おはようございます。

 

 昨日は霧が晴れると青空が広がっていましたが、そのご曇ってしまいました。10時過ぎから退院する4歳の孫と母親を迎えに行ったところ、彼は「じいじばあばの所へ行きたい」と言うので我が家に連れて帰り、夕刻5時前には孫頭Hを迎えに行って8時前に二人を送って行きました。

 

 今朝は濃霧に覆われていましたが、その後すっかり霧が晴れ、快晴の青空が広がっています。今日は4時過ぎに孫Hを迎えに行って、週末は我が家に泊まらせるつもりです。おかげで大相撲秋場所はテレビ観戦がなかなかできないため、インターネットで観ています。

 

 

 弟の最期:「告別式」

 

 やがて告別式の始まる時刻を迎えると親戚の席は満席だったが、顔を知らない人が多かった。一般参列者の席は空き席が結構あったが、この日に都合が付かない方々は昨夜の通夜式に来ていただいていたようだ。中には彼が旅立った1日の仮通夜に始まり、通夜、そして告別式と三日間にわたって参列していただいた方も少なくなかったようだ。

 

 この時も生前の弟の舞台姿や歌声が流れていた。進行役の女性の案内に従って僧侶が前の出入り口から一礼して入場し、前夜と同じように喪主の義妹の席まで来て挨拶した。続いて故人の棺の前に立って一礼したあと後、読経が始まり、進行の折々に「一同合掌」、「礼拝」などと言う声に私たちは従った。

 

前夜の通夜式の前、義妹に

「義兄さんたちもこれを首に架けてよ」

と言われて、告別式でも簡略化された袈裟である「輪袈裟(半袈裟)」を首に架けて参列していたが、このようなことは初めてのことだった。過去にもこういう姿を見かけたことがあったが、後で調べてみたところ、これは他の宗門でもあるようだ。

 

 前夜もそうだったが、この僧侶読経はとても声がよく、旋律が美しい。朗々とした読経が続く中、喪主の焼香は僧侶より前の棺の前に設けられた焼香台で行われ、続く親族の焼香は僧侶の右側やや後方の焼香台で行われ、その後の一般参列者の焼香は左側で行われた。この宗門では摘んだ粉末の香料を高く上げるのではなく、そのまま香炉に一回だけ焼香するように指示されていた。

 

読経や焼香が一通り済むと、僧侶は喪主や遺族の前のマイクの所に来て何か言っていたが、それは遺族に対する説教と言われるものだったのだろうか。これまで多くの葬儀に参列してきたが、この葬儀の法式には初めて感じることが結構多かった。

 

 僧侶が退室すると、喪主を伴って席前の中央部に進み出てマイクを前に遺族代表の挨拶を行った。その内容は前夜に予めまとめていたが、義妹らの「できるだけ短くしてね」という言葉が脳裏にこびり付いていた。簡単に故人の兄であるという自己紹介をして参列に対する謝意を述べ、故人の闘病とそれを支えてきた義妹の献身的な介護について紹介した。

 

続いて、弟の生前における交誼や厚情に対する謝意とともに、彼亡きあとの遺族特に寡婦となった義妹への誼を依頼して挨拶を終えた。こういった場面では重ね言葉など忌み言葉があり、これも迷信の域を出ないが、これも我が国の長い歴史の中で培われてきた社会常識と言ってよい。敢えてその常識に抗う必要はない。

 

 その後、いよいよ彼との最後の別れだ。帰省してもこれまであの笑顔と出会うことはできない。そういう思いがこみ上げてつい目頭が熱くなり、不覚にも涙が零れ落ちた。両親を始め、二人の兄たちを見送ったが、このような感傷に陥ったのは母を見送って以来のことだった。

 

最後は棺の中に花を入れて飾りつけていたが、義妹は妻たくなった弟の頭に手をやり、顔に頬を摺りつけて涙声で別れを惜しんでいた。妻の兄姉たちは、私の所に来て懇ろな言葉をかけてくれた。棺はある芸能人の葬儀で使われたものと同じだという豪華なものだったが、これも義妹の弟への思いが籠っているようだった。

 つづく

 

 読んでいいただきありがとうございます。