書いてるうちに思わぬ展開になりましたおーっ!

長文ですアセアセ




昨日は母と姉と3人で

着物屋さん&ランチに行ってきましたニコニコ

 

 

 

着物屋さんでは

この間旦那さんの実家に帰った時に

お義母さんからたくさん譲り受けた着物を

見てもらいメンテナンスをお願いしました!

 

 

 

いただいてきたものの

着物の価値も取り扱いもわからない私に代わって保存から何から実母に全てお任せタラー

 

 

 

せっかくいただいたので

機会があれば着ようと思って合わせたんだけど

私、背が大きくて全部丈が短かった…ガーン

 


すごく物が良いみたいなので

丈などを直せるかどうか

お店で見てもらったけど全部ダメでした笑い泣き

 


かと言って

丈が合う実母が着るのも姉が着るのも

なんか違うし

とりあえず何かわからないけど

母とお店の人の良いように

メンテナンスだけしてもらって

娘が大きくなった時や

息子の奥さんが出来るまで

良い状態で保存しておく事にしましたキラキラ

 

 

娘も私より大きくなりそうだし

息子のお嫁さんが160センチ以下だと譲れる照れ

 

 

 

 

ランチは姉が札幌に来てから

3人で出かけようって言いながら早5ヶ月

初めて行ったような(笑)

 

 

いつもは子ども達がガヤガヤしてて

ゆっくり話せないけど

今日は母にご馳走になって

甘えてきました寿司

 


これは2年前に居酒屋さんに行った時の生ビール

 



席が空くのを待つ間

トイレから戻り

わざわざ母が座ってる方の

狭い隙間にオバタリアンのように

お尻を捻り込ませようとしたり

オバタリアンわかるかな?笑

 

母の口元に付いていたご飯のカスを

親切に取ってあげたと見せつつ

服に指を擦りつけてみたり指は替えてね

かまってあげると喜ぶ、みちこ70歳ニヤリ

 

 

 

 

母とは昔から性格が似てて

気が合う時はすごく合うけど

ぶつかる時はめちゃくちゃぶつかるもやもや

 

 

 

私が振動数に出会って

自分と向き合っていく中で

やはり母との関係を

見つめ直す必要がありました!

 

 

 

私の価値観や考え方の多くは母の影響が大きくて

その価値観や考え方によって

私はとても生きづらく感じる事が多く自己否定が強くなりました

そんな自分を変えたくて振動数を学びました

 

 

それもこれも

昔から母に否定されてきた記憶が強くて…

褒められたりもしていたんだろうけれど



それよりも

あれはダメ!これは危ない!やめなさい!など

自分がどうしたいかを聞かれる前に頭ごなしだったり先手を打って止められたり常に否定されてきた事の方が圧倒的に印象に残っているのです



言えば否定される→だから言わなくなる→どんどん自分の気持ちを無視する様に→自分が何をしたいか、何が好きかわからない→自分がわからないみたいな

 

 

 

だから理学療法士を辞めて

自宅でサロンをやるって話をした時も

病院で働いていれば

安定したお給料もボーナスもらえるし

厚生年金を払っておけば

歳を取った時に年金でもらえる額も全然違うのにもったいないとか

サロンをやるという報告に今更何を言ってもどうしようないとわかっていながらも一通り色々言われた

 



母は自分が専業主婦だった経験から

私に色々アドバイスや意見をしてくれていたんだと思うけど

 

私にしたら…

また否定された


なんで娘のやりたい事を素直に応援してくれないの?


なんでわかってくれないの?

 

 

という気持ちが爆発して泣きながら

今までの気持ちを思いっきりぶつけました

感情に任せてひどい事も言ったと思います

 

 

母は母で娘に自分の育て方を否定されたと思ったでしょう

相当傷付けたと思います

 


 

でも旦那さんが間に入ってくれて



本当はお母さん自身や育て方を否定したい訳じゃない事


そんな両親に育てられた私だから好きになった事


今までの自分を否定するのではなくて、それも含めて今の私がある事


そんな私が色んな事を経験して気付いて、これからはこういう人生を進んでいきたいと決めた事を応援してもらいたかったんだよね


と言ってくれその場を収めてくれました

そして気付きました




私は母にずっと認められたかったんだ


お母さんに愛されていなかったわけじゃない


「心配」という形だったかもしれないけど、ちゃんと愛されてたんだ

 

 

 

 

母は教員だった父の希望で

仕事はせず家事や育児を任されていました


父は実家が農家で家に両親が居ないのが当たり前の環境で育ってきたのもあり、子ども達には自分の様に寂しい思いをさせたくないという親心で母には家にいて欲しいと願ったそう



母は父の転勤で周りに親や頼れる人も友達もいない土地でたった一人で3人の子どもを一生懸命育ててくれました


父は平日は仕事で、土日は少年団の指導や趣味のゴルフで家に居ない事もあったけど、母は文句も言わず常に父を立て、子どもの前では絶対にケンカや言い争っている姿を見せないと決めていたそう


その甲斐あって私たち子どもは両親が仲良くて父は家族の為に仕事を頑張ってくれて家では遊んでくれる優しい父という印象しかありません

 


 

 

 

そんな中ほとんど一人で3人の子どもを育てていくのに必死だったんだと思います

 

怪我をさせないように…とか

立派に育つように…とか

失敗しないように…とか


 

時代が違うとは言え

私にはとてもじゃないけど出来ません


 

子ども達の為を思ってやってきた事が、子どもにとっては否定されていたとしか思われてなかったと言われたら、そりゃあショックですよね

 

 


あの時はすごく悲しい気持ちにさせてしまって本当にごめんなさい


私はお父さんお母さんが私たち3人の子どもの事を本当に大事に一生懸命育ててくれた事とても感謝しています



以前、直接その事を伝えたくて話そうとしたけれど、母は「結局、私の育て方を否定したいんでしょ」と取り合ってくれず感謝しているというのが伝わらないままになっていました


いつかわかってもらおうという想いはあったもののなかなか恥ずかしかったりして言えなかったけれど


最近、周りで突然の不幸があり

母が元気なうちにこの想いを伝えなければ絶対に後悔すると思い、感謝の気持ちが伝われば良いなと思って今日はこのブログを書きました




私の母みちこ…

実は私のブログ読んでるんです笑い泣き





母へのラブレター&備忘録として書きました音符





書き始めた時はこんな流れになるとは思わなかったけど、いつか書こうと思っていた「愛のかたち」書けて良かったです!

次会う時恥ずかしいなー口笛



お読みいただきありがとうございますラブラブ