その日まりは生まれて初めてシャンパンタワーというものを経験した。
体験費用はtaxも含めて約100万円。
一瞬でシャンパンの泡のごとく大金が消える瞬間。
まりは世界で一番だいすきな男の隣にいたのだから後悔なんてするはずがない。
と、他のお客さんは思うだろう。
今月のナンバー1を確実に飾るであろう男の23歳の誕生日に一番長く一緒にいたのは他ならぬまりなのだ。
それを羨ましがったり嫉妬したり或いは哀れんだり馬鹿にしたり掲示板で叩いたり
そんな様々な感情を浴びながらグラスのタワーにシャンパンを注ぐ。
まりはお店の従業員やその男の客から「エース」と呼ばれていた。
その男の名前は優と言って、常にそのお店のナンバー上位だった。
まりは優の事を愛していたわけでも好きなわけでもなかった。
恋心も依存もなんの感情も優には抱いていないと思っている。
じゃあなんで、愛してもいない男の為に100万もの大金を叩いたのか。
誰にもわかるはずなんてない。わかってもらおうとも思ってない。
これも他ならぬ恋だの愛だのの為だ。
女は惚れて溺れて堕ちる程に夢を見て追いかけていくらだって貢いでしまうものだ。
お金がなければいくらだってつくればいい。
自らの身をすり減らして。
その心を砕いて。
そうして犠牲にしても何も手に入らないことを知ったときにはもう遅いのだ。
そんな風にして歌舞伎町に溺れて堕ちていった女を、まりはもう何人も見てきた。
まりだって例外じゃない。
だが、まりは自分の担当である優の為に溺れていったわけではなかった。
これは、ナオの為だ。
ナオはまりのほぼ専属のヘルプだった。


まりは今ナオに恋をしている。
ナオと初めて会った時、「既に遅い」と思った。
まりの心に激しい後悔の波が襲った。
ホストクラブは永久指名制だ。
その時まりは既に優指名でお店に飲みに来ていて
優の離席中に代わりにヘルプとしてついてくれたのがナオだった。
だが、最初こそ優に淡い恋心を抱いていなかったわけではなかった。



沙希と一緒に初めてホストクラブという場所に足を踏み入れたのは
今から丁度1年前の事になる。
その時はホストクラブなんて知らなかったし、
歌舞伎町に来たのもたったの2回目だった。
初めてお店に入ってシートに座って言われるがままにその場の空気に
したがってお酒を飲んで、2時間位して酔ったはずみで
「ここって何?どんな場所?何のバー?」
とようやく口にできた時は沙希にさんざん笑われた。
「マジで今まで知らないで飲んでたの?ここはホスト!ホストクラブ!
 あ、でも大丈夫よ 初回は安いし、今回は翔がサービスしてくれてるはずだから♪」
その時に初めて自分が恐ろしい場所で飲んでいると知った。
お酒も冷めた。
「おいおい あんまでかい声でいうなよ」
そんな場所にまりと沙希を連れてきた翔という男も今ではすっかりキャッチを上がって
幹部に昇格し、優と毎月ナンバーを争っている。
二人ともナンバー1~3をいつもキープしているかなりのヤリ手だ。
ヤリ手っていうか世間一般の普通の女子からすれば悪魔以外の何者でもないと思う。
そんなまりはもちろんホストクラブなんて通う気もなかったし、
当然通うお金だってなかった。
自分には無縁な場所だと思っていた。
最初は皆そうなのだ。
お金も興味もない女子をうまく惚れさせてなんぼの商売。
女なんて惚れればなんだってやる。
金がないなら稼がせればいい。
若くてそこそこ可愛ければいくらだって稼げる。


ったく女はいいよな。
セックスしただけで大金が得られるんだからよー
そんな女を気分良くさせてお金稼いで何が悪い?
騙す?
そんな人聞き悪いいいかたはやめてくれよ。
俺らだって自分自信を商品として磨くのにそれなりの努力をしてるし
女に夢を与えたり癒したりいろいろ大変なんだよ。
それ以外でも飲みたくもない酒バップしたり
とにかくホストは売上が全てだからな。
女は金 
そりゃ割り切ってるよ。
ちょっと位かわいいからってセックスぐらいしても罰あたんねーっしょ
いちいち同情したり感情なんて持ってたら商売になんねーよ。


おおかたホストの心情なんてこんなところだろうとまりは思う。
1年も高い学費を払って得た教訓といったところか。


初めて沙希と連れられたあのお店を出る時
「送り」というシステムがある事を知って
その時まりの横に付いていた男がまりの送りになった。
男は「俺がまりちゃんの送りでいいの?やったぁ~」なんて無邪気な笑顔を
見せて、無駄に派手な名刺を渡してきた。
名刺には優と書いてあって
まりが「ゆう?」って声に出してみると
「ちがうよ スグルって読むの」と言ってまりの頭をぽんぽんっと撫でてきた。
優は、まるで食べたり寝たり歯磨きをするのと同じくらい当然の行為のように
携帯番号とアドレスを聞いてきた。
あたりまえだけど優は非常に女慣れしていて当然まりの気分を良くさせた。
良くさせられていると気づかせないところがやはりプロだと思う。


