2020年 明けましておめでとうございます。
12/31~1/9まで地元に帰省しておりました。
地元へ帰って、はたと気づいたことがありまして。
僕はずっと「精神的な自分の所在」を探し続けているんだな、と。
今は親に対しての感謝やありがたみを
まじまじと感じてるので、実家の意味合いが変わってきたけれど
長年積み重ねてしまったコミュニケーションのせいで
実家は自分にとっての「所在地」ではなく
「休憩所」という位置づけ。
正直音楽は
「ノウハウを知っていて、戦いやすいフィールド」
という位置づけ。
結局どれも本当の所在地ではないわけです。
自分にとって「所在を確保する」という意味は
「パートナーを探すことで、自分を守れる絶対的なスペースを
確保する」ということ。
そりゃ、必死こいて守ろうとするよね。
所在を失えば、ただの迷子になってしまうから。
めんどくさいのを承知で言います。
ずっと迷子なんです。
いろんな人の些細な嘘に傷つきまくって
結局心底誰かを信用しきれなくて
死ぬまで安心できる場所が欲しいと、ずっと願っている。
傍から見てもめんどくさいやつなんです。
帰省中に僕は師匠と慕う人と飲みました。
今でも大切に思う人と師匠は僕と共通の知り合いです。
僕は師匠に割と洗いざらい話しました。
そして、安心したのかめちゃめちゃ酔っ払いました。
ちょっとセンチメンタルな感情もあったと思います。
本気で忘れるくらいなら 泣けるほど愛したりしない
その通りだなと思いました。
所在のなさを痛感して、長いのか短いのかわからない
自分の人生への虚しさが溢れたこと。
親への感謝と、親不孝でごめんなさいという申し訳なさと。
いろんな感情が渦巻いて、最終日の帰路は
ほとんど泣いていました。
僕はずっと所在がない。常日頃そう感じています。
きっとこれは死ぬまでに答えが出るか、出ないかの課題だと
思います。
幸せってなんでしょうね。