Lily's Blog

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パリに留学中。毎日のできごとをアップ!

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前回に引き続き、面白いと思った高校生のテスト回答集。

【問い】
あなたは他人の目が気になりますか?他人の目を気にして「みんな」に合わせてばかりいたら、主体性・自立性の確立が困難になるでしょう。しかし周りとの協調性を失い、ただ自己主張ばかりしていたら、ただのエゴイストになってしまうでしょう。あなたは自分を振り返ってみて、主体的に生きていると思いますか。

●日本人は突然派手なパフォーマンスをしない(そういう職業の人以外は)。代わりに、会議などで「何か意見を」と言われても何も言わない。「みなさんにまかせます」みたいなスタンスで、『みなさん』が席についている。

●「罪」と「恥」の違いは何かというと、人の目を気にしているかどうかです。悪いことをするかどうかに対して、「罪」と「恥」は同じ感じがしますが、もし「恥」だけを感じるような人間が透明人間になったとしたら、人の目を気にする必要がなくなったんだから、悪事を必ずするでしょう。本当に「罪」を感じる人はいないかもしれません。

●自分は主体的に生きていると感じるときはめったにありません。主体的に生きていると実感するのは、たぶん「今日のご飯なにがいい?」という質問に答える時ぐらいです。

●だからといって、日本の「恥の文化」を批判してはならない。「恥」は日本の美である。ここまで礼儀正しく、おとなしい文化は日本以外にそうないと思う。

●ですが過ちというのは必ずしも犯してしまうものであると思っている私は、その後悔するという行動があるということは主体的に生きている証拠だと思います。「後悔」というのは人にさせられることはありえないのです。自分自身でその時のことを振り返りそして自分自身の意見を固めるということ、それは誰にも強制できないし、自分以外の誰にも結論を出す権利はないのです。

●だけど、一番よくないのは友達が友達の悪口をいっているのを、自分は思ってもいないのに「そうだよねー」などということ。だから私は、「なるほどねー」などと否定も肯定もせず、ただ相手の話を聞いてあげる。それがチキンで気が小さい私がすること。

●多数派が正しくなかった例も歴史の中にはたくさんあるから、決して流されてはいけないし、流されずにきちんと考えられるもっと強い『自分』をもっていられたらよいと思う。

●私も中学生の頃までは周囲の人達に自分を合わせていました。そうすることでグループができ、連帯感があったと当時は思い込んでいたからです。ですが、ICUに入り、このとても自由な環境下で、「いっしょにいなければつながりが感じられない弱い関係」ではなく、「近くにいなくてもお互い安心していられる関係」を知りました。

●そもそも「恥」になるからしないという発想自体がゆがんでいる。しかしゆがんだ繁華街を10分も歩けば「自分らしくいたい!」を繰り返すJポップが耳につく。交差点から見える大画面には人気芸能人が「あなたは一人じゃない」と語っている。ビルの隙間からは大手予備校が「夢に向かって!」と掲げたポスターが垣間見える。横には大きな合格実績…。少し例を出しすぎたかもしれない。考えていくとキリがないのだ。「自分らしくいたい」の横には、合格実績にカウントされるような良い大学に行かないと、集団で恥になってはだめだという観念がいつも潜んでいる。その集団から見てその行為が恥になればそれは罪になる。この国で「自分らしく生きる」のはものすごく大変で、ある意味面倒くさい。



だそうな。 ふむ。


Lily
ここ最近、自分の中でヒットだった本『ICU高校生のキリスト教概論名(迷)言集』。

この本、まじで面白い。

記述式の期末試験で生徒達が答える回答が、なんだか素朴で、素直で、温かい。
宗教とか道徳っていうより、私達が毎日の中でふと感じることへの問いかけという感じ。
そんな中のいくつかをご紹介します☆

【問い】
相手を「脅迫」や「取引」や「操作」で自分に従わせたとしても、
本当の愛を得たことにはなりません。なぜならこれは相手の人間の自由意志を踏みにじっているからです。人間は、自由意志を持った「人格」的存在です。
IとYouの関係ではなく、IとItの関係のときに、人は疎外感を感じるものです。このことについて、あなたの考えを述べてください。

●ここで私が思ったのは、やはり人間の幸せの根源は「なにをもっているか」ではなく「どうあるか」なんだということです。'Have'じゃなくて、'Be'。

●ずーっと昔、親戚が死んだとき、ものすごく沢山の人が泣いているのを見た。「人間はね、死んだときに泣いてくれる人の数でその人の価値が決まるのよ」と母が教えてくれた。

●私が昔5人の女の子と仲良くしていた時に、1人の女の子にずっと悪口を言われていました。話しかけても無視されることが多く、最初は悲しく思いましたが、彼女以外で私に優しく接してくれる人はたくさんいたので、あまり彼女にこだわらず、割り切って過ごすことにしました。しかし数週間後、その彼女が他の4人とけんかしたらしく、私によく話しかけてくるようになりました。「私達友達だからね」そう言われても、無視されている時とはまた違った悲しさを覚えました。というのも、彼女が私に話してくる内容といえば、「あの4人、何か私の悪口言ってなかった?」といったものばかりだったからです。私はそのとき、彼女にとって便利な道具と思われていたのでしょうか。

●人より物を愛するという悲しい愛を選択することがあるかもしれません。ですが、人を心から愛することほどすばらしいことはないと思います。

●「モノ」になるために生まれてきた人間はいないはずだ。



皆さんはどう思います?


Lily