ましゅまろのキッサキ

ましゅまろのキッサキ

基本的に平和主義者。争いごとは苦手です。でもときどきこっそりと毒は吐くかも…

半年にわたる冬眠からやっと目覚めました。


タイトルもリニューアルして、またぼちぼちと始めます。

Amebaでブログを始めよう!

家庭の中で、親に守られながらほわほわと生きていた子どもが、


やがて学校という集団生活の中で生きなければならなくなる時がやってくる。


そこで、日々問題が勃発するわけだ。これまでのように何をやろうにも、すんなり


いくということがまずない。そんななかで、わがままを通していれば、やがて


はぶられるか、逆に先手を取れば親分になって誰かをいじめはじめる。


学校側は、なるべく早いうちにその予兆を嗅ぎ取って、指導をしなければならない。


ぶつかり合いの中で、人とのつきあい方、友達間の距離のとり方を学ぼうと叫ぶ。


子どもは、いじめる方も、いじめられる方も「自分の悪いところ」を反省させられ、


それを踏まえて今後はお互いに仲良くやっていくんだよと言われ握手をさせられる。


学校側は、ほっと一安心だが、ものごとはそんなに甘くない。


子どもたちの先手争いは実は延々と続き、ターゲットが変わりながらいじめは


繰り返される。次のターゲットにならないためには、友達同士、常に繋がって


行動していかなければならない。だから、食事も一緒、はみがきも一緒、トイレに


行くのももちろん一緒。


ほんとは子どもたちも、へとへとなんだ。


傍から見ていると気の毒になる。


つきあい方ばかり教えられるから、ずっとずっと、だれかとつきあっていかなければ


ならないじゃないか。数珠繋ぎになりながら。


やはり、それはちょっと無理のある話なんだ。だから、負の連鎖は断ち切れない。


今、教えてあげるべきだ。導いてあげるべきだ。正しい「人とのつきあわない方」を。


独りで、気高く美しく正しく生きていく方法を。


ひとりひとりがその方法を会得したとき、集団のなかで生きていても、決して不自由でも


なく、無駄な衝突もなく、へとへとにもならない。


たまには、ごはんをひとりで食べたってちっともかまわないんだ。


陳腐かもしれないけど、


「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格はない」という言葉が


ヒントだよ。


また、長い間お休みをしてしまいました。


その間、幾度も記事は書いていたのですが、公開することが憚られる内容ばかりで・・・。


学校の寮事務をしているということで、まわりには多くのこどもたちがいます。


もともと子どもとは無縁の世界で長い間生きてきて、つい3ヶ月前から飛び込んだ世界。


今まで新聞、雑誌、テレビ等でしか知ることのなかった子どもたちの生々しい日常は、


珍しくも不可思議で、まさにネタの宝庫ではあるのですが、いざこのような場で記事にし


公開するとなると、二の足を踏まざるを得ないものばかり。


匿名にするし、事実をぼやかしてみたりするけれど、やはり子どもたちのプライバシーに


踏み込んでいるのは事実。わたしのような未熟者が、ときに考え込みながら、ときに


おちゃらけながら、異星人たちのミステリーワールドを紹介するのは不謹慎だという思いが


記事をボツにさせていたというのが事実です。


しかし、今回はどうしても何か書き記しておきたいという思いがあり、


そしてそれは大人としての責任のような気がしてキーボードの前に座ったというしだいです。


ちょっと前提の説明が長くなりますが、いまのわたしの立場は学校で働いてはいますが、


教育者ではありません。もちろん教育者になるための教育も受けていないのでそれなりの


資格もありません。ただの事務のおばさんです。


とはいえ、まわりにいる子どもたちにとっては人生の先輩です。


そして私自身、子どもというのは社会全体で育てていく生き物であると認識しています。


実際には何の力にもなれないとしても、子どもが迷っていれば何か手助けをしてやりたいと


思う普通の女性です。これが前提です。




こどもたちは、とにかく仲良い友達同士つながって行動しています。とくに女の子に多い


傾向かもしれません。どこへ行くにも一緒。食事も、はみがきも、そしてトイレも。


あ、こども、こどもって言っているけど一体何歳くらいの人のことを言っているんだと


お思いのかた、・・・・だいだい15歳デコボコと思ってください。


(このへんもぼかさないとならない気がしております)


