「いもうと」って、どんな存在?

私は姉なのでちょっとよくわからない(きょうだいからは横暴と言われている)。

机を引っかき回して、人のものに落書きをして、よだれを垂らして逃げて行って、都合が悪くなると泣いていた記憶がある。

主人公の男の子は、妹がしでかしたことに大層怒っている。

男の子が大事にしていたものを、妹が遠くへやってしまったから。

「ぶっとばしてやろうかと思った」はよくわかるなぁ。

でも、ぶっとばしたところで問題は解決しないのだ。

 

「いもうと」をこらしめる方法を男の子は色々考えている。

巨大蛇に巻き付かせる、というのは現実離れしていてちょっとかわいい。

悔しくて、怒って、暴れて。

それでも「いもうと」を許してまた仲良く遊べるようになるのは本当にすごい。

大人はそんなこと簡単にできるかな?

 

子供の、ごめんね、いいよ、の素直さと優しさは大人が学ぶべきところ。

子供達にこうしなさい、という戒めとしては本書を読まないようにしたい。

あなたはこうできる?じゃなく、子供たち自身が考えられるように。

親はちょっとがまん、だ。

 

2013年の発行。

もう10年以上前の話だから古臭くなって…いる訳ではない。

それは日本社会の成熟度がまだまだということの証だが、少しずつ社会は変わってきているのは間違いない。

今は勇気を持った女性たち(もちろん男性だって被害に遭うけれど、性被害に遭う多くは女性だ)が傷つきながら声を上げている。

どれだけ辛いか想像を絶するが、同時にそのことがどれだけ他の人々に勇気を与えているか知っていてほしい。

 

さて、本題。

各章には短く「レッスンまとめ」がある。

ほとんどのセクハラはグレーゾーン、という指摘には大いに頷く。

第四章の「女性はなぜはっきりノーを言わないのか」は皆に目を通してほしい。

嫌なもんは嫌なんだ。

でも、波風立てて仕事に支障が出るのも変な噂になるのも嫌なんだ。

だからこその「ダメですよぉ」「またそのうち~」。

って何回も言ってんだろが、気付けよ!(この後に続く各種罵倒の言葉はお考えあれ)

でもなぜだか気付かないんだよねぇ。

心の中はこう↓

勝手に人に触んじゃねえよ!

お前に費やす時間はねーの、おごられたって食事行きたくねーの、意味ワカリマスカ?

 

笑ってしまうのは、中高年男性がモテるのは、地位と権力が9割がた。という指摘。

だははは!!そらそーだ!ぐっへっへゲホゲホゲホ  カーッ ペッ

 

さてさて、これはひとごとではないのだ。

「ちょっと触られたくらいで女が騒ぎ過ぎ」と言っているようでは今時の意識に欠けすぎだ。

断ればいい、減るもんじゃない、好意なんだから、そんな言葉が隠してきたのは、「いやだ」というただ一言。

潰してきたのは「自分も他人も尊重する心」。

 

「今は厳しくなったから」ではなく、そもそもやるべきではないこと。

人の嫌がることはしない。

やってしまったらごめんなさい、繰り返さないことがだいじ。

で、そんなことは私も子供たちに毎日言っている。

 

もちろん事実認定が重要なことは言うまでもないが、改めて、人事担当者、管理職だけではなく、男女関係なく、読んでおいて良い本だ。

付け加えるなら、日本には金も人も土地も資源もない。

だからこそ、私は人を大切にすること、育てることで日本がリーダーシップをとってほしいし、そうなれると信じている。

 

 

 

京極夏彦の作品の中では比較的薄い。

厚さは文庫でたったの2センチだ。

 

さて、時は文明開花:御一新から時のたった明治二十年代。

書楼弔堂(しょろう とむらいどう)という変わった屋号の本屋の物語。

そこにやってくるのは東洋大学の祖、井上圓了や泉鏡花と言った歴史に名を残す人々。

彼らがそこで出会った本は、彼らの人生をさらに高みへ連れていく。

 

