家庭の中で、親に守られながらほわほわと生きていた子どもが、
やがて学校という集団生活の中で生きなければならなくなる時がやってくる。
そこで、日々問題が勃発するわけだ。これまでのように何をやろうにも、すんなり
いくということがまずない。そんななかで、わがままを通していれば、やがて
はぶられるか、逆に先手を取れば親分になって誰かをいじめはじめる。
学校側は、なるべく早いうちにその予兆を嗅ぎ取って、指導をしなければならない。
ぶつかり合いの中で、人とのつきあい方、友達間の距離のとり方を学ぼうと叫ぶ。
子どもは、いじめる方も、いじめられる方も「自分の悪いところ」を反省させられ、
それを踏まえて今後はお互いに仲良くやっていくんだよと言われ握手をさせられる。
学校側は、ほっと一安心だが、ものごとはそんなに甘くない。
子どもたちの先手争いは実は延々と続き、ターゲットが変わりながらいじめは
繰り返される。次のターゲットにならないためには、友達同士、常に繋がって
行動していかなければならない。だから、食事も一緒、はみがきも一緒、トイレに
行くのももちろん一緒。
ほんとは子どもたちも、へとへとなんだ。
傍から見ていると気の毒になる。
つきあい方ばかり教えられるから、ずっとずっと、だれかとつきあっていかなければ
ならないじゃないか。数珠繋ぎになりながら。
やはり、それはちょっと無理のある話なんだ。だから、負の連鎖は断ち切れない。
今、教えてあげるべきだ。導いてあげるべきだ。正しい「人とのつきあわない方」を。
独りで、気高く美しく正しく生きていく方法を。
ひとりひとりがその方法を会得したとき、集団のなかで生きていても、決して不自由でも
なく、無駄な衝突もなく、へとへとにもならない。
たまには、ごはんをひとりで食べたってちっともかまわないんだ。
陳腐かもしれないけど、
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格はない」という言葉が
ヒントだよ。