お店を出ると、そのまま沙希は翔に送られてホテル街の方へ消えて行った。
まりはこのまま一人で駅の方へ向かった。
新宿駅に差し掛かったところで優から着信がきて
新宿駅だと伝えたら、そこで7分待てる?と言った。
今からそちらに向かうから7分待ってて欲しい。
どうして7分なんだろう?忘れ物でもしたのか?等と考えているうちに5分くらいで
優はやってきて、お店の時のスーツではなくカジュアルな私服だった。
優はハーフというかクオーターのような顔立ちでとても童顔だった。
背はそこまで高くなくて、笑った時にでる八重歯がすごくやんちゃだ。
外国の少年のような顔立ちに八重歯という組み合わせがホストに向いているとまりは思った。
髪型は金髪でてっぺんが黒くて軽くプリンヘアだ。
ホストを初めてまだ1年もたたないという。
優は腹が減った!これからご飯を食べに行こう!つるとんたんいかね?と
言ってまりの手をひっぱったけど
まりは疲れていたしとても眠かったので、寄り道をしないでこのまま帰ることにした。
なぜなのか優もそのまま付いてきて総務線の中まで一緒に乗ってきた。
「家 歌舞伎町でしょ?どうしてついてくるの?」
「俺もねむくなってきたー まりちゃんの家行ってもいい?」
これはいわゆる家庭訪問というやつだろうか。
今にして思えばホストの定石手段であるとわかるのだが、
このときのまりは、疲れていて拒否するのがだるかったのと、
淡い恋の予感とがいじりまざってこのまま優を家に泊める経緯に至ったのだった。

つづく


区役所通りのカフェAYAで、朝からコーヒーフロートをストローでぐちゃぐちゃにかき混ぜながら
沙希はそわそわと流れる時間をもてあましていた。
あと30分で彼がくる時間なはずだけど、また1時間とか平気で遅れてくるんだろうなぁ・・・
待たされれば待たされるほど彼の事が恋しくなる。そして沙希の中で彼との時間の貴重度が増す。
これも彼の計算?それともただ単に、足元をみられているだけ?
たぶんなめられてるだけ。そんなことはわかっていても沙希は常に目を背けて考えないようにしている。
だってせっかくお金を払って「買ってる」のだ。
現実とわかっていても虚しくなることは極力考えたくない。
沙希は、ここ3ヶ月くらい楽しい時間と素敵な商品を定期的に購入している。
愛して病まないその商品は翔という名前のホストであった、

沙希は翔に、初めて出会ったときから、初めて出会った気がしなかった。

よく恋の始まりにありがちな錯覚とでもいうべきか。
ずっと前からお互い顔見知りで久しぶりに会ったというような。。最初はそんな生温かい感覚で

だけど急激にときめきは加速していった。
それはただ単に翔の声の掛け方がすっかり慣れていたのもあると思う。
実際は初対面に違いないし、彼は沙希の他にも何十人、いやひょっとしたら何百人もの女の子に
ああやって声をかけてそしてあの汚いビルへ誘うという行為を延々と繰り返しているのだ。
それでも翔との出会いは沙希にとってはたった1回のかけがえのない出会いの思い出として
刻まれることとなった。
ポジティブなのか現実逃避なのかそんなことはどっちでも良かった。
今この瞬間に翔と居たい。
一緒に居れない時は翔の事だけを考えていたい。
翔の事でいっぱいだった。
カフェAYAには沙希のように、アフターの待ち合わせで時間をもてあましている女の子ばかりが
席を埋めていた。
ミニスカートに太ももまでのニーハイブーツ、くっきりとカールされたブロンド、
付け睫毛、ジェルネイル、ルイヴィトン。
カフェAYAにいるお客は皆一様に同じものを身に付けパンツが見えそうなギリギリで足を組み
そしてどこか寂しそうなオーラを漂わせていた。
みんなアフター待ち?
自分もアフター待ちなのにも関わらず、彼女らとは違うと思い込みたくなった沙希は、カフェAYAを出て隣のミスドへ移動した。
けども、ミスドの店内も差して変わらなかった。
独り客よりも複数客のが多いというだけだ。
沙希はミスドの2階の窓際の席に座り、区役所通りを通る人を上から眺めてみた。
だいたいが、ホストと客のカップルで手をつないで歩いていて幸せそうなごくごく普通のカップルと
変わりなく見える。
だけど決定的に普通のカップルとは違う。
ここではお金がないと彼氏が買えない。
ここはそういう場所だ。
そしてそれらを全て承知した上で沙希は後悔なんてしないと自分自信に誓い
ようやくかかってきたケータイに出た。
「もしもし」
「あーわりぃ まだミーティング長引きそうなんだよね。お前今どこ?」
「カフェAYAにいたけど・・・今はデカマックだよ。」
「マジ?あと2時間待てる?」
「・・・・・・。」
「また終ったら電話する」
電話は一方的に切られた。
沙希はずっと窓の下を見ていたから、翔が嘘をついている事をわかってしまった。
翔の店の幹部と呼ばれるホストや代表と呼ばれているホスト達が、何分か前に区役所通りを出て伊勢丹
の方角へ歩いていくのを沙希は見ていた。
ミーティングなんて嘘。
2時間後にくるのもきっと嘘。
だから沙希もささやかでなんの意味も成さない嘘をついた。
沙希はいまミスドにいる。
上から区役所通りを出たり入ったりする客やホストやホステスや客やタクシーを
ずっと眺めてる。
このまま、翔を待っているつもりはなかった。
けれど、することもしたいこともなくて仕方なくそこにずっといた。
しばらくして、翔から電話があった1時間後くらいに、翔が女の子と腕をくんで区役所通りを出て行くのを見る事になった。
沙希のささやかで意味の成さない筈の嘘は、沙希に思わぬ悲しみと憂鬱を運んできたのだった。


