(2)哲理門
俺と奈那は『哲学堂下』というバス停で降りた。快晴で太陽の光は暖かいが、12月半ば過ぎた風はやはり頬を刺す。
哲学堂は中野通りと新青梅街道がぶつかった場所にある。休日の昼間は中を散策する人が結構いる。老夫婦、子供連れの家族、そして恋人たち、皆んな少し変わったこの公園を各々で楽しんでいる。
俺たちは、バス停から新青梅街道へ戻るように歩き、弓道場や野球場を右手に見ながら正面口へと向かう。
「気持ちいいね!」
「確かに。でもやっぱり寒いけどな」
「歩いていれば、暖かくなるって!」
確かに日差しが気持ちいい。公園内には小高い丘がいくつもあり、ちょっとしたアスレチックな感じの場所だ。そこを散策するのは、極めて健康的な休日の昼下がりとなるであろう。
「俺、哲学的なウンチクとか、全然わからんぞ。奈那が解説してくれよ。」
「任せてよ!」
(ふん、ふふーん、ふんふんふん)
奈那は鼻歌を歌いながら得意げに応えた。腕を組みながら半分スキップしている。今日の奈那の鼻歌は『バスストップ』というバリバリの昭和歌謡だ。
(確か、別れの歌じゃねぇか?)
そんな別れの歌も、奈那の笑顔と腕を組みながら相手の歩調を完全に乱すスキップで、何だかんだハッピーソングに聞こえる。
「奈那・・・腕組みながらスキップするの、やめろ。俺の左腕が上下して歩き難いって!」
奈那は『ほ?』みたいな口の形を作り俺の顔を見ると、片方の眉をピクッと上げた。
(や、やばい!)
案の定、奈那のスキップの上下動は更に激しさを増した。
奈那は身長が165cmと女性の中では結構高い方だと思う。俺が172cm。奈那がヒールを履くと俺は完全に抜かれる。だから、奈那はいつも俺と一緒の時はスニーカーを愛用している。本人も身長が高いことに若干のコンプレックスがあるようだ。よく街で身長の低い女性を見て『可愛くていいなぁ』などと呟いている。たぶん、あちらはあちらで『背が高くいいなぁ』と思っているかもしれない。無い物ねだりだ。
そんな、俺に近い身長の人間が片腕にへばり付き、激しいスキップをしているのだ。その動きに俺の身体は、前後左右上下に弄ばれている。すれ違う人達が二度見するのも当然だ。
「奈那! マジで腕がもげるって」
俺が言うと同時に奈那のスキップが止まった。
「どう?少しは暖かくなった?」
確かに奈那に引っ付かれながらスキップをされていたので、体勢を保つために必要以上に全身の筋肉を使った感じで、少し汗ばむくらいだった。
「あ、あぁ・・・暖かくなった」
「でしょ? 私は暖かいでしょ!」
そう言いながら、奈那は俺の顔を覗き込むと、わざとらしく胸を俺の腕に擦り付けてくる。
「う、うん・・・暖かい・・・けど、公衆の面前で乳を押し付けるな」
奈那は「えへへへ」とワザとらしく笑いながら、「ほら!」と前方を指差した。新青梅街道から哲学堂通りに入ってすぐの所に、哲学堂の正面口がポッカリと口を開けている。
俺たちが降りたバス停からは、中野通口という入口の方が圧倒的に近いのだが、敢えて奈那は正面口から入ることを選んだ。
正面口を入り少し歩くと左手に、哲理門が現れた。俺たちはそこをくぐる。
「ねぇ、弘、これ見て」
門の両脇の鎮座する変テコな像がある。
「阿吽の仁王像じゃねぇじゃん!何?これ」
「天狗と幽霊」
例えば浅草寺の雷門、宝蔵門などには、身体を大きく捻った阿吽形の仁王像が対をなしているのが普通である。神社の鳥居の前にも阿形と吽形の狛犬や獅子がいる。
「天狗と幽霊って・・・何か意味あるのか?」
「敢えて阿吽像を天狗や幽霊にした、深ーい、深ーい、作者の意図を考えるのが哲学じゃない?」
「天狗って妖怪だろ。妖怪と幽霊が対をなすって・・・共に怪異の象徴だからか?」
俺がブツブツと大きな一人言のように奈那へ向かって、更なる疑問を投げた。奈那の視線は哲理門を見つめたままである。
「天狗はね、山神としての信仰対象でもあるのよ。猿田彦という神と同一視されることもあるし・・・」
「あるいは落下中の火球が空中で爆発した時の爆音や、落下した隕石が地表とぶつかった衝撃音が天狗の声だと考えられ、中国の古書では、凶事を告げる流星を天狗と表現されているものもあるから」
奈那は門の片方にいる天狗の方へ足を進めた。
「神、自然現象、そして魔道へ人を引きずり込む妖怪・・・天狗は、成り立ちから時代の流れ、宗教との関係、そして地域性に応じて、その性質や姿を変容してきた不思議な存在ね」
俺は唸った。奈那が天狗に対して、これほど知識が有るとは思ってもみなかった。
「なるほどね。なら天狗は井上博士のカテゴリーで言えば、真怪以外の偽怪、誤怪、仮怪という全ての要素を持った存在ということだな」
「対を成す幽霊も・・・人が創り出した偽怪、心理的な要因による誤怪、場合によっては自然現象が関係した仮怪ということか・・・」
「そうとも言えないよ」
奈那はやはり天狗の像を見つめたまま、笑みを浮かべ呟いた。
「だって双方とも存在自体を否定出来ないでしょ?」
「それは悪魔の証明だろ! 全ての物事の存在を完全否定することなんか、絶対に出来ない」
「probatio diabolica・・・今も昔も、科学者という人種が最後の切札に使う逃げ口上ね」
奈那は得意の英語でもフランス語でもなく、ラテン語を使った。それが妙な説得力を加える。俺はカチンときて食い下がった。
「あのなぁ・・・ある仮説に対して、100の事象が存在した時、99を完全に否定出来ても、1の事象を否定出来ないことなんて、山ほどあるから!」
「だから、俺たち科学者は有意差検定や信頼区域を統計学に求めて、そのデータの信頼性を担保するんだよ」
「うん、知ってるよ。データの最大、最小の各2.5%とかを切り捨てるんでしょ」
「でも、それは平均値、あるいは時には中央値から見た信頼範囲の適正化をすることであって、逸脱したデータに対して、事象との関連性を完全否定し、排除するものではないよね?」
奈那は文系女子だ。いつから奈那はこんなディベートをする様になったのだろう。
少なくとも学生時代は、フランス文学専攻の典型的な文系女子だった、はずだ。しかし、振り返ってみると、俺が話す理系の世界にも興味があったようで真剣に聞き入り、「それってこう言う事?」と、自分の語彙で的確にサマライズする事がしばしばあった。
(確かにその通りだ)
(やっぱり奈那は賢い・・・)
正に哲理門とは良く言ったものである。俺はこの禅問答の様なやり取りを、沈黙という最悪の手法で終わらせた。やはり、奈那という三蔵法師の護衛である孫悟空が、俺には丁度良いポジションであると改めて思う。