今から77年前、1945年8月6日午前8時15分、米機B29エノラゲイに搭載された原子爆弾リトルボーイが、抜けるように晴れた夏空の下、直下600メートル、広島市細工町(現:広島市中区大手町)の島病院の上ですさまじい光線を放ち炸裂した。焼失面積13.2 km2、死者118,661人、負傷者82,807人、全焼全壊計61,820棟の被害をもたらした。

 昭和20年8月9日(木曜日)午前11時02に、アメリカ合衆国は枢軸国日本長崎に対して原子爆弾ファットマン]」を投下した。この原子爆弾が人類史上において2回目かつ実戦で使用された最後の核兵器である。原爆の投下により、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡、建物は約36%が全焼または全半壊した。

 人類史上最初で最後?(8月9日の長崎も含め)の大量無差別殺傷兵器が、現実に無辜の市民の惨たらしい阿鼻叫喚・地獄絵図を我々の前に開陳した瞬間だった。それは戦争の早期解決と自国米兵の犠牲を最小限にする(という言い訳)目的で米国大統領トルーマンが言わば禁忌の核のボタンを反知性的に押したからだった。現今あらゆる米国民は一部を除いてかかる歴史認識のもとその判断を是とすることに加担している。従って、彼らは原爆資料館を見た後も「それでも」と言ってそのように感想を述べるのが一般だ。日本人は、彼らの、国家を背にして無感情な言葉で締めくくるその態度に満腔の憎悪をもって対すべきであろう。

 キューバ革命の英雄エルンネスト・チェ・ゲバラは戦後、革命政府の要人として来日、このとき予定を変えてまでして広島を訪問、原爆記念館を視察し館の案内者に「きみたち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」と英語で問いかけたという。

 「はだしのゲン」の作者中沢啓治氏は生前「なんで怒りをぶちまけて、戦争を起こした奴を追及しねえんだと。戦争がなかったら原爆まで落とすことはなかったじゃないかと。それをしなかった。この日本人の曖昧さというのが大嫌いなんです」と語っている。

 一人の政治屋があれだけ「悪いこと」をやって何らの断罪もされぬまま、「強盗を見す見す目送する」形質で歴代最長在位まで許した日本人は、政教分離原則を何食わぬ顔で無視しつつ(反社的集合にほかならない連中を)集票マシーンとして利用する政治家たちなど永らく野放しにし、結局自公系政権として、割に合わない数の論理(全有権者数に対して2割程度の政権)で不当な多寡の権力の座に就かせ(圧倒的過半の議席献上)、就かせ続けるこの不可思議な在り様は、俄かに一国民として承服するわけにはいかない、ということ。戦後日本人は押し付け民主主義のまやかしに満ちた詐欺的横行の中でその日暮らしの「政治的無関心」層が半数を占め、残りは「他に適当な者がいないから」という、理由にならない理由で自公系候補に貴重な票を投げやり、結局、己の首を自ら締める行為を続けてきた。

 国土の中の多くの僻村に58基もの原発を造作すべく推進したのは自(公)系保守政権であった。但し、正確にはアメリカが作れと言った(1953年ドワイト・D・アイゼンハワー大統領国連総会で「平和のための原子力」演説を行った)からそうしただけで、その功罪と安全性等の検証は当初から見過ごされていた(安全神話)。アイクの演説は自国が真っ先に開発した原子力エネルギーの使い道が戦後核兵器以外になくなることを懸念し、併せ原子爆弾の最初の使用者としての罪悪感を糊塗するためなされたとしか言えない。

 あの福島第一原発事故はどう言い訳しようが、被害の規模からして間違いなくこの国が、自公系保守政権が、推進した原発政策そのものの犯した国家犯罪であり、その時点で裁かれて然るべき状況にあったが、第2次安倍政権は原発セールスさえためらうことなく、国勢は再稼働やあろうことか新設まで実施しようとしている。つまりこれがこの国の在り様なのだ。当然原発から出る使用済み核燃料(プルトニウム)は核兵器の原料そのものだ。つまり世界の非核化に逆行する事実であり、これに唯一の被爆国日本は加担している、こういう本質からすれば一度の悲惨な体験くらいではこの国は何も感じない、学ばない、自己の先行きを考えられない、まさに精神年齢12歳程度の幼弱さということになろう。

 先の大戦に至る近代化後の日本という国を国民レベルで何ら検証せず追及せず、敗戦に至る過誤を断罪もしない戦後日本の国民は、「民主主義」など本質的に諒解してない国民そのもので、本土決戦をもって最後の一人まで玉砕覚悟で対すべきところ、天皇裕仁一人のための国体護持を約定せしのちは大和民族の矜持などどぶに捨てて顧みない(ポツダム宣言受諾、無条件降伏)、この醜悪な民族的在り様を一体どれだけの人が悔いたのだろうか?

