アルマダと秀吉の唐入り
井沢逆説ワールド

 1588年(天正15)スペインは英国に進攻を図った。
このときスペイン無敵艦隊がネルソンの英国艦隊に敗れ、
世界帝国の座が英国に移る。

 さてその頃、世界はポルトガルとスペインの世界分捕り合戦
であった。
東洋ももちろんその渦の中、フィリッピンは、1565年に
スペインの300人の武装集団により、既にスペインに拠点を
確保され、その後の植民地化へと進む。

 さて、わが日本はその時どのような状況であったか。
信長、秀吉の時代である、本能寺の変は1582年である。

 戦国の世が統一される時期で、勝ち残ってきたリーダーに
率いられる軍団の戦闘能力は高い。
どうやら侵略先兵といえる宣教師たちは、日本は手ごわいと
思ったらしい。

 ザビエルは、日本を視察した後、さっさと中国への布教へと
向かっている。

 一方、信長は宣教師たちから得た情報で大陸への進攻を視野に
入れていたという。
また、秀吉はイエズス会の明征服計画を察知し、戦闘力不足を
知っていたという。

 秀吉は唐入りの前、宣教師に二艘の外洋航海船の提供を依頼して
おり、宣教師たちは、中国侵略の武力には本兵が使えるとした
報告をバチカンにしていたという。
もし、この同盟が成立していたら・・・。

 ある宣教師の日本への露骨な侵略欲がなかったら、東アジアの
歴史はどのように変わっていたか。

 歴史にifはないというが、面白い。