153 :ほんわか名無しさん:2008/01/22(火) 12:45:56 0
私は、5才の頃から両親がいなく、身内と言えば2才下の弟だけでした

弟は、重度の脳性麻で歩けるのですが一切話しができませんでした

私が12才になるまで、弟と同じ施設で暮し私も弟の面倒を見ていました

施設や学校で弟の障害の事や親がいない事で、毎日虐めにあい

私は、心を閉ざし中学生になって不良グループに入り何時の間にかに

喧嘩や窃盗や強盗と悪事を働く事がヘにも思わなくなってました

中学2年で少年院に入り17才まで、少年院にいました。

少年院を出て、街であても無くチンピラ生活をしている時です

あるヤクザの親分と知り合いになりそれからは、親分の所に行くようになりました。

親分は、私を大切にしてくれたのです。

私のそれまでの人生にはありませんでした

私は、今思うと服を一緒に買いに行ったり食事をしたり、ささいな事でも

、嬉しくて嬉しくてしかたがありませんでした

兄貴や組員達も私に文句を言いながらも可愛がってくれました


私が22才の頃に 親分が酒の席で揉めて殺されたのです

私はね悲しくて悲しくて 親分の仇打ちに行き

懲役10年の刑を受けました。 懲役7年目の夏に

身内か特別以外は、できない初めての面会がありました

その面会は、弟の死報でした

弟が亡くなる数日前にお兄ちゃんと涙を流し

生まれて初めて話したそうです。



今 私は、弟が最後まで暮していた擁護施設で働いてます。



ムシケラより

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