 沖縄も広島も長崎も、この国の近代化を推進し結局のところ愚劣な敗戦に至らしめたこの国のえせ指導者たちに、特に昭和天皇に彼らの罪は決して許せないと声高に叫ぶ以外ないおのれの無力をこそ嘆くのだ。

 ここ数か月、筆者自身の病態により浮世を離れて完全看護の病床(コロナ禍で面会禁止)に就いたり、その後ひたすら養生したりしている間に、この世は様々な変容を遂げているわけで、その故にほぼ純粋培養された精神の態様は次のような在り様を示している。

 心房頻拍という不整脈を発症し、6月3日入院した循環器病棟で2週間経過観察したがその後何も起こらずに6月18日退院。心房頻拍は1分間150回ほどの頻脈が連続して止まらない不整脈(頻脈)で、AED(除細動器)で一度心停止し、電気ショックで回復させるという荒業が施された(通常は薬物で簡単に正常化する)。

 筆者の場合、3月に3回目のワクチン接種後4日ほどして心筋梗塞を発症、カテーテル手術により梗塞した動脈をステント(金属のチューブ)処理しバルーン(風船)で血流回復という病態を経験していたので、不整脈処置後なお経過観察が必要とされたもので、今月末には不整脈起生個所の排除のため更にカテーテル手術が予定されている。

 ところで何度考えても何故心筋梗塞を発症したかわからない、多くの場合何らかの強いストレスが一時的に集中したようなときに起こると言われ、思い当たるのは、その数日前に実施したファイザー社の3回目のワクチン接種以外ないのだった。

 既に巷間では4回目のそれが検討されているのだが、今は到底受ける気にはなれない。接種で起こったとしか言えないかつてない筋肉の微妙な痛みも気になる。その後の何らかの不具合が気のせいか皆そこにつながる。所謂ワクチン副作用だ。

 コロナ感染者に起こる後遺症もまた、よりひどい症状で数か月も苦しめられるという事例が後を絶たず、菅前首相があの時期ワクチン至上(ワクチンさえ打てばの掛け声)を謳ったのはいかにも全体主義者の単純すぎる発想であり、波打つ感染者数を経済主義(経済活動優先)で軽視し、結局一定数の重症後遺症者や接種後死亡した者に負担を強いた格好だ。軽度の感染でも後遺症を免れないというのに、世界中がどうやら感染可能性への警戒感を薄める方向へ流れ始めている。

 感染力の強いオミクロン株BA.5により第7波が生起しているが、沖縄では国同様何らの対応策も出せぬままで医療関係者や専門家が警鐘を鳴らし続けている。このような事態は、どうやら神がかりの奇跡でも起こらぬ限り好転する気配がないらしく、人事を尽くしてさえなお目に見える効果というものが望めそうもない、つまりはお手上げ状態であり、結局のところ無為無策、国も他の行政機関もあってなきがごとく、何となく個人の責任に転嫁(菅が言った「公助」なき「自助」)して、これまで通り5項目程度の単純な回避策の実行遵守以外には方途がないわけだ。しかもこれをひとし並みに各自が徹底すれば徒な感染拡大は間違いなく防げる。

 さて安倍君は7月8日、得意げに(そう見える)応援演説している背中方向から数発の銃弾を浴び、事実上即死状態(心肺停止)でその67年の生涯をその日のうちに終えた。晩年は、漸く翳り気味の権勢を自ら惜しむかのように、追随する女性議員やネトウヨ系議員、極右的政治家の後押しや何やら画策を続けていたが、ある日突然、非現実的白昼夢の中に現代的で奇怪な死を遂げたという印象だ。思い出されるのは森友事件で自死した赤木氏とその家族の無念さ、あるいは加計学園事件、桜を見る会事案と、彼の在任中の明らかなグレイゾーン案件が放置されたまま闇に葬られたという印象が、一般国民の脳中には間違いなく渦巻いており、到底安閑と哀悼追悼適わぬ心境に落ちるのだ。そういう意味で彼の死は一人の人間のありふれた死(死はありふれたものだ)とは決して言えないものがある。岸田の「国葬言上げ」などは、どうしても神経逆撫での、丁度あのコロナ禍の東京オリパラのような、時宜を得ない非政治的暴挙としか言いようもない。

