会社社会でうつに悩まされた僕が、3ヶ月間で125万円の売り上げたインターネットビジネスの秘密

会社社会でうつに悩まされた僕が、3ヶ月間で125万円の売り上げたインターネットビジネスの秘密

40歳で起業した元いじめられっ子が月に
20万円を安定的に稼いだ秘密を公開します。

Amebaでブログを始めよう!

学校4年生の頃から英語の勉強を始めた。


独学でした。未だ、塾にも行ったことありません。


小学校、中学校、高校、大学と生徒会長で、勉強、


クラブ活動でもみんなの中心になって


頑張ってきました。


いわゆる優等生でした。


僕は知らぬ間に「有頂天」になっていました。


英語に関して言うならば、中学校1年から高校3年まで統一試験では全国1位でした。


大学でも英語を専攻して誰にも負けませんでした。


大学時代が一番もてていた時期だったと思います。その後が最悪^^


僕の最初の仕事は英語教師でした。その後、新聞記者になり、英字新聞記事を書いていました。


いつも、よる9時ごろまで残業していました。その時はお金がそれほど、重要だとは


おもいませんでした。


しかし、結婚すると事情は変わりました。


僕の給料は月14万円程度であり、小遣いは3万円であった。


お小遣いはもちろん飲み会代、昼飯代込である。


僕はどうにか自分が自由にできるお金を増やすため、システムエンジアとしての道を


選択した。


面接に行くと「君の経歴は数奇だね」と言われたりしました。「好きでSEとしての道を


選んだのではない。」内心僕はそう思いました。


お金の為である。手取り50万円になったが、あんまり


自分の小遣いは変わりがなかった。


あれはバブルがはじけた後である。


僕は某大手会社に配属され


コンピュータ・システムのトレーナとして勤務することになりました。


前に勤めていた新聞社ではパソコンを触るというとこは、文字を打つくらいであった。


それが、海外支社のSE技術者の前でのトレーナです。


準備期間はおよそ、3日間。。。クレームが出なくしないと。


「こんなマニュアル英語で見ても分からないよ!!」


トレーニング初日から僕は必死にごまかした。英語の力でどうにかこの


危機的状況?を切り抜いた。


トレーニングがないときは、また?急にシンガポールに


一人で出張に出かけた。


出張は成功した。もちろん、一夜漬けでした。


質問があってわからない場合、「I beg your pardon?」といい英語が分からないふりを


した。


質問内容を紙に書いてもらい、後程教えるといい逃げてきた。質問は


殆ど、技術なことでした。英語屋の僕が分かるはずないじゃないですか?!


上述した仕事の結果、英文科卒の僕は:プログラム開発言語


(C言語、Java、PHS、Linux, Unix,など)を


マスタすることができた。


数奇な僕のキャリアと度重なる激務により、僕の心は徐々に蝕まれていった。。


https://ssl.form-mailer.jp/fms/62625a6a276416