たまに、食堂でひとり黙々とごはんを食べている子を見ると、わたしなんかは、


孤高の人みたいでカッコイイな思うのですが、どうやら子どもたちから見ると


そうは見えないらしいです。ひとりでごはんを食べなければならない状況になるくらいなら


食事を抜くほうがよっぽど良いと多くの子どもたちは言います。


不思議なのはその理由。


決して「自分がさびしいと思うから」ではないのです。


ひとりで食事をしているところを他人に見られること自体が嫌なんだそうです。


つまりそれは、ハブられている奴。と見られることを極端に嫌うことを


意味しています。


ということは、誰も見ていなければ、ひとりでごはんを食べることなど何ともないということ


なんだそうで・・・。


おおむかし、子ども時代を経験しているわたしとしては、「ひとりごはん」に対する


寂しさだったらわかるかもしれませんが、ハブられているように見える・・・という感覚は


ちょっと理解できません。


いまどきの子どもの不思議なところです。




タイトルの「人とのつきあわない方」について、早く書きたいのですが、


どうしても今のこどもたちの実態を説明をしたうえでと思うばかりになかなか


前に進めません。


この続きはまた明日以降にします。


だって、もうすぐ夜が明けてしまいますので・・・。






ブログネタ:最近どんな本読んだ? 参加中


血液型がB型だっていうだけで、性格を簡単に決めつけられる。

はは~ん、かなりのマイペースで、おおざっぱな性格でしょとかなんとか・・・・

本人としてはかなり周囲に気を使いながら、へこへこ生きているつもりなんだけどねぇ。

そんな小心者のわたしは、最近、職場が変わって慣れないせいか、

どうも精神的にへこみやすくなっている。

そんなとき、本屋さんで思わず手にとってしまったのが、

『逆境を生き抜く「打たれ強さ」の秘密』

あ~、やはりわたしかなり病んでるかもしれない。

ざっくり言ってしまうと、メンタルトレーニングで心を鍛えて、がんばろうという内容。

とにかくどんな状況においても、自己を否定してはいけませんよと

著者のメンタル・トレーナーさんは説く。そこからあなたの素晴らしい潜在能力を

引き出して「打たれ強く」なりましょうということらしい。

失敗を気にせずに忘れてしまうのではなく、失敗から学び、他人の目を気にせず、

ときに自分を笑い、自分のリズムで生きることにより、潜在能力は発揮できます。

って、言われてもそれができないから悩んでいるわけで。



話は違うが、わたしは整理整頓がどちらかと言えば不得手なほうで、

ちょっと気を抜くと部屋が雑然としてしまう。そこで、よく買うのが、

「整理整頓術」とか「収納の達人になろう」とかそんな類の雑誌。

こうすれば、お部屋はスッキリ!みたいのがたくさん紹介されているけど、

こちらも「それができないから、困っているんだよ!」という感じで、

結局はたくさんの収納関連の雑誌で、よっぽど部屋が汚くなってしまう

というドツボにはまってしまう。

いずれにしろ、ハウツウもので、なんでも簡単にスッキリ解決!というわけには

いかない。どんなことでも努力が必要ということを学ぶのであります。







ブログネタ:自分には絶対向かない職業は? 参加中

長いこと生きているので、学生時代のアルバイトを含め、いろいろな職業に

携わってきました。

お茶くみ、コピーとり、プログラマー、ファストフードの店員、秘書、経理、

機械のオペレーター、おにぎり製造、企画、人事エトセトラ。

不器用なのかもしれないし、理解力に問題があるのかもしれませんが、どの仕事を

やってみても最初は「あー、自分には絶対向いてないわ」と思うのです。

つらいし、逃げたいし、会社へ行くのが憂鬱で、引きこもろうかと思ったり・・・。

しかし、「だめだ、無理」と思いながら続けていると、しだいに慣れてくるのか

なんとかやれるじゃないかと思い始めるのが常です。

連れに言わせると「好きな仕事がすべて向いているとは限らない。

嫌いだけど向いている仕事っていうのもある」らしい。

で、今の仕事。学校の寮事務。

嫌いです。そもそもこどもが嫌いです。でもこちらも嫌いだけど向いてる仕事って

ことになるのかもしれません。

ときとして、人の醜き狭量さをストレートに曝け出す。


気に入らない人間に対し、集団になって露骨な仲間はずれをする。


そして仲間はずれにしておきながら、驚くような屁理屈で相手を罵倒する。


どうしてもこどもを好きになれない理由のひとつである。


だが、ほんとうはこれらは大人を映す鏡でもあるのかもしれないし、


ある種閉鎖された世界で生きるこどもたちにとっては、


致し方ないことなのかもしれない。


彼らが学校に入って教えられることは、「まわりのひとと(まんべんなく)


