こんにちは、

障害者自立生活センターIL•NEXTでインターンを

させていただいている、田園調布学園大学1年の

サヤです。


障害者自立生活センターIL•NEXTは、根岸駅から

徒歩20分ほどのビルの1階にあります。


毎日、利用者さんのお買い物について行かせて

いただいたり、切手貼りのような普段行っていらっしゃる活動に参加させていただいたりしています。

利用者さんが、何を必要としているのか、何がしたいのかを直接聞き、分からないことがあれば再度

聞き返すやり取りは、慣れないうちは正直とても

大変でした。しかし、段々慣れてくると、言葉を

聞き取りやすくなったり、失礼にならない聞き返し方を見つけたりして、少しずつですがコミュニケーションが取れるようになりました。


様々な活動の中で、特に印象的だった822

(金)の「養護学校はあかんねん!」というDVDを視聴し、意見交換をした際に感じたことを共有させていただきます。


「養護学校はあかんねん!」とは、1979年の養護学校義務化に対し、反対運動を行った障害者たちのドキュメンタリー映画のことです。

インクルーシブな社会や教育を求めて、1月26日~

31日にもわたって運動が行われていました。

視聴中に特に感じたことは、社会や人々は、他者の人生に対してとても無関心だということです。必死に反対運動をする障害者に対する、文科省の人たちの冷たい態度。街行く人たちの、まるで見えていないかのような素通り。

誰かが何かをしていても、周りは気にも留めません。(私自身、選挙の演説やビラ配りの人の話を集中して聞こうと思ったことは一度もないので、

決して他人事ではないなと思いました。)

では、なぜ他人は他人に無関心なのでしょうか。

理由は人それぞれだとは思いますが、その一つとして、相手を知らないからというものがあると思います。障害者の現状や、どのような障害なのかを知らないから、何に困るのか・何を求めているのかを理解することに時間がかかってしまうのではないでしょうか。

これは、IL・NEXTの代表をしていらっしゃる渋谷さんや、DVD内で反対運動をされていた方々の「みんなが同じ場所で勉強する・生活する」という思いに繋がっているのだと思います。

小学校のうちから、障害者も健常者も、誰でも一緒に生活することができたら、知らないから・怖いからと見て見ぬふりをするのではなく、知っていることがあるからできることがあるかもしれない、と

行動できる機会が増えるのではないかと思いました。関わる機会が少ない人とは、必然的に壁ができ

てしまうものですが、身近な存在として常に近くに

いる人とは、身構えることなく接することができると思います。生産性だけを追い求め、そのスピードについて来られない人を払い落としていたら、

利己主義の生きづらい社会になってしまいます。

他者に関心をもって、認め合えるインクルーシブな

環境を「普通」・「当たり前」にしていけるといい

なと、とても感じました。


私は最初、個人的には、特別支援学校と普通校が

分かれているのは良いことだと思っていました。

それは、自分自身が、みんなと同じ場所・スピードで授業を受けることが辛かったからです。しかし、

私はクラスが一時的に分けられることはあっても、

居場所はみんなと同じ教室にありました。

色々な人と一緒に生活することは、辛いことや

腹が立つこともたくさんありますが、気づき、

考え、成長することも多くあります。学校自体が分かれていては、そもそも気づくことから始まりません。私はどうしても、障害によっては、個別で

その人のペースに合わせて勉強をすることが必要だと思ってしまいますが、学校は分けるのではなく、

誰でも同じ環境にいることができると良いのだと

考えが変わりました。

障害があってもなくても、自分の望む生活を、

自分で選び、決定していけるように、選択肢を増やしていける社会になるように、今の自分の「当たり前」を疑っていきたいなと思いました。


↑切手貼りの様子


↑「養護学校はあかんねん!」についての意見交換