女性は何度でも輝く

女性は何度でも輝く

子供は重い障害だったし。離婚もしたし。人生終わったと思った。もう一度立ち上がって看護学生になった。子供と一緒に夢を追う。終わりじゃない始まりの日々。

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パニック障害を
パニック障害と分からないまま
2年放置した間

私が苦手となった場所、行動

心拍数が上がる階段や坂道
急に逃げられない温泉や美容室
遊園地の乗り物
外食

最終的に
近所のショッピングモール
スーパー
子供の行事

布団から出ることさえ
怖いと思うようになった

発作に支配された生活は
どんどん私の心を狭いものにした

出来てたことが出来なくなる
情けなさや、悲しさ

家族に対する申し訳なさ

苦しいということを
隠して過ごす辛さ

そんな私が心療内科に行くきっかけとなったのは

実家に帰っていた時の大発作だ

初めて私の発作の姿を見て
両親は驚いて

私が最後に検査をした
総合病院の救急外来に連れていった

救急外来に案内され
心電図をつけて休んでいる時に
2回目の発作が出た

アラームが鳴る

先生呼びますね!と呼ばれて来た先生は

あの時の先生だった

せんせい…
苦しいです…
死にそうです…

過呼吸だねえ

一応心エコーをして

先生は

大丈夫だよ
お母さん心臓丈夫に産んでくれたから
僕ね、たくさん心臓止まった人
見てきたけど

あなたは
あと70年は止まらないよ

それより
心療内科行ってるの?
すぐに行きなさい。

本当はどこかで分かっていたのかもしれない
私は心臓の病気じゃない

ただ、心療内科という壁は
まだ私には高かった

薬は依存性があると聞いたから
心療内科は絶対に行きたくないと

発作がこわいくせに
明日生きるのが辛いと
めちゃくちゃなメンタルで

もう私1人では
解決することは出来なかったんだ

何度も、何度も苦しかった
もう充分頑張った

この苦しみから少しでも解放されて
生活できるなら

薬に頼ってもいいのかもしれない


踏み入れる1歩をくれた
先生には本当に感謝している