三修社の「小さい“つ”が消えた日」のプロモーションとして、「“つ”抜きことばであそぼう」というキャンペーン。


・意外におもしろい! 「“つ”抜きことばであそぼう」キャンペーン(RBB NAVI)
http://www.rbbtoday.com/news/20090219/57959.html

タカシナカムラのブログ
https://www.sanshusha.co.jp/tsu/


小学校の頃とか、文章を書くとき小さい「つ」が書けない人ってクラスに一人はいた。

そいつの作文とか読んで笑った記憶がある。

普段しゃべるのには何の支障もない(しゃべる分にはちゃんと小さい「つ」が入ってる)のに、文章を書くとなるとそれができないっていうのは何なんでしょうね。


本自体を読んでないから内容はわからないけど、恐らく「言語の乱れに対する危惧」や「何気ないものの重要さ」みたいなことがテーマなんだろうね。

言語の乱れってそもそも何なのって話。

その時代を生きる人の使う言葉が「言語」であって常に変化し続けてるんだから。

平安時代の人の使った日本語と、今使ってる日本語は明らかに違うし、極端な話、言語が乱れてるって言うなら平安時代の言葉を使えってことなのかという話。

ギャル語が流行ったときに、「若者の言語の乱れ」って盛んに言われてたけど、結局それが一般的に普及したかというとそうでもない。

女子高生の中でのコミュニケーションツールとして、自分たちだけで話題を共有共有するという、狭いコミュニティの中でのある種の閉鎖的な言語だったわけだ。

実際言語は常に変化してて、割と全体的な話だと少し前から、主にカタカナ英語の終わりの「ー」を書き言葉のときは省略する人もいるし。

「コンピューター」→「コンピュータ」みたいな。

携帯メールの普及で、文字を分解するのも流行ってるよね。

「神」→「ネ申」とか。

まぁ、これは頑張れば読めなくもない。

で、今回の話。

「うったえますか」→「うたえますか」

これは、さすがに意味が変わるし小さい「つ」抜き言葉が流行ってしまうと困る…。


言語の乱れみたいのが危惧される背景には、みんなとのコミュニケーションツールがなくなってしまうということへの警戒があるんだろう。

ギャル文字みたいのはあってもいいけど、ギャルの世界に閉じこもってしまうのはあまりよろしくないとかそういうニュアンス。

現代の日本社会が不健全なのは核家族や年功序列の崩壊が原因とか言われてるけど、根本的な問題は前述した日本語の多様化にあるんじゃなかろうか。

似た趣味の人同士で集まって、その人達の間でしか通じない日本語を使うことでその中の結束は強まる。

その代わり、その言葉に慣れてしまうと他のコミュニティの人と話が通じず、「この人の言うことは理解できない」と諦めてしまう。

そして隣の人が理解できなくなると、対立が生まれる。

そうなると、社会がますますギスギスしたものになってしまう。


使い古されたセリフだけど「大切なものは、失って初めて気づく」ってよく言うけど、確かにその通りなんだよね。

空気みたいに普段その存在を特に意識してないものの重要性って本当に気付かない。

だからこのキャンペーンみたいに、もしなくなったらということを自発的に考えさせるのは効果的かと。

普段考える機会のない、「もしなくなったら」を考えることで、その重要性を理解させることができる。

「くだらねー」って笑ってるけど、なくなるってそういうことなんだよ、みたいな。


・三修社
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