 参院選は自公維等改憲勢力の圧倒的勝利(安倍氏憤死の弔い合戦などと言われている)で終わり、向後誰が何を言おうがほぼ絶対的に動かない平和憲法への無駄な攻撃が繰り返される。敵基地攻撃なる物騒な議論も防衛費2%への拡大という好戦的にして野蛮な思惑も、到底国民に向けてまともになされるべき話ではない。コロナ禍でも議員報酬返上さえ誰一人言い出すものもなく、共闘すべき野党が、ああでもないこうでもないと言っては無様に与党の組織力の前に敢え無く潰える、その愚かしさは目も当てられない。

 現在の野党には確かに政権担当能力はないだろう。共産党以外は自公系の保守停滞主義と大差なく、れいわの「正論」がどこまで打倒与党への武器として有効かを見定めねばならない。群小多党状況には時代閉塞の突破口は見いだせない、だから(国民の)代議員を選ぶ現行公職選挙には半数近くが「絶望」して棄権し(と思われる)、残りの半数にあって組織集票能力ばかりに長けた自公系政治集団が全有効有権者数の中の2割程度の支持で、絶対安定多数などという茶番劇がどこまでいっても絶えないわけだ。

 「葉隠れ入門」に「武士道とは死ぬことと見つけたり」とある。安藤昌益並みに物申すなら、所詮無為徒食の「武士」などに生や死の本当の意味がわかろうはずもないが、もし武士道という理念的な「道」というものがあるとすれば、この階級的不公平を身に戴した有閑人種に残された真面目が唯一「死」であろうことは直ちに納得できる話ではある。三島由紀夫は彼自身戦時において最も近しく感じた「死」を通して考えないあらゆる現代思想を否定する。一方で今、戦争体験もない我々が「死」を想起するとき、どうしても(生死のやり取りが現実にあった)先の大戦と敗戦という歴史的経験に立ち戻らざるを得ない。そこにしか我々の生(せい)のリアリティが見いだせないということを実感する。どういうことか?

 不確実性の時代に自然の脅威(地震、洪水、噴火、コロナ禍など)に怯えながら、拠所ない不安を抱えて動物的に死を恐れるというような、虚無感に満ちた生を生きなければならない我々現代人は、おのれらの生や死が何一つ意味を持たないと考えることには耐えられない霊長類として、その生と死へ精神的にアプローチするのだが、周辺を俄かに見渡してさえ何らの「義」のきっかけすら皆無と来ては、無差別殺人や自殺(死刑)願望の道連れ人殺しも「理由なき反抗」として時代を象徴しているとさえ思いたくもなろう。

 安倍君のああいう死に方(決して英雄的でなく悲劇的でもない、ただ白昼夢のように無意味な死に方)はこの時代の閉塞性を暗示している。ある意味我々の誰もがそういう生き死にを味わうことになるかもしれない。

 ネトウヨ、時代的モブ(社会的劣悪部分の集合)、日本会議、極右勢力らの非論理的「新自由主義」の横行。歴史修正主義。世の中あげて滅茶苦茶なposttruth現象が渦巻き、魑魅魍魎跋扈。人知が到底追いつかない自然界の襲撃に右往左往。何ら責任所在が問われない統治機構。国が国民をスラップ裁判にかけ、一民族に限って虐待する。

 どこをとっても「義」は見いだせない。「国民のための政治」はなく、権力者の脳漿に宿った「妄想」から出る稚拙な「国家主義」が国民をないがしろにし国民は生活苦にあえぐ。「日本!死ね」は恐ろしいほどに現実的なうめき声ではないか。

 あの戦争の敗北以来大和民族は死んだ、民族的矜持は潰えた。しかしそれはどうみても階級的上層部分の話であって、平たく言えば国民には何の関係もないことだったと思われる。このことを忘れてはならない。

 天皇大権と知的選良階級(帝国官僚機構)----明治維新の歴史的跛行性と決定的な責任媒体の欠如、並び超国家主義的飛躍、神国幻想、非科学的観想、非論理的覇権的暴走---が織りなした度し難い玉砕性がこの国の敗戦までの国柄であり、その国は、盲目に皇国国体を死してさえ護るべく生きよとその民に強い、沖縄、広島、長崎を集中的に生贄とし、かつは、本土決戦など全く為す気概もなく、天皇国体護持が約束されたとたんもろ手を挙げてぶざまに降伏した。この瞬間大和民族の民族的矜持はかなぐり捨てられ、「死」と「生」は無意味な日常的雑事と化し、意味もなく「義」もない、動物的獣的在り様に堕したのだった。

