「ただいまぁ」
思ってるより小さい声だった。
玄関を開けて靴を脱ぎながら居間にいるだろう人に声をかける。
自動で点いた玄関ポーチの電気。続く暗い廊下をぺたぺたと歩いて進む。
木枠の中の磨りガラスから居間の灯りが漏れて足元を照らす。
「ただいまぁ」
さっきより大きな声で言った言葉に返事はなかった。
玄関には靴があったし、今日は俺より早く帰ってるはずなのに。
たまにキッチンで俺のための酒のツマミを作ってくれてたりして気づかない時もあるけど、今日は違う。美味しそうな匂いも、火を使ってる部屋の温もりもない。
着ていたジャンパーをソファーにポンと投げて、部屋を見回す。
居間に居た形跡がない。
ゲーム専用の潰れたクッションも寂しそうに転がってる。
風呂かな?
それとも寝てるかな?
寝てたら起こしちゃうなと思ってても、名前を呼びながら家の中をウロウロする俺。
「かずー」
寝室には居ない。
「かず?」
風呂も静かだ。
居間に戻って、奥にある部屋の前に立つ。
「......いつか......」
防音ルームのドアが少しだけ開いてて、かずの独特の甘くて少し掠れたような声が聴こえた。
開いたドアの隙間から聴こえる声に耳を澄ます。
かずがめちゃくちゃハマってたアーティストの歌だった。
最初に聴かせてもらった時、かずそのものを歌ったようにも聴こえたのを覚えてる。
歌い終わったのを確認して扉を開けて中に入る。
所狭しと置いてあるドラムに電子ピアノと何台かのパソコン。
レコーディングしてんだな。
ヘッドホンつけて、こっちに背を向けてマイクの前に座ってた。
手を伸ばしてパソコンを操作してまた歌い出す。
俺の大好きな甘く通る声。
独特の抑揚と綿あめみたいなキャンディボイスが入り交じって歌を紡いでいく。
横顔の見える位置に移動したら、目を閉じて気持ち良さそうに歌ってた。
都会の上に浮かぶように。
音をメロディーを発信しているように。
満足に歌えたのか、ゆっくり目を開けるとふわりと笑った。
それから俺がいる事なんて最初から知ってたみたいに「おかえり智」って言ったんだ。
「だってさ展覧会も休止中だし、どっかに行って楽しむのも難しい状況でさ、俺も、なんかさ出来たらなって」
少し口を尖らせて言うかず。
「それにずっとやってなかったからさ。きっと、皆もうやらないって思ってるでしょ?だからさ」
そう言って、イタズラを思いついた子どもみたいに嬉しそうに笑ってる。
そうだなって返事をしたけど、リスナーより誰より俺が嬉しかったよ。
ただ1人の観客だろ。
コイツの本気の生歌を聴けるのは俺の特権。
1人でマジで踊る俺を観るのがコイツだけだってのと一緒。
「音源、これにも入れとけよ」
「もう送った」
かざした俺のスマホにはかずからのAttitude
おしまい