大学を卒業する少し前の2007年の冬頃、技術独立永住ビザを申請しました。


申請は順調に行ってポリスチェックと健康診断までを終えたのですが、そこで健康問題が発覚してビザ申請を取り下げました。当時の移民エージェントはここまで来ればもう大丈夫という感じだったので本当に青天の霹靂の出来事でした。あまり詳しい内容は避けますが、学校を卒業してすぐに日本に帰国する事になります。


当時は豪州に住み続けたいという気持ちが強かったのですが、ビザが取れないのと同時に通ってた教会や仕事、築いてきた人間関係を全て失うという現実が待ってました。完全に失意と失望の中で日本行きの飛行機に乗った事を鮮明に思い出します。この先どうなるのか。


仕事に関していうと、学校を卒業すると同時にフルタイムのオファーをもらってました。なので帰国前に会社にオファーを受けられないのと帰国する理由を話しました。私はその頃ずっと放心状態で残りたいのに残れない悲しさに泣きながら話してたけど、上司(MD)も話を聞きながら静かに涙を流してた事が今でも印象に残ってます。



帰国直前になりその上司、当時の形式上のマネージャーと人事との話し合いが持たれました。そこで私は日本に帰国後も一先ず半年くらいを目処にプロジェクトの続きをリモートで行う事、会社はその間に就労ビザの取得について模索をする事などで同意しました。会社も私も就労ビザの事はよくわからないしそれが私の状況で現実的かどうかは誰もわかりません。でも豪州でまた働けるかもしれない可能性を1ナノミクロンくらい(笑)残った形で私は豪州を去りました。



そしてこの会話こそが私と豪州ビザとの長い付き合いの始まりでした。その時はそれから16年以上もビザと向き合う事になるとは想像すらしてませんでした。