関東鉄道事故・病院で取材攻め
私の住む町

 収容されたのは駅近くの病院だった。
後でこの病院に収容された負傷者の中の1名が死亡したことを
知った。

 住所・氏名・連絡先・勤務先などを聞かれ病室に案内された。
病院着とベッドが与えられた。
4、5人が収容されていたように思う。

 簡単な問診を受け、打撲を受けたらしい箇所を告げレントゲン
を撮った。
病室に戻って安静にしているようにとの指示に従い、それぞれの
病室に戻った。
そろそろ、負傷者たちの家族も病室に現れていた。

 そのうち、病院の食堂に昼食が用意され皆で食べた。

 食事が終わり食堂でゆっくりお茶を飲んでいる時であった。
突然、どやどやと大勢の報道陣が食堂まで入ってきた。
あっという間に、私は報道陣のカメラとマイクに囲まれてしまい
否応なしに取材を受ける羽目なった。

 矢継ぎ早の質問攻めにあった。
鉄道会社、運転手や車掌に過失や責任に関する仮定の質問が
多かったように感じた。
また、繰り返し聞かれた。

 事故にあった当事者としては遭遇した事実は答えられる。
しかし、心理的にパニック状態になっている事故被害者に仮定で
白黒を誘導するような質問には答えられないと思った。

 同じ質問には、「先ほども申し上げたように、なになにです」
と事実だけを繰り返し答えた。
自分でも不思議な感覚だったのだが、冷静に対応しているなと
思いつつ質問に答えた。

 結構長くインタビューを受けたように思うが定かではない。
インタビューが終わり病室に戻って、同室の人やその家族と
事故に関した話をした。
一人の高校生は、まだパニック状態で家族に話している内容が
支離滅裂であった。

 やがて、大きなケガのない人やレントゲン写真で異常がない
人たちは帰宅して良いとの指示があった。

 私は、家内の持ってきてくれた衣服に着替えて家内とともに
何食わぬ顔で病院をでた。
駅の上空には、まだヘリコプターが何機か旋回を続けていた。

 ほどなく自宅に着き、リビングでお茶を飲んだ。
まだ、夢心地だった。