流れていく洗顔フォーム

流れていく洗顔フォーム

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!
久しぶりにブログを書きます。

私の主人は昨年の7月下旬に脳腫瘍と診断されました。

7月下旬 K病院 検査→即入院
減圧開頭手術 7月下旬
摘出手術 (6割摘出)8月初旬
術後 低ナトリウム血症 ICUへ戻る。
点滴と薬で何とか落ち着く。

8月中頃 入院してようやく落ち着いた状態になったため、
改めてセカンドオピニオンにJ医大 M教授に受診。

手術後の転院は難しい。
J医大であってもこのサイズの腫瘍は取ってこれない。
手術も上手くいってるし、治療方針も問題ないからK病院で治療を続けてみては、とのアドバイスをもらう。
またいつでもおいで、と言われる。

放射線治療+化学療法テモダール開始 9月初旬
10月初旬 週末の外泊許可で自宅に帰った際、てんかん発作で救急車で運ばれる。
MRIで腫瘍が広がっている様に見られる。
偽の増悪(スードプログレッション)か再発か判断つかない。スードの可能性が高い?
10月下旬 放射線治療+化学療法終了
退院目前だったが、MRIで前回よりさらにモヤが大きくなる。この広がり方は再発との主治医の判断。再手術かアバスチンの選択を迫られる。
セカンドオピニオン2回目 J医大M教授も9割主治医に同意。
再手術をすると左半身に麻痺は間違いなく残る。
J医大では年末まで手術のスケジュールが埋まってる。
帰れる内に本人の希望を叶えてあげな、と言われる。
落ち込む。

手術前にK病院の主治医から、
運動機能には影響が残らない様に取って来ます。
と言って貰える。

11月初旬 2回目の摘出手術 造影される腫瘍はすべて綺麗に取って来てくれ、
半身の麻痺も残らない大成功の手術をしてくれました。

取って来た腫瘍の手術中の所見は、
再発にしては腫瘍の密度が低く、ほとんどが壊死のようだ。とのこと。

病理結果を待っている間、
ホウ素中性子補足療法BNCTの話を聞きにO医大M教授にセカンドオピニオンを受ける。
放射線の専門家だけあり、MRIと紹介状を見るとすぐにこれはスードだ。
これから安定していくよ。と言って貰える。
救われる。

その次の週、アメリカでの学会でO医大M教授が主治医と直接話をしてくれた。

病理結果が出て、ほとんどスードであるとの回答がもらえた。

12月初旬 退院
化学療法テモダール継続
主人の実家の愛知県へ療養。
退院後は東京へ診察に通えないので、
N大N教授に月に一度診察して頂いています。
N教授への紹介も、全国脳腫瘍学会が11月下旬にあり、
そこで愛知県の教授と主治医が直接お話をしてくださり、
退院後の病院含め紹介を通して下さいました。

1月下旬 私の会社が転勤させてくれて、愛知県へ転居。

現在 再発なく、元気に暮らしています。


ざっくり書くつもりが、
あれもこれもとついつい長文に。。。

以降さらに忘備録的に思い出しながら詳細に書いていきます。




主人と私は建築士です。会社は別ですが。
仕事柄、長時間パソコンと向き合い、
詳細図を書くため、目の疲れから頭痛を起きることがよくあります。
さらに片頭痛持ちの家系でもあり、
頭痛薬を常用していました。
三十代の主人がまさか脳の病気とは思わず、
はじめは町医者の内科にかかり、
風邪と診断され葛根湯を処方されました。
二週間経っても治らないならまたおいで、
と内科は言いましたが、一向に良くはなりませんでした。
当たり前です。
その間も腫瘍は育っていたことでしょう。

運動機能には影響がなく、てんかん発作も起きず、
言葉も至って普通に喋れておりました。
仕事もしっかりしていた様です。

頭痛とごくたまに鉄の匂いがする、と主人は言っていました。
※鉄の匂いは、のちに幻臭の症状だったと知りました。

頭痛は治らず、突然嘔吐して、これは本当におかしいと個人の脳外科にかかり、脳腫瘍が発見されました。

そこから割と近いところにある、K病院を紹介されました。

右前頭葉に出来た腫瘍は、MRIの画像で見る脳の5分の2くらいの大きさに見えました。
頭蓋骨に囲まれた脳は、腫瘍の圧迫を流すスペースがないため、脳幹にも影響を与えていました。

脳幹は命を司る場所で、脳幹を圧迫することは死に繋がると説明してをうけ、すぐに減圧開頭手術が必要と言われました。
検査から緊急手術とあっという間の出来事でした。
脳腫瘍の権威だとか、悪性だとか良性だとか必死に調べても、セカンドオピニオンを聞きに行ける余裕はありませんでした。
時間的にも、主人の体力的にも。

