THIS IS MY TRIP  中村圭一郎

Private Tourist Board Information Centre in Okinawa-[ earthtrip ] by ANCHORRING.JAPAN

Japan running through region revitalization project-[ magic journey ] by ANCHORRING.JAPAN



THIS IS MY TRIP 中村圭一郎  ■メルマガ会員募集中!!

沖縄情報を月2回 満月と新月の日にメルマガ配信中。
登録はHPトップページより>>http://www.earthtrip.jp/index.html
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

バイオディーゼルアドベンチャー山田周生さんよりメッセージ

皆さん こんにちは
【バイオディーゼルアドベンチャー】の山田周生です。

BCC一斉メールにて失礼いたします。
寒さも厳しくなって参りましたが、今年の冬はいかがお過ごしでしょうか。
遅ればせながら本年もどうぞよろしくお願い致します。

昨年は大震災に原発事故と、日本中の人々にとって忘れられない年となりました。 また、僕自身にとっても今まで体験したことのないほど走り続けた年でした。2011年を思い起こせば、バイオディーゼルカーを使ったプロジェクト「バイオディーゼルアドベンチャー」で日本一周中、岩手県花巻市で東日本大震災に遭遇したのがきっかけで支援活動が始まり、日本全国の多くの方たちに協力していただきました。早いもので支援活動もあれから約10ヶ月間が経ちます。

長文となってしまいますが、皆様へ「ご報告とこれから」について少しお話をさせて頂けましたらと思います。

          ―――――――――――――――――――――――――――――――

「3.11のあの頃」
3月11日震災直後、私が滞在していた花巻市では停電、ガソリンスタンドは閉鎖、シャッターの閉まる店には水や食料を求める長蛇の列。沿岸部へ支援に向かうどころか、地域全体のライフラインをも途絶えた状況でした。そんなとき僕には化石燃料に頼らず走れるバイオディーゼルカーがあり、しかもこの燃料で電気も発電できる装備、夜中でもサハラ砂漠を踏破できるようにできている4輪駆動車、情報源のラジオ、携帯を充電したり、PCなどインターネットで情報を発信できる機材も揃っている。そして、今、まさに岩手県にいる。その機動力や発信力を活かして支援することができるかもしれない。いや、やらなければ。そんな決意を胸に、近隣の農家や商店街から食糧や物資を分けていただき、緊急支援のために沿岸部へと急ぎました。
すさまじい事態の現場。そして支援といってもエリアや避難所によって状況が違うため、必要とするものも刻々と変化していきます。「何をすればいいのか」毎日が模索の日々でした。現場では「これでいい」「大丈夫」ということはありません。さらにどうしたらいいのか、どうすることがベストなのかと、考えながら思考錯誤する日々でした。

はじめの3か月間は花巻の自然農家さんに宿と食事の後方支援を頂きながら、その後現在まで釜石に拠点を設けて支援を続けました。春がきて、短い夏が過ぎ、秋を迎え、そしてこの冬が経ち、10ヶ月はあっという間でした。廃天ぷら油で走れる車は全国から集まり、多い時で4台の支援車が被災地を回りました。気がつくと走行距離はいつのまにか5万kmを越えていました。がむしゃらに走った10ヶ月、今ようやく振り返ることができるようになってきました。

■2011年の支援活動の様子は、ブログ(http://space.rgr.jp/bio/)でもご覧になれます。
■昨年の10月までの支援内容を簡単にまとめたものが以下URLにアップしております。↓http://space.rgr.jp/bio/report2011/index.html


「2012年、新エネルギーへのシフト」
震災後初期に食料や水が少しづつ手に入るようになると、どの避難所でも車や発電機の燃料を強く求められました。車の燃料さえあれば「行方不明の家族を探すことができる」「遺体安置所に身元確認に行ける」と。 また、自衛隊がお風呂を作った、と朗報が届いても、避難所の場所によっては片道10kmや20km以上もある。当時はまだ送迎バスもなく、雪が降る日もあり、到底歩けるものでもありませんでした。そういった地域のために、天ぷら油で車(BDF/WVO)を走らせる仲間に声をかけ、最大4台となる天ぷらカーのチームを結成。避難所から遺体安置所、お風呂、安全対策本部へと人々を送迎しました。もっと現地でBDFが普及していてディーゼル車も多く使われていたらと......この時ほど痛切に思ったことはありません。
また各避難所を回って残念だったのは、発電機がガソリンタイプのものばかりでディーゼル発電機が見当たらなかったこと。そのためバイオディーゼル燃料を分けることができなかったことでした。