仲良くしましょう」。


だが、所詮そんなこと無理な話だ。どうしたって、性格が合わない人だっているし、


そりが合わない相手だっているものだ。


大人はいい。友達を選ぶことができるから。嫌いな人間とはとことん


付き合わなければそれですむ。かりに職場などにそんな類の人間がいても、


仕事上のつきあいだけをすればいいし、結局同じ目的で動くもの同士なのだから


どこかで折り合いをつけることも可能だ。むろん、いわゆる大人としての


振る舞いかたも心得ているだろうし。(まぁ、たまに不心得モノもいるが)


それになんてったって、仕事が終われば、グチや批判や悪口などを肴に


お酒を呑んで、その日のウサを晴らすという手がある。




今日は、こどもの「悪魔」な部分を見ながらも、ふと同情をしてしまった。




「そんなの早く食っちゃえよ」と13歳の女の子がそばにいる友達に言った。


その場にいたわたしは、すかさず「食っちゃえよなんて言葉使わないの!」と


たしなめた。13歳の女の子はペロリと舌を出した。


あら? この光景どこかで見たことがある・・・・。


そう、ン十年前のわたしがそこにいた。


男の子みたいな言葉遣いを平気でするわたしに、母が強い口調でたしなめる。


女の子がそんな言葉を使うんじゃない!と。


母に叱られたからか、あるいは自然とそうなるものなのか、大人になるにつれて


上品とまでは言わないが、まともな言葉遣いができる人間となっていったわたし。


そして、そんなわたしが、また次の世代の女性たちにきれいな言葉遣いを教える。


もうずいぶんと昔のことになってしまったので、その心理については記憶がないが、


どうして、あの頃の自分はきれいな女性の言葉を使わずに、わざとのように


男言葉でしゃべろうとしたのだろう。ちっともよろしくないのに・・・・。


自分のことは棚に上げ、今のこどもたちの言葉遣いには眉をひそめたくなるような


不快の念をしょっちゅう覚える。


「食う」なんてまだよいほうで、何度注意しても自分のことを「オレ」という女の子もいる。


彼女たちもやがては、きちんとした言葉を使うようになるのかしら?


心配しながら、まるで母からの申し送り事項のように、女の子らしい言葉を


使いなさいと小さき子らに伝え続ける。




齋藤 孝氏著「退屈力」(文春新書)のなかで、著者は「型」の重要性を語っている。


氏は、「型」を「個性」の対極にあるものと位置づけ、


戦後の日本の教育が掲げた「個性豊かな人間を育てよう」により


「型」を軽視し続けたことを、はたして正しかったのかと問いかけている。


「型破りな人物」と「型にはまった人間」


このふたつの言葉を聞いてポジティブなイメージを持つのは、「型破り・・・」の


方で、「型にはまった・・・・」は、つまらないヤツをイメージするわたしは、


たしかに戦後の教育を受けているということになるだろう。


しかし、「型」は武道を思えばわかりやすいが、「基本」であり、実に「合理的」


なものであることは事実だ。この基本をないがしろにした教育って・・・・・。


そして氏は、『精神面において「型」の習得におけるプロセスは、意識を全身に


張り巡らせる「とぎすます心」と、「耐える力」を培ってくれる。』と説く。


そうなんだなぁ。戦後の教育を受けてきたこどもたちは、もしかしたら


大事なものを会得せずに大人になってしまったかもしれない。


そしてその弊害が今、はっきり出てきてはいないか。


わたしは、思う。


個性、個性といっても基本も何もない人間の個性など、ただのひとりよがりであり、


わがままであり、誰のためにもならないものなんじゃないかなと。


ピカソを思い出した。


むかし、ピカソが子どもの頃に描いたという油絵をテレビで見たことがある。


何歳くらいの作品であったか正確に覚えていないが、とにかく驚異的であった。


とてもこどもが描いた絵とは思えぬほど、静かで美しい、油絵のお手本のような


絵であったことに驚いたのだ。


しっかりとした基本があって彼の絵は、やがて「泣く女」や「ゲルニカ」へと


発展していったのだな。



そして、今ひとつ思うことは、今の子どもたちはおとなの事情に振りまわされ


場当たり的な教育を受けさせられ、ひょっとして気の毒なんじゃないかなということ。


「知性」を剥奪されるような教育を受け続けるこどもたちの未来は


明るいとは思えないのが心配だ。



ゴールデンウィークのディズニーリゾートは大勢の人でにぎわっていることだろう。

大いに結構!