 安部君の死はそういう戦後日本の国柄を彷彿させる。アベガー(安倍氏批判媒体?)が悪いと言い出した文化人がいたが、事実は真逆の内容だったらしく、ここにも思い上がった非論理的な風潮を感じないわけにはいかない。

 1959年6月30日、沖縄(このとき米国占領下にあり日本国での行政単位が存在しないので県ではなかった)の石川市(現うるま市)にあった宮森小学校に、操縦不能となった米空軍機F100Dジェット戦闘機が民家35棟をなぎ倒した後激突炎上、死者17人(小学生11人、一般住民6人)、重軽傷者210人、校舎3棟を始め民家27棟、公民館1棟が全焼、校舎2棟と民家8棟が半焼する大惨事となった。

沖縄宮森小学校への米軍機墜落大惨事(1959年)と沖縄の心 (youtube動画)

https://www.youtube.com/watch?v=NoVCCKRGdfc

 

 この同型戦闘機が事故前年に起こしたクラスAの重大事故件数は実に168件に上ると言われる。事故原因とされた「操縦ミス」は大嘘で1999年になって「整備不良」が原因だったことがわかった。つまり使用してはならない機種だったのだ。しかも墜落直前に50kg爆弾を海上投棄していたのだった。そのまま激突していたら被害はもっと大規模になっただろうと言われる。

 筆者はその頃小学生でこの事件の報道にはメデア等一切接してない。同年9月には確か、紀伊半島から東海地方を中心としてほぼ全国規模で甚大な被害を受けた伊勢湾台風があった。こちらは学校の児童委員会で、義援金とか救援物資とかが議題に上ったという記憶がある。その2年前1957年に那覇市長瀬長亀次郎氏が米国民政府、高等弁務官ジェームズ・ムーア中将布令によって追放され被選挙権を剥奪(1967年回復)された。これは瀬長氏の一連の、反骨精神に満ちた不屈の闘いが、いかに米国政府をして恐懼させたかを象徴する事件だった。(つづく)

 6月23日、この日は条例で、沖縄県および沖縄県内の市町村の機関の休日となっている。勿論祝日、と言う意味でそうなのでなく、沖縄戦等で没した日本の軍官民と異国人(全戦没者)に対し慰霊の意を全県挙げて体し、併せ追悼の意を表する日とされる(そのあとの永遠平和を祈念するというのは付け足しか?)。当然先の大戦と15年戦争で死没した人々に世界中の国々が関わっているわけで、この慰霊の意には沖縄という日本国における一地域の、特別に限定された含意が込められているというものでもない。これが本土の日本人には誤解されやすいところでもある。

 しかしながら、歴史的客観に付された「沖縄戦」は戦略的には「無駄な戦争」であり、「本土防衛の捨て石」「本土決戦の時間稼ぎ」と言いながら結局勇ましかるべき大和民族の「本土決戦」自体がなかったし、ポツダム宣言受諾は天皇の身の安泰が約された結果として、無様な無条件降伏を呑んだ意味としかとられず、「沖縄戦」で無差別に殺された沖縄県民はいかに糊塗しようと本土国民と天皇の「人身御供」「人柱」つまりは犬死にだった。そのためには県民の4人に1人が、鉄の嵐の艦砲砲弾と容赦のない戦闘機爆撃の下、無数の死者たちの血と泥の中で悶死しなければならなかった。

 つまり本来なら沖縄戦で死没させられずにいなかった沖縄県民、一般市民の慰霊祭であるべきところ、戦後様々な経緯の中で広島原爆や長崎原爆の慰霊祭同様、何か重要な核となるべき「問題点」や声を上げるべき真実が希釈され、一過性の約束事のようにこの日を過ぎれば「はい、解散」とでも言いたげな扱いに堕していったというのがこの国の、先の大戦にまつわる殆どすべての事案の成れの果て、意味も礼節も何もない空しい空砲という運命を辿った。