つづく

歌舞伎町のつるとんたんで、まりは、めんたいこのおうどんを平らげてすっかり満腹になったけれどお店に向かう予定時間まであと1時間はあった。
まりはおうどんを全部平らげたけれどすごく緊張をしていた。
何を話そう、何を頼もう、どうふるまおう、
一日中同じ考えが堂々巡りをしている。
そのお店にひとりでいく事は初めてだった。

人目をあまりきにすることのないまりは、つるとんたんにはひとりで入れるのに、そのお店にひとりでいくのはすごく神経質になるのだ。



1週間位前に友達と二人でラーメンを食べた帰り「タダで飲ませてあげるよ」と知らない男に声をかけられた。
その男は明るい茶髪で、顔は女の子みたいでとても綺麗な顔をしていておまけに石鹸の香りをプンプン漂わせていたもんだから、雰囲気までもがとても中世的でだけど独特の何かを漂わせていて、まりは自分とは180度違う世界の住人みたいな感じがした。
だけどたいして印象は残っていなかった。
何しろ歌舞伎町に来たのはまだ2回目で、たまたまラーメンを食べた場所が歌舞伎町の花道通りのとんちんという、友達が言うには、そこそこ有名なラーメン屋さんだっただけだ。


「タダで飲ませてあげるよ だからちょっとだけ酔ってかない?」
石鹸の男がまた同じようなことを言うと、

そんな胡散臭い話あるわけないじゃん!と友達は答えたけど、表情は嬉しそうで実はノリノリでその石鹸の男と手をつないで、ずんずんずんずん歩いていった。
まりはしかたなく後ろからトボトボ付いていった。
友達は沙希と名乗り、石鹸の男も翔と名乗った。

まりは聞かれなかったので名乗らなかった。
翔は黒いパンツに黒いベスト、その下に着ているのも黒いブラウスそして頭には黒いハットを被っていた。
まりは、まるでカラスみたい。と喉まで出掛かったけど言わなかった。
翔は振り返って、まりはどんな男がすきなの?と聞いた。
まりは、わからないなぁ。普通のひとと適当に答えた。
「ふつうって適当だなぁ」
「そう?」
「まぁ いいのいっぱいつけてるやるよ」
そう言って翔はハイテンションでウインクした。
沙希は翔の腕に自分の腕を絡めて翔よりハイテンションだ。
やがて区役所通りの奥の方まで歩いて汚い雑居ビルの3Fだか4Fに入った。
ビルの外観はすごく汚かったけどビルの内装は無駄にゴージャスだと、まりは思った。
どうやらなんかのお店らしかった。
翔がわけわかんない事を叫んで店内にまりと沙希を案内した。
店内には翔と同じような格好をした男達が数人早歩きしたりお酒を運んだりお酒を飲んだり
していた。
目を凝らしてよく見て見ればそれぞれ顔や背丈が違うことがわかったけど
暗いのでぱっとみはみんな個性がなく、まりにはみんな同じに見えた。
それとは別に入り口のサイドに3人くらい男がいて、店内でお酒を注いだりしている男達より、なんとなくだけど雰囲気的に劣ってるというかうろたえているように見えた。
その3人は「しゃぁーせ」とわけのわからない発声をした。
まりは愕然としたが沙希はなんにもなかったように、ようするに沙希は場慣れしているみたいだった。
それから奥の黒いシートに通されてまりと沙希は腰掛けた。沙希は寛いでいる。
翔が何飲む?と聞いてきた。
沙希が初めてだけどカフェパは飲めるの?と聞き返した。
翔はミニならあるよ。今回は特別。といってニコりとした。
まりはそれに何も感じなかったけど沙希はどうやら感じたようだ。
ここまできてもまりは未だここがどんな場所で目の前の男が何者なのか、まったくもってわからなかった。



つづく