今、被災地の人々は仕事を探し、生活を立て直そうとする一方、未だ気力もなく辛い状態にいる方、高齢の独り身で途方にくれる方など、その方それぞれに悩みや不安を抱えながら日々を送られています。そのため仕事ができるように自立支援や、心と体のケアなどが必要な時期です。今後の支援は仕事作りや仮設住宅などへの訪問を通してそうしたケアを行っていきたいと考えています。人々が仮設住宅を出る時に、元々あったコミュニティ、或は新しいコミュニティの輪の中に入り、前を向いて自分の足で歩けるように。必要とされる時に、そっとお手伝いができればいいなと思っています。

具体的には、目の前のニーズに応えるのはもちろんのこと、仮設住宅へ訪問し楽器を持ち込み音楽を楽しんだり、絵を描いたり、お茶やカフェ等で、できるだけ家から出て来てもらい交流を深める【ART de SMILEプロジェクト】を行っていきます。
さらに未来へ向けた復興支援として地域単位で取り組めるような身近な自然・再生エネルギーの活用やエネルギー自給自足プロジェクトを、進めていきたいと思っています。これからさらに多くの方々の協力が必要ですので、ぜひお力を貸してください。どこまでできるかわかりませんが、将来的に自然・再生・新エネルギーを複合的に活用して、エネルギーと食の自給自足ができるようなコミュニティづくりを通じて、ここ東北にそうした支援活動の拠点作りができたらと思っています。


「グリーンアースキャラバン」発足
ところで昨年の夏、長期支援に切り替えたおり災害支援の活動名を「グリーンアースキャラバン」と名付け、現在も拠点を釜石に構えて活動中です。1人、2人ではたいしたことはできませんが、人々が力を合わせればできることは無限にあると思います。この大震災で死亡した人の数は、行方不明者も合わせて約2万人にも及びます。大災害と原発事故。けして他人事ではなく、自分たちの抱える問題そのものであり、現代において最も厳しい事態を今日本が迎えていることは、避けようもない事実です。「自分に今何ができるのか」「自分の役割は何か」みんなで知恵を出しあって、様々なボランティアの方々とも協力し合って長期的にできることを考えていきたいと思います。ぜひ皆さんのお力を借してください。


      ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「最後に」
沿岸から少し離れれば、もう何事もなかったかのような日々。県外へ出る度、現地とのギャップに驚かされてしまいます。しかし大切なのは「決して忘れないこと」「この問題は他人ごとでなく、自分たちの問題そのものであるということ」、今震災で浮き彫りになった問題は、自分の身の回りにもおきているということに気づくこと。
昨年末の時点で、岩手県の犠牲者数は4667人、行方不明者1368人を数えます。現地では、本当の踏ん張りどころは「これから」です。あの日の想像を絶する悲しみや不安は何度も波のようにやってきます。それらを乗り越えて、生活を立て直し、未来の次世代へどういった町を残していけるのか、どういった生き方をすればいいのか、ひとりひとりの行動が問われているのだと思います。

今年も精一杯自分のできることをやっていきたいと思います。また、現場での対応だけでなく、被災地のことが忘れられないよう現地情報を発信し続け、必要とあれば日本全国はもちろんどこへでも足を運ぼうと考えています。

最後に多くの支援をいただいたすべての方々へこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。日本から海外までじつに数えきれないほどの方々に支援活動に関わっていただきました。本来ならば一人一人にお礼を申し上げるべきところですが、この場をお借りしてご挨拶とさせていただきます。本当にありがとうございました。
今後もご支援とご協力を頂きながら、一緒に歩みを進めていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

山田周生
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>