 最も罪が重いのは昭和天皇裕仁であり、沖縄県民の言わば不倶戴天の敵と言える。彼が例えば近衛文麿の進言を受けて敗戦間近のこの戦争を「沖縄戦」なしに終わらせられたら、そして戦後マッカーサーなどの覇権的言辞に惑わされず西側陣営の極東の防波堤論などに加担せず、沖縄軍事要塞化を拒否するメッセージこそ発していたなら、戦後沖縄の悲劇的悲惨な境遇は聊かでも緩和できたろうに。しかし彼は日本国憲法で言うところの「政治的発言」を沖縄島嶼に関してわざわざ、異国への「売り渡し」実質で発したという歴史的事実は、今でいえば間違いなく憲法違反、従って直ちに削除訂正すべきものだと言える。戦後巡行が沖縄に及ばなかったのは彼の見え透いた罪悪感のせい以外考えられない。

 勿論、この天皇の罪悪は根本的に免責できない質にあり、東京裁判などという、戦勝国復讐裁判の茶番劇では決して「本質」を穿つことはできず、司法取引などで済まされるような質の犯罪ではなかった。一国の国民全体が完全に巻き込まれ従わされた結果としての戦争行為であり、統帥権以前の問題が厳然としてあったのだ。最高責任者としての大権、統帥権は軍部の暴走などという言い訳じみた話などとは関係がない、実際に御前会議は都度開かれ、参謀たちが言上するところ黙って見過ごしたはずはない。1941年12月東条が「開戦の詔勅」というとき、それはまさに天皇の意思が戦争を進んで望んだとしか解せず、全責任は明らかに昭和天皇裕仁にあったと証明している。

 国民は「おおきみの辺にこそ死なめ」という玉砕精神に逆上させられ、「生きて虜囚の辱めを受けず」などと、最後は自決しろという教訓を教え込まされた。「悠久の大義」に生き死にすべきは軍人でしかないのに、沖縄第32軍司令官牛島は自決の夜に言わば一般市民に他ならない沖縄県民に対してそれを押し付けたのだ。この司令官の中には軍官民共生共死の沖縄戦が既に総力戦のめちゃくちゃな戦争だという認識しかなかっただろう。こうして沖縄県民は狂った国の「大義」のために県土中を這いずり回り、あるいは集団で自決させられ、スパイ呼ばわりされて背後から銃殺され、食料も奪われ、壕を追い出され、投降さえままならなかったわけだ。

 勿論本来、こういう死に目に合わせた張本人である本土、ヤマトウの日本人の代表が、内閣総理大臣が、その他の閣僚たちが、「辺野古唯一」以外何も言えない連中が、この慰霊の日にわざわざ来沖して県民の神経を逆撫でする行為というのは、三流ドラマによく顔を出す「お代官様」やその他の悪党たちのそれと大差ない。県民は怒声を浴びせて怒っていいのだし、「二度と来るな」と言い募って構わない。ここにあるのは、通常理念的理想主義的文言を出ない「平和主義」「反戦思想」というのが、動かしがたい現実性を帯びて存在する事実だ。多くの首長たちが、政治家が、変節し右寄り、本土すり寄りを見せているが、残念ながら彼らはおのれの保身のために県民を裏切っている、どうしようもない忘恩のやからで、例えば歴史的真実は彼らのことを決して高くは評価しない。わかりきったことだ。

 ただ、彼らの裏切り、変節、経済主義が現代沖縄の若年層をじわじわ汚染し、理由なき事大主義を標榜し始めるご時世になってきた。かつてしばらくは8割がた反対していた日米安保体制を逆に肯定する県民が増殖し、今では何も知らずに容認する意見に支配されるようになってきた。

 この沖縄の現状はそのまま日本の現状に裏返され、日本国はあの敗戦とともに「終わったのだ」と実感させられる。その終わった国にへばりついて誇り高き非武の邦、琉球民族は一体どんな輝かしい未来を夢見ているのか?筆者にはまるで見えてこない。

 明治のころ沖縄学の泰斗伊波普猷(1876年~1947年)は、琉球人について次のように感想を述べている。https://www.aozora.gr.jp/cards/000232/files/60236_73043.html

 沖縄人の最大欠点は恩を忘れやすいという事である....御都合主義はいつしか沖縄人の第二の天性となって深くその潜在意識に潜んでいる....彼らは自分らの利益のためには友も売る、師も売る、場合によっては国も売る、こういう所に志士の出ないのは無理もない....この大欠点をうめあわす事が出来ないとしたら、沖縄人は市民としても人類としても極々ごくごくつまらない者である