減圧開頭手術の後もすぐに、摘出手術の予定も組まれ、
8月の初めに手術も行われました。

10時間を超える手術でした。
ICUに戻った主人は言葉も話し、私を探していました。
驚いた事に、主治医は取った腫瘍を見せてくれました。
摘出した腫瘍は、全体の6割。
それでも私のこぶし大の大きさがありました。

幸運にも主人がかかった大学病院はとても誠実に丁寧に主人の命を救ってくれました。

きっと色々とお調べになられている方々は、
脳腫瘍 膠芽腫は9割摘出してこないと生存率が下がるという情報を目にした事があると思います。

有名な大学病院でも摘出率など謳っておられますものね。

でも、主人の腫瘍は大きすぎて一度の手術では取れない大きさだったんです。
摘出手術前ではグレードも2か3との予想の元の手術。

全部の腫瘍を取ってこようとすると、リスクが高すぎるとのことでした。

なので、主治医は手術前にも丁寧にわかりやすく説明をしてくださり、宣言通りの6割を安全に取って来て下さっていました。


あ…こんな時間。。。
明日も仕事なので、今日はここまで。。。
主人という言葉、入籍して4ヶ月経ってもなかなか慣れなくて。

夫?
旦那?
旦那さん?
旦那様?

うーん。主人、、、かな?

って思いながらもなかなか使う機会もなくて。

テレテレ照れながらたまにこしょばゆく思いながらも、
『うちの主人が~』なーんて、使ってみたりしてた。
宅急便や役所とかでね。
友人の前とかだと、恥ずかしくて結局、名字で話に登場させてた。
自分も同じ名字なくせに。

でもね、
こしょばゆさ、
ここ二ヶ月でなくなっちゃった。

病院という場所では、
彼は私の夫で、
私は彼の妻です。

夫婦という関係は絶対に必要不可欠で。

『主人が』『主人は』『主人に』『主人と』

主人という言葉を発することに慣れてしまった私がいる。
病院という場所で、
病気というきっかけで、
私は彼の妻であり、
彼は私の夫であることを深く強く感じることとなったわけで。

ちょっとさみしい。
弱音を吐かせて貰いますが、
こんなきっかけで、慣れたくなかった。
もっとゆっくり、じっくり、のんびり、夫婦のぬくもり、こしょばゆさ、感じたかったな。

すごくすごく、今の私達は急ぎ足で夫婦の絆を深めていってる。
日々、強固な物となっていってる。

それはそれでとても幸せなことと思おう。

大好きなあなた。
私の主人。
あまりにも久しぶり過ぎて、
書き方を忘れている自分がいます。

元々、名前負けというハンドルネームは、
私の旧姓が、とてもハッピー野郎な名前だったからで。

今年の3月1日に入籍して、私の名字は変わったので、名前負けっていうハンドルネームは存在意義を持たないことになるのだけど。。。

とりあえず続行してみよう。

読者登録しているブログへコメントを書こうとしまして、
あまりにも長文になってしまったため、
人様のブログのコメント欄にご迷惑をおかけするもんじゃないな、と自分のブログに書いてみようと思いました。
(我ながら変わったきっかけだなぁ。。。)


いきなり書き始めてみる。
脳腫瘍に主人がなって、
摘出手術を終え、
現在は放射線治療と抗がん剤テモダールの治療を行っています。
今回はテモダールについて。
テモダールは空腹時に効果がある薬。
主人の病院では夜中の3時からは絶食。
6時半に吐き気止め。
7時にテモダール。
9時に食事解禁。
絶食時もお茶や水は飲んでよし。
紅茶、ハーブティーもオーケー。
でも、コーヒーはダメ。
カフェインが理由な訳ではないらしいけど、
コーヒーはダメと言われてしまって、
朝一、私が出勤前に、我が家で挽き立ての豆で入れた、主人の大好きな浅煎り豆の酸味の強いコーヒーを届けることができなくなってしまった。

コーヒー入れてくれなくなったね、
と拗ねて寂しそうな姿が可哀想で辛かった。

主人は寝ぼけてご飯食べちゃったり、ジュース飲んじゃったりする状態なので、
夜間は看護師さんに冷蔵庫の中身を預かって頂いてます。
それでも持っていき忘れる看護師さんも中にはいらして、
そんなときに限って主人もタイミング良く目が覚めてしまい、
ゴクゴクと野菜ジュースを飲んでしまったりして。

私が職場に着く頃、
彼から『野菜ジュースうまし!』なんて嬉しそうな写メが届いて。
ニッコリしそうになったけど、
まだ9時になってないことに気がついて、
まあ真っ青になりました。。。

その日の夜、たまたま声をかけて下さった薬剤師さんが、
私がひどく落ち込んでるのを見て、
『食事をした場合の薬の効果は10%落ちる程度だから心配しなくても大丈夫ですよ』
と教えてくださいました。
あまり思い詰めなくても大丈夫、
というアドバイスをしてくれた。
ということはわかるのですが、
10%『も』落ちてしまうと受け取ってる自分もいたりして。
なかなか、気持ちの持ってき方が難しいです。