他者を思う心を育むために必要なことは?以下のジイジの言葉の中にその答えがあります。

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ちょっと目線を変えて見る。ちょっと距離を置いたところから自分のやっていることを見る。そうすると他人目線になるから、そういう人は他人のために生きるようになる。ちょっと距離を置くということは、他人の位置から見るということだから、この人はこんなことを求めているなと感じて、それに応えていくことが出来る。それがキャッチボールということ。自分からしか見ていないと他人のために生きることは出来ません。

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自分だけの思いで「他者のために・・・」と思っていてもそれは独りよがりになってしまうでしょう。大切なのは、自分から離れることです。

 

より詳細は、ただただ他者を想う心 をお読みください。

一人ひとりが価値を置いている目線がその人の人生を創り出しています。今、多くの人々は、それぞれの個人的願望から世界を眺めることで、それに翻弄される人生を創り出しています。個人的願望に取り込まれていると、自分を客観的に見ることが出来ません。そうすると自分の個性が分からず、個性が癖性分となって表れ、世界に滞りを生み出していきます。その総和が限界に達しつつある地球環境となっているのだと思います。

 

一人ひとりが個人的願望から離れ、自分を客観的に眺めることで、自分を理解するようになります。そうすると、一人ひとりの個性が世界の中で生かされていきます。それは天の流れの下にあるので、一つの扉が開かれると、それが連鎖し、希望の道が生み出されていきます。そんなふうに生きる人が増えていけば、その総和として、調和した世界が生み出されていくことでしょう。

一人ひとりの人生が地球の現状に繫がっています。僕は本当にそう思うから、丁寧に大切に生きていきます。

 

より詳しくは、一人ひとりの人生が地球の現状に繫がっている。をお読みください。

脳は、認識の深まりを表す物理的な表現なのだと思います。地球の歴史を見ていると、脳を発展させるために、環境の変化があったように感じます。そして、それは神さまの自己認識の深まりに繫がっているのではないかと思うのです。

 

歴史を見ていると、出来事はすべて人間の意図を超えていて、もしかしたら神さまの意図も超えているのかもしれません。始まりのトキ、神さまは完全なる身体を分けられましたが、それにより何が生じるかは分からなかったのではないかと思うのです。なぜなら、この時点の神さまに認識はなかったのですから。なにより退屈を超えるためには想像を超えた出来事に出会う必要があります。

 

分からないところに向って変化変容を繰り返していく。

 

それが神さまの意思であり、この世界の法則なのだと思います。

 

より詳しくは、一人ひとりの認識がこの世界を創っている(2) をお読みください。