坂の途中からちょっと疲れた様子だったかずは、玄関を入ったら上がり框に座ってしまった。
「かず、とりあえずリビング行こ」
くてっと座ってしまったかずに何も考えずに手を差し出したら、スッとその左手で俺の右手を掴んで立ち上がって、上がり框をのぼった。
そのままリビングのソファーに連れて行って、薬を飲ませる。
少し増えた薬に一瞬戸惑う表情をみせたけど、今日から少し増えたからって言ったらコクっと頷いて素直に飲んだ。
それからかずは棚に置いてた俺のスケッチブックを見たままウトウトとし始めて、30分もする頃にはスヤスヤ眠ってた。
縁側と続くリビングは、大きなガラスの引き戸から入る太陽の光で暖かく、外の寒さは感じない。
ソファーで静かに眠るかず。
少し赤みの刺した頬の色が肌の白さを強調してて、いつも見惚れてしまう。
その寝息を感じながら新しい薬をケースにしまっていく。
ケースの中には小さな卓上カレンダーが入っていて、薬を飲むごとにチェックを入れることにしてる。
飲んだか飲まないか。
時間は守れたのか。
全部を覚えておくことは無理だから、かずが入院したあとに、出版社の人からもらって本棚の隅に突っ込んであったのを引っ張り出して使い始めた。
こんなふうに少しずつかずが元の状態に戻っていくサポートをしていこうって、何度も思う。
体力が落ちてるし、まだ話もあんましてくんないけど、それもちょっとずつ回復して、オレをもう一回信じて欲しい。
ココアが飲みたくなって、大きめのマグに作って戻ってきたら、縁側に近所の野良猫が来て丸くなってた。
白いその猫は陽だまりで微睡むように目を細めていて、ものすごく描きたくなってスケッチブックを取り出して描き始める。
色をつけたりして夢中で描いて、ふっと気づくともう出来上がるところ。
視線を感じて横を見たら俺の隣に、膝がつきそうなくらいの距離で、かずがブランケットに包まれて座ってた。
絵の中の猫と縁側の猫を見てぽそっと呟く。
「猫」
「うん、可愛いな」
って答えたら「うん」って小さく頷いてまだ少し眠そうな目で猫を見てた。
それからかずはシェアハウスの掃除を始めて、俺が手伝おうとしたら断られたから、外に置きっぱなしにしてた自転車を片づけたりして時間をつぶす。
夕飯の支度にとりかかろうとしたとこに潤から電話がかかってきて、今日は実家に泊まるから夕飯要らないって言う。
かずに伝えると「そっか」って小さく呟いただけで、夕飯の支度を始めた。
1人でカレーを作り始めたかずは、前と変わらない様子で具材を切っていく。
俺は先生に過保護は良くないって言われたのと、掃除の手伝いを断られたこともあって、キッチンの小さな椅子に座ってかずの様子を見てた。
野菜を切って鍋で煮込んで、クルクルと鍋を混ぜたり、煮込む時間の間にサラダを作ったりする。
その手つきも動きも前と変わらなくて、時々俺の方を見てサッと鍋に目を戻すのも同じで、ほんの少し前のことなのに懐かしく感じて、切なくなった。
その夜は片付けもかずが1人でやって、交代で風呂に入った後、2人で布団に入って静かに眠った。
夜中にふっと目を覚ましたら、かずの左手が俺の右手の小指をギュッと握ってた。
小さな子どもみたいなその仕草に、抱きしめたくてたまらなくなったけど、ぐっと我慢してもう一度眠った。