 こういう批評は、るるぶ系情報しかない現代人にはおおきに首をかしげるようなものとして見えてくるだろう。忘恩、事大主義、ご都合主義、裏切り、密告、志の低さ、などなど。しかしながら、同時に自身もまたそういう精神性に落ちているはずだと考えたとき、33歳の伊波には将来する沖縄の姿が見えていたのかもしれない。勿論戦後間もなく死んだ彼には現在の沖縄のことはまるで知らされてない。

 現在の沖縄。コロナ禍の沖縄。国があれだけ嘘とまやかしの「辺野古唯一」を繰り返しても正当に反抗できてない県民性。仲井真や島尻、多くの首長たちの変節、取り込まれ、地元名護市民の挫折、オール沖縄の「河童の川流れ」的腰砕け、......

 一方で軟弱地盤、活断層、飛行経路上の障害建造物、大浦湾の生態系破壊、特異な県民意識に対する逆撫で国家行為、戦略上の海兵隊無用論、地政学の大嘘、核の傘は張子の虎、日米安保体制の空洞化、ミサイル諸事情からくる現代戦争における陸戦部隊の存在性、....どう贔屓目に見ても間違った国策に落ちた日本国。従米主義の三流国家、三流民族、その弊害を犠牲の質で身に受ける琉球。

 沖縄は全国一のコロナ陽性率で、5月10日も2265人の新規感染者数だった(11日は2702人、12日2330人、13日2242人、東京も大阪も増えている)。数値が表すところはここが観光立県で、GWからみのクラスタが多く発生している現状を示している。なだれ込んできた制約なしの他県観光客が全域でまき散らしたものが数値にはっきりと示される。移住者の目からすると、沖縄の特殊性がこういうところにも如実に見られると慨嘆する以外ない。数値が上がればその効果うんぬんするより先にまずもって規制がかかる。病院や介護施設などは例外なく面会禁止等のバリアが張られ、公共施設や観光施設は軒並み中止や規制でがんじがらめとなり、結局は元の木阿弥だ。この2年以上にわたり同じことの繰り返しで、「ええじゃないか」心性はノーマスクやSDなしの濃厚接触がそこら中蔓延する。米英並みに右倣えが明治以来のこの国の在り様で、そのうち感染者数の公表もなくなるのだろう(既にこうした数値的機械的情報に懐疑的な市民が増えている)。感染リスクの悪しき例(後遺症)が底の方に沈んで、ワクチン副作用(かなりの数の死者で、推定1500人以上とみられる)も無意味にかすむ。

 しかし、問題はコロナ禍ばかりで済む話でないことだ。齎された自然界の警告はいつも暫くは人の耳や目をそばだてるがそのうち沙汰止みになり、やがて無限のかなたに忘却し、真逆の方向へ狂気のように走りだす。大震災もゲリラ豪雨も大地震も大洪水も崖崩れも、いつの間にか実感のない過去に追いやられる。地震と津波が齎した原子力発電所の暴発は今後日本国中どこでも起こりうることだとどうしてわからないのか?一時的に停止してほとぼり冷めぬうちに再稼働へ前のめり、結局米国支配の洗脳で、麻痺した為政者たちの飾り物の脳漿では、おのれらが自ら律すべき政治や外交がまるで目に入らず、敗戦処理に過ぎなかった戦後体制を未だに後生大事に抱きかかえ、連合国の「敵国」扱いに永続的に据え置かれては頓珍漢な政治外交に明け暮れている。

 ネトウヨ他、現代日本を悪くするだけのモブ(悪質な烏合の衆)たちに決定的に欠けているのは民族的矜持、国士的憤怒、憂国的激情であり、かかる右翼が狂喜しそうな情念の奔騰がそもそもないので、彼らのどうしようもない下卑たレイシズム、便乗的亜流の軍国礼賛、権力阿り、偽悪趣味、あてこすり、空虚な絶叫、劣等児的チンピラまがいのカツアゲ行為、などなど、口にするも憚れる在り様がむしろ公道を我が物顔で野良ついている。

 本土復帰、沖縄返還50年、50年記念フェアだって。

 伊波普猷が100年以上前に喝破した沖縄人の大欠点は、移住して15年以上が過ぎた人間にも何となくうっすらと見えてくる。彼にあったであろう愛郷心は、愛すればこそ憎まざるを得ない自身の自家撞着に脂汗を流したかもしれない。いやな汗だ。

 この移住者が人種的民族的に琉球民族と異なるのなら、ここに住する矛盾はいかに解決するものなのか。わからない。