革命前夜のこと
海外こばれ話

 2回目のテヘラン滞在は約8か月、革命前夜を経験した。

 革命2、3ヶ月前から急に街中が騒がしくなってきた。
夜な夜な“アラーは偉大なり”のシュプレヒコールが起こっていた。
シュプレヒコールの後に乾いた銃のパンパンという音もしていた。
朝になると何ごともなかったような通勤ラッシュの中を仕事に
行っていた。

 ある日、仕事を終えて客先の建物を出ると、街のあちこちから
煙が上がっていた。
午後4時ころであったと思う。
街の銀行、酒店、映画館が焼き討ちにあったと後で聞いた。

 私を入れて4名は、二手に分かれてタクシーで40分程の
事務所へ戻ることにした。
火も消えやらず騒然とした中を通訳のスタッフと二人、緊張に
押しつぶされそうになりながらのタクシー行であった。

 事務所の中も騒然としていた。

 何日か後、情報収集の末、撤退と決まった。
JALは既に欠航されていた、脱出はエアフランス。
脱出当日、飛行場までの街路はところどころにバリケードが
あったり、火をつけられた瓦礫がくすぶっていたりした。

 何度か迂回し空港着、出国手続きを済ませ飛行機へ向かう。
みな緊張の面持ちで、遠くにぼんやり浮かぶ白いボディの
エアフランス機に向けて歩いた。

 座席はいろんな国の人たちで満席だった。

 少し時間は遅れたが無事離陸、拍手が沸いた。

 機内の時間は意外と短かった。
久々に飲むウイスキーが効いてひと眠りしたと思ったら、
シャルル・ド・ゴールへ間もなく着くとのアナウンスがあった。

 着陸時の少しの緊張があり無事着陸、拍手が沸いた。

 空港ロビーに入った、そこにはイラン革命など知らぬがごとくの
正月をヨーロッパで過ごした幸せそうな日本人観光客が溢れていた。

 ホッと力が抜けた。
パリ着1979年1月3日であった。