母は一命を取り留めた。人工呼吸器も気管内挿管も二週間程度で外された。主治医も看護師もわからない…それだけ。
父親は母の急変に疑いはなく主治医からの説明もただうなずくばかり。
父親の反応は予測出来ていた。穏やかで人を疑ったり責めたり出来ないタイプの人間。夫婦仲はよかった。母は自分の両親と同居してくれていた事に凄く感謝をし生まれ代わっても父と結婚したいと言っていたのを思いだす。父と母は見合い結婚。母の父私にとっては祖父になるがこの方が色男で酒、タバコ、女そして子供までいたとか…
母も祖母も随分と苦労をしたらしく。母は酒もタバコもしない真面目な人がいいとを父を選び結婚した。だが結婚してから父は酒、タバコを覚え母は騙されたと言ってました。
母の意識ももどり点滴や尿の管も少しずつ外されました。ただ母には大変な後遺症が残りました。低酸素脳症による四肢麻痺と言語障害。心臓が停止してから発見が遅くその間、脳が酸欠状態になり脳に障害が残る状態。母は何がどうなったのか覚えていなかった。
私は毎日、早朝から夜の面会時間がすぎるまで看病にあたり状態を記録してました。その中に私はこの様な文章を書き記していた。私は母の手となり足となるだから安心して生き続けて下さいと…。
次回へつづくクローバー
始めに…初めてのブログで同じものを二回も更新してしまった長音記号1ダウン失礼しましたガーンプロフィール見てもらったらわかりますがただのテレビ好きのおばさんですテレビ文章の読みにくさや組み立ての悪さ誤字脱字など見逃してね長音記号1パー 宜しくお願いしますにゃーチョキ
さぁ病院に行こうと思ったその時に電話が鳴った。嫌な予感がした。
私の勘は当たった。宝くじ、競馬、競輪、競艇では当たらないのに…。
最愛の母が入院したのは昨日…元気に入院したのに…。私は兄と二人で病院に向かった。あの時の事は死ぬまで忘れられないだろう。
病院に到着。母はどこ?とナースステーションの前で周りを見渡す。看護師はバタバタと走り回っている。母は病棟の救急治療室の様な部屋にいるようで中に入れてもらえない。しばらくすると母はストレッチャーに乗せられ重症部屋へ移動されていた。私はその時に自分の勘以上の事が目の前でおきていた。私は両手で口をふさぎ悲鳴の様な声を出した事を記憶している。その母の姿は気管内挿管をされアンビュウで酸素を送り込まれ意識はなかった。
涙が溢れてとまらない。足もすくんで動かない。兄が私の肩に手をおき大丈夫だから…と震える声で言った。
母は少し前から食欲がなかったらしく検査結果で腎不全になりかけており治療の必要性があるためある病院を紹介された。今日は腰椎麻酔により手術が行われた(尿道からステントといわれるストローの様なものを入れる手術) その三時間後、母の心臓は停止した。六人部屋の同室者が気づきコールして発覚。術後でモニターをつけていたはずなのに…。看護師によるとバイタル(血圧や脈)は異常なかったとの事。 不思議な事に母は私に今日手術がある事を知らせてくれてなかった。たいした手術じゃないから言わなかったのだろうか…?聞いていれば私は付き添っていたのに!でももう遅い。事は起きてしまった。
主治医はわからないの一点張り。もちろん自分の非を認めたりしないだろう。私は誰が悪いとかより母を救って欲しいその一心だった。
次回へつづくクローバー