「人が大人になるように、国も文化も大人にならなくてはいかん」(258頁)

「出来ることを出来る範囲で遣れ、出来ないならば大言壮語を吐くな、出来ると云っておいて遣り遂げられるなら、その時は威張っていないできちんと償え」(326頁)

 

私は管理職ですらない、表彰もされたことがないいたって普通の、つまり一般社員。

国の要職についているわけでもなければ、ウェブ上にだってどこかに影響力のある人間ではない。

けれども、人を育てる立場ではある。

自分のためだけではなく、誰かを育て未来をつなぐために、こうした言葉はたくさん自分の中に入れておきたい。

素晴らしい言葉に見合うような大人物になれずとも、私のような名もなき人々が歴史を、社会を作ってきたから。

 

本は不思議だ。

確かに読まれなければ死んでいる。

だが、ある日出会うべきして言葉は惹かれ合う。

この本屋が、私を読んだのかもしれない。

そういう意味では、私は確かに書楼弔堂に、行ったのだ。

 

 

同シリーズ、『堕ちる』より、私にはホラー要素が強く感じた。

 

「ココノエ南新町店の真実」

・何かわからないものに対する恐れ

・人が狂気に囚われていく様

・何が正しいのかわからないこと

これら三つがうまく組み合わさって、じわりじわりと気味の悪さがやってくる。

ジャパニーズホラーそのものといった、ねっとりと絡みつくような薄気味悪さ。

 

「828の1」

何かわからない、それが恐怖というものだ。

「これか、なーんだ」「何も意味なんかないじゃん」「全然こわいことじゃなかった」となった後。

背中に迫る死の予感。

ほっとさせて、落とす。

これが怖さを引き起こすテクニックなのだと、以前、お化け屋敷クリエイターが話していたのを思い出した。

 

「にえたかどうだか」

童歌は意味がわからなかったり、よく考えてみると薄気味悪かったりする。

そんなイメージを上手に落とし込んだ作品。

よくわからないけれど聞こえる声、子供、ボサボサ頭の薄気味悪い隣人。

あぁ怖い怖い…

「あーぶくたったにえたった…」歌ったことがあるから、頭の中で歌が鳴る。

でもよく考えてみると、誰もが知っている童歌じゃないと、頭の中で音楽は再生されない。

違う文化圏だとこうしたモチーフは怖さを感じにくいのかもしれない。

私たちがマザーグースの詩を読んでもピンとこないように。

 

「風来たりて」

これは物語も面白いが、何より最後に登場する人物に、少し興奮した。

つい著者の新刊情報が出ていないか検索してしまった。

 

 

Xでも、素敵な空の写真をいつも投稿している著者。

雲研究者だけあって、面白い雲の写真がたくさんある。

何より驚いたのが、雲の分類一覧。

十種雲形は中学受験で覚えたような。

でもそれをはるかに超える細かい区分。こんなにあるの?!

巻雲だとか積乱雲などどんな雲かわかるけれど、「フラクタス」「アスペリタス」に至ってはなんのことやら。

でも大丈夫。由来や意味もちゃんと解説してくれる。

 

本書のいいところは、小学生でも読めるように、漢字にはすべてルビ(ふりがな)がふってあるところだ。

だから、好奇心旺盛な子供たちには読んで欲しいし、意味がわからなくても写真を眺めているだけでも十分楽しいと思う。

学びの楽しさはそこにある。

 

新しい知識を得たら、空を見上げるのが楽しくなる。

雲が動物に見える現象のことは「パレイドリア現象」。

人の顔に見えるのは「シミュラクラ現象(類像現象)」というのだそうだ。

 

本当に面白くてためになる。

気象予報士、勉強して資格とってみたいな!(勉強好き、でも今の仕事のどこに使うんだ?)

彩雲はいつか絶対見てみたい!

 

空を眺めるのが楽しくなる、けれど、ちゃんと前は見て歩こうね。