介護ベッドの成り行きの続きの続きの続き | 認知症の義母と暮らしてました

認知症の義母と暮らしてました

今年、85歳になる義母は認知症です。昨年からうちに引き取り同居しています。義実家の片付けもあります。
ようやく特養に入り義実家ももう少しです

皆様、いつも沢山のいいねと
ありがたぁいコメントを頂き
ありがとうございます!







タイトルが変ですみません
話がごちゃごちゃで長くてすみません
書き出したら止まらなくなって、、、
すみませんがお付き合いくださいm(__)m








義母は本当に壊れてしまいました
私達はパニックになりました







それまでにもっと早く気づくべきだった
というのが本当に反省なのですが
うちの義母に限ってというあるあるが
私たちにも強くありましたので
どうしてこうなったんだろうと思うばかりで
気持ちの整理のつかないまま
とにかく目の前のことに必死でした








ベッドを入れた翌日から毎日
旦那が出勤前に寄り
起こして着替えさせて朝食と投薬
(起こさないと一切ベッドから出ない)
デイのある日は玄関脇の部屋に
座らせておくが
それでも旦那が出掛けた後に
ベッドに戻っていたりした
昼間はふうこが何度か寄って
部屋の中を確認して
その都度必要なことをする
夕方も旦那が退勤後に寄って
起こして夕食と投薬の確認をして
着替えさせてベッドに入れるまでする
という生活が始まりました
買い物は前から届けてたけど
できていると思っていたことが
できてなかった事実を目の当たりにし
居間を片付けたことでその他の
色々が発覚してほぼすべてが介助に
なりました









もう、いつ誰が行っても
スヤスヤとほんとに幸せそうに
口をあけてイビキをかいて眠っています
だから起こしてもいつも意識は朦朧としていて
せんもうとも取れる妙なことも
言い始めていました
そしてとうとう失禁が始まりました
寝ているからすぐに動けずに間に合わない
急いでリハパンを買いに走って
ちょうど帰って来た旦那に
履いてもらうように言ってもらいました
どれだけ強く拒否されるかと
覚悟していましたが
私でなく息子から言われたからでしょうか
そうか、といってすんなり履いてくれました
あとから思うことばっかりですが
この時の義母は認知症状態でも
一番穏やかな時だったようです
(この生活なら当たり前か)









とは言え
ベッドで寝てばかりの毎日が
いいはずがありません
この時はそう信じていました
(因みに今は少し違っています)
それまでなんとか季節や時間も
わかっていたのに
季節、年月日、曜日、時間、
自分の生年月日さえも、、、、、
わからなくなって、、、、
この頃はまだ認知症薬は
飲んでませんでしたので
認知症のお薬って効くのかな、、
少しましになるかな、、、、
飲めばなんとか朝起きて昼間過ごして
夜寝るといった普通の生活が
できるようになるかな、、、、
病院へどうにかして
連れていかなくちゃ、、、、
焦っていました









それまで義母の掛かり付け医だった
近くの個人病院の先生に相談するも
アルツハイマーの診断を出しただけで
認知症の薬は出してもらえませんでした
血圧の降圧剤と不整脈のみの処方
この先生は余計な薬は出さないというのが
信念で風邪でもほとんど出されません
家でゆっくり寝てくださいと言うのみ
この時も、薬なんかに頼って世話をしないつもりですか、あなた達家族がすぐにでも一緒に住んであげなさい
あなたが身の回りのお世話をしてあげなさい
大事にしてあげなさいと言われました
それも非道な人を諭すような説教口調で
このときの心中たるや、、、、、
もう2度とここには来ないと思いました









それから数日後に
予約しておいた大きい病院の認知症外来へ
寝ている義母を無理やり起こして
支度をさせて
出るまでにかなり時間がかかって
もうすでに疲れてましたがなんとか
連れていきました
「捨てる神あれば拾う神あり」
とても素敵な笑顔の包容力のある
優しい先生でした
症状をひとしきり話した後に先生が
付き添いの私に
「よくしてあげてるねぇ
大変やろう?しんどならん程度にしいや」
そう労って下さいました
泣けました
そのあと、よくある認知症のテストを
先生とおばあちゃんはゲラゲラ笑いながら
やっていました
「へぇ~?はぁ~?わっかりっまっせーん!
ぎゃはははははは」
先生もゲラゲラ笑います
とても楽しそうでした
でも、私の話は信じてもらえるのか?
不安でした
先生は「ま、今こうしてみてるとそうは見えんけど、外と家とでは全然違うことはよくあることや、家では寝てばっかりということやから、最初はこれで(薬)様子見て、またあかんかったら変えたらええわ、飲み薬もあるけど、独居なら管理が難しいやろうから、家族さんが行った時に張り替えてあげたりならできますか?」と
リバスタッチを出して下さいました
その場の義母の様子だけでなく、私の話を受け入れて下さったことに深い安堵を覚えました
先生に深々と頭を下げ診察室を出ました
《暗い介護生活の中にやっと明るい光が見えたと思ったのに、この人徳のある素晴らしい先生はこの数ヵ月後に癌で他界されました
本当に「神様」に、、、
それはそれはショックでした
残念で仕方ありません》









義母とお昼を外食していたら
色々と手間取ってしまい
そうこうしてると
幼稚園のお迎えの時間になり
仕方なく義母を車に乗せたまま
お迎えに行きました
園庭で遊びたがる子供を無理やり
車に乗せたら泣き出しました
それをなだめようと義母が
大きな声でわーわー言います
もう車中はカオス
やっと義実家について
車から義母を降ろして
(義実家に駐車場がなく離れている)
子供に私の側を離れないように
ついてきてと声かけながら
義母を家に入れ
とりあえずテーブルに座らせて置いて
子供がまだ入ってこないので
見に行って子供と部屋に戻ると
もうすでに 義母は服のまま
ベッドで寝ていました
今のことはもうすっかり忘れて
「あ、あんたいたんか?もうねるさかいにな、かえってんか、もうええわな、〇〇も(孫)いたんか?もうかえりやぁもうねるさかいぃ」
幼稚園児が言い返す
「おばあちゃん、いたんかってなにいうてんの、今、車で一緒にかえってきたんやで、
おかしいやろ」
(もうおばあちゃんおかしいねん、、、)











この日の夕方から
リバスタッチ始めました
続きます








ふうこのひとりごと
読んでくださりありがとうございます