしたり、異文化に直接触れてみたいという思いがありました。
大学生だった私は、アルバイトもしていましたが、
留学できる程の資金を貯めることはできず、
親に思いを伝え留学費用を出してもらい、夢を叶えることができました。
この一年間のカナダ留学で、日本にいては経験出来ない様々な経験をすることが出来ました。
私が滞在したのはカナダのトロントだったのですが、
そのトロントで驚いたことは、路上で生活をするホームレスの多さです。
日本でもホームレスの方を見かけることはありますが、
トロントはその比ではないのです。
場所によっては路上数メートル間隔で1人といった具合で、驚く程に路上生活者が多いのです。
道を歩いていると、必ずと言っていいほど「Hey, man!」と声をかけられ
「Give me money」とお金をせがんでくるのです。
当時、ハタチの大学生で、ましてや親に留学資金を出してもらっている私に、
他人にお金を恵む余裕など、あるはずがありません。
そんな私は、「Hey,man」と声を掛けられるのが憂鬱でした。
その日は11月中旬でした。
この日とても冷え込んだことから、
トロントの街を行く人たちはコートの襟を立て、既に手袋を着用していました。
ホームレスの方は男性が多いのですが、
この日初めて見かけたのは、恐らくインドか中東系の方だと思いますが、
お母さんとまだ2〜3歳くらいの小さな女の子が路上に座り込んでいました。
地面に少し汚れて黒ずんだレジャーシートを敷き、
その上に体育座りをして頭の上から厚手の毛布を被り、
身体を覆って寒さを忍んでいる様子でした。
そして道行く人たちに声をかけたり、眼差しを送ったりしていたのです。
この光景を目にしてしまった私は、何とも切なく遣る瀬ない気持ちにかられたのです。
勿論、この時も人に恵むお金の余裕はありません。
「何かしてあげたい」
やむにやまれず親子に近づいた私は、
たった一つだけバックに入っていたキャンディーをお母さんに手渡しました。
親子二人に一粒のキャンディーで申し訳なく思ったのですが、
この小さな女の口に入れば、女の子はきっと喜んでくれるだろうと、
思い切ってお母さんに上げたのです。
しかし、次の瞬間、
私の目に飛び込んできた光景は、想像だにしないものでした。
何と、お母さんが無表情にキャンディーを自分の口に放り込んでしまったのです。
唖然とした私は、思わず
「なんであなたなの、子供に食べさせてやらないの?」
と、怒りを交えて訴えそうになりました。
しかし、当時の私はまだ英語を十分話せるわけでもなく、
ましてや変に絡らまれでもしたらと思い、何とも後味の悪い思いを胸に、その場を立ち去りました。
しかし、お母さんに視線を残しながら立ち去ろうとした私の目が捉えたのは、
お腹の辺りが少し膨らんでいるお母さんでした。
「あっ、このお母さん、お腹に赤ちゃんが?」
そう直感しました。
その途端、胸騒ぎにも似た思いが、心の中を駆け巡ったのです。
子供にキャンディーをあげずに自分が口にしてしまったお母さんに、
「人でなし!」
と怒りを感じた愚かな自分。
お母さんにはお母さんの事情があったのに、
何も分かっていなかった自分。
結局、私はちょっと良いことをしてみたかっただけの傍観者だったわけです。
自分を責め、自分を恥じました。
もしかしたら、お腹の膨らみは私の思い過ごしだったかも知れません。
しかし、少なくともこの母子が寒空の下、
路上で人の善意に頼らなくてはならない事情やいきさつも、何も知らぬまま、
例え一時の事とは言え目の前の女性に非難の眼を向け、怒りを覚えたことは事実です。
本当のところは分かりませんが、
もしお母さんのお腹に赤ちゃんがいたなら、
私があげたキャンディーはお母さんが舐めて、
お母さんと赤ちゃんのエネルギーになり、
引いては隣にいた小さな女の子の幸せにもつながってゆく、
ということも考えられますよね。
この体験を、仏教を学ぶようになってから振り返り、ハッとさせられました。
あの時、私は親子を見て可哀想に思い、キャンディーを差し出しましたが、
差し出しながら
「きっと母親は小さな女の子に食べさせるだろう」
という、自分の経験的法則から割り出した結果を予想し期待していたのです。
本来、差し出すときには無条件で差し出すべきものを、
自己満足の美談に似たものを期待していたのです。
だから、それが裏切られた結果となった時、
怒りが湧いて出たのだと思います。
つまり、自分の物差しで目の前の状況を測っていたのです。