ディズニーリゾートはまさに日常空間を離れたファンタジーの世界。


こどもたちの空想力をかきたて、ひととき魔法の国で遊ぶのに絶好の場所と


おもいきや・・・・


どうやら脳的に見ると、そうではないらしい。




今、齋藤 孝氏著の「退屈力」という本を読んでいて、こんな一文にぶつかった。


「 ・・・・・・ テーマパークは、長い年月をかけて、多くの人間たちによって


絞り出された知恵によって作られている。子どもたちがそこですることといえば、


完成されたイメージを受け取ることにすぎない。言いかえれば、子どもの想像力が


刺激され、頭の中でいろいろなものが花開くという種類のものではないのだ。・・・ 」




なるほど、考えてみれば当然だ。見たこともないものをそれぞれの頭の中で


描くのではなく、見たこともないものを、誰かが具現化してくれて、それを


皆で見ているというわけだ。いわば空想のサービスだな。


もちろん、これはけしからんことだといっているのではない。


あそこは無条件に楽しい世界だもの。


ただ勘違いをしてはいけないなということにすぎない。



というわけで、ゴールデンウィーク中もお仕事のわたしは、なかなか興味深い


本にめぐりあった。


また、次回このなかから、目からうろこをご紹介します。




同僚3人と、仕事を終え会社を出て、最寄の駅へ向かって歩いていた。


そこへうしろから「おばさ~ん」という声。


瞬間、われわれ3人は同時に後ろを振り向いた。


かわいい(?)後輩が、ふざけてわたしたちを呼んだのだ。


笑って手を振っている。


しかし、こちらは笑えない。あまりにも自然に「おばさん」という声に


反応してしまったことに半ば愕然としていたからだ。


だって、当時わたしたちは25歳ぐらいだったのだもの。


「くやし~い、なんでふりむいちゃったんだろう」


「しかも3人そろって」


と言いながらわたしたちは落ち込んだものだった。


そしてそのとき、女は25歳くらいからだんだんおばさんになっていくんだねと


悲しい納得をしあったのだが・・・・



この説は間違っていたことにやがて気づく。


女の中には、ごくごく若いうちからすでに「おばさん」である人がいるのだ。



今、中学生や高校生に囲まれて仕事をしているのだが、ここにもいるのだ。


身長150センチ足らず、体重も40キロに満たないような姿をした幼顔の


おばさんが。


彼女は生徒間でなにか問題が起きると必ずそこにいる。


というか必ず首をつっこんでいる。しかも決まって問題の当事者ではない。


あんたは関係ないでしょ!という感じなのに、ことの顛末を誰よりも詳しく


知っていて、前面にでて口角泡を飛ばす勢いでしゃべりまくっている。


自分の頭の上のハエも追えないくせに、他人のことをしきりたがる。


当然、常にハイテンション。


で、夜になるとさすがに疲れ果てるのかコトンと寝てしまう。


しかし、これで静かになるかというと大間違い。


小さな身体で大きな寝息(ぞくにいういびきです)をたてまくるのだ。


まわりを簡単には寝せないよ。


まさに「おばさん」気質である。


かたや、世の中にはいくつになっても、若々しく(外見だけでなく)素敵な女性も


たくさんいる。


女はだんだんおばさんになるのではなく、生まれたときから「おばさん」と


そうでない人に分かれるものなのかもしれない。










ブログネタ:朝は洋食? 和食? 参加中


朝、勤務が明けると朝食をとりに出かけます。





  道端は、まさに春爛漫で・・・・










国道沿いを歩いていると、小さな花たちが咲き乱れ・・・・


まったく飽きることがありません。






   どなたが丹精したものか知りませんが・・・










    それはきれいに咲き誇っています。




    そして、歩くこと10分。着いたところが・・・・





  ここ。













  そして、決まって注文するのが・・・


  

   これです。

 


        

   

        パンケーキ(三枚)フリードリンク付き。


        アメリカンコーヒーを3杯はいただいちゃいます。

 

        これから帰って寝るのにコーヒー3杯って・・・・


        あ、ここで気をつけたいのが、この店の食器洗浄の杜撰さ。


        手に取ったカップやグラス、少し汚れていることが多くて、


        慎重にきれいなものを選ばなくてならないのが残念なところ。


        ウエイトレスさんに何度も言ってるのに改善する気ゼロとみた。



        

        ということで、わたしの朝食はいまのところ洋食!


        ゆっくりくつろいで、また花たちを観賞しつつ戻ります。

  

        今はいいけど、夏になったら日陰がまったくないので、


        コース変更になるかもしれません。