〈寓話・群盲像を評す〉
世界に広がったインドの有名な寓話があります。
それは、
視覚に障害がある方たちが象の一部に触れて、象を評するというもので、
仏教経典の中にも、ジャイナ教やヒンドゥー教でも、
或いはイスラム教やヨーロッパやアメリカでも用いられ、
日本では19世紀初めに出版された『北斎漫画』の中に、この話を元にした絵が掲載されています。
今日は少し難しい話にはなりますが、
仏教経典『長阿含経』にあるお話を紹介させていただきます。
鏡面王という王様が10人の視覚に障害がある方を集め象に触れさせ、
それぞれに触ったものについて語らせるのです。
鼻に触れた人は「これは轅だ(ゆるい曲線をした馬車の梶棒)」と言い、
牙に触れた人は杵だと言い、
耳を触った人は、これは穀物のゴミを振るう箕であると言い、
頭を触った人は大きな鼎(古代中国の金属製の器のことで、現在の鍋や釜のような器)、
背に触れた人は丘阜(小さな山)、
お腹に触れた人は壁だと言い、
後ろ足の人は樹、
膝を触った人は柱、
前足の人は臼、
尻尾に触れた人は綱と答えた、とあります。
この教典が伝えるお話は、決して、視覚に障害がある方を揶揄しているわけではありません。
私をはじめ人間誰しもが、
自分の経験や知識に縛られて真実をありのままに、全体として捉えていない、
ということを説こうとしているのです。
先ほどお話しいたしました、カナダでの私の体験もそうです。
私自身は、当然母親が幼い子供に食べさせてあげるだろうと、
何の疑いも無く思っていたわけですが、
その親子の事情も何も知らぬまま、そうするだろう、そうすべきだ、と相手に期待していたのです。
自らの経験から割り出したことを信じて疑っていなかったのです。
私たちは、自分が見たり聞いたり感じたりしたほんの一部の情報から、
物事を解釈し、判断し、それこそが正しいと信じてしまうのです。
どうでしょうか、
皆さんも思い当たることがありませんか?
このことは、自分の立場や地位、プライドなどが関わってくると、更に顕著になりますよね。
例えば嫁と姑の争い、上司と部下、親と子、大きくは国際間の諸問題、
これらの諍いに見られるのは立場にこだわった意見や見解の相違です。
物事を一面だで捉えて理解し、判断し固執してしまう。私たち人間の悪い癖です。
〈縁起〉
お釈迦様がお覚りになられた「縁起の法則」は、
仏教の最も基本となる「物や現象に対する見方であり捉え方」です。
この「縁起」と聞くと、
恐らく皆さんは「縁起がいい・縁起が悪い」との言葉が思い浮かぶのでしゃないでしょうか。
実はこの「縁起」という言葉は元々仏教の言葉で、
今の意味合いとは全く異なるものでした。
お釈迦様がお覚りになられた「縁起」の法則は
「一切の存在や現象は、無限の関わり・関係性の中にある」
ということです。
つまり、私一人を考えても、
この世に誕生したことも、誕生してから成長し、
今この法話を執筆している私として存在していることも、
無量の無数のご縁を頂き、
今、ここに立っているということです。
無量・無数と申しあげましたが、
この頂いているご縁は、現代のスーパーコンピューターでもはじき出すことは出来ないでしょう。
日本には昔から「お陰様」と言う言葉があります。
ところが、この「お陰様」を英語で表現することはできないのです。
もし、他からの助力や応援がはっきりしている場合は、
「あなたのおかげで」を英語では「Thanks to」と言うことができます。
しかし、初対面の人との話で、話題が両親に及び、
「ご両親はお元気なのですか?」と聞かれると、
私たちは「はい、お陰様で」と答えますね。
ところが、欧米の人にとって一度も会ったこのない人のことで、
「お陰様で」
と言われたら理解に苦しむのです。
日本語を学んでいる外国人によると、
「おかげさまで」という表現は、「もったいない」などと並んで、
外国語に翻訳できない言葉の一つだそうです。
外国語に相当する観念がないのだそうです。
つまり、「お陰様」という言葉の裏には、
日本人が永年育んできた仏教の縁起や、八百万の神といった観念が生きているのだと思います。
成道会をお迎えするに当たり、
無量・無辺のご縁を頂いて生かされている縁起の事実に、
「お陰様」
と、素直に言える謙虚さを忘れないようにしたいと思います。
皆さんがご清聴くださったご縁で、何とかこの場を終えることが出来ました。
ご静聴、有り難う御座いました。 合掌