おはようございます。

 

昨日は終日良い天気で、日中の外気温は30℃に達していました。今日の早朝には巻雲のような涼し気な雲が浮かんでおり、とても爽やかでした。

 

 昨日は早朝から敷石の敷き替え作業を少ししたあとPCに向かい、午後には厚生会の会議へ出かけるつもりでしたが、確認したところ中止になっていました。夕刻には再び敷石の作業を行いました。

 

今朝も涼しいうちにと思って6時過ぎから作業に取り掛かり、1時間ほどで一旦休憩して再度始めました。長男の所へ行く時間になり、再び休憩して帰宅後再開し、9時半過ぎには暑くなってきたため、また休憩しました。

 

 

 小学生の頃

 

小学校に入学したのは、15歳上の長兄はじめ、歳上の次兄、7歳上の姉などが通っていた5㎞ほど離れた小学校だった。その頃には人口7千人ほどだった村内に6、7校あった小学校でも、子供の数は結構多かったように思う。

 

登校時はほとんどバスで行っていたが、あるときには歩いて登校しなければならなくなったとき、歩くのは嫌だと言って駄々をこねて母親らを困らせたことを記憶している。

 

下校時は同じ方向へ帰る同級生たちと一緒だったが、道草しながら遊び遊び帰っていた。道端で春には白い穂を伸ばした草を摘んだり、冬には小石を拾って川に投げてみたりしながらだった。

 

冬のあるときに小石を拾って川の方へ投げると、川面でカーンという音がしていることもあった。山間部と言っても、今ではそういう話を聞かないが、その頃にはかなり寒かったのだと思う。

 

暖かい時期には、藪に逃げ込もうとする蛇を見つけては、しっぽを捕まえて引っ張り出し、ぐるぐると振り回してそれを地べたに叩きつけるというような残酷なことを平気でやっていた。

 

ところが、大人になってからというもの、蛇は大の苦手だ。ここへ引っ越してきた頃には、妻が庭で蛇を見つけて「おとうさん! 蛇~!」と言って騒ぎ立てても、それを素手で捕まえることはできなかった。

 

直ぐに駆けつけはするが、大概はゴミばさみを持って行って蛇の首根っこを捕まえ、遠くへ捨てに行っていた。今では、それらの蛇も見なくなっているが、これらには住みにくくなったようだ。

 

 本題に戻ると、4年生からは本来の校区にあった2㎞ほど離れた小学校に転校した。ここへの通学は徒歩だったが、同級生らと一緒に下校していたという記憶は乏しい。

 

しかし、帰宅後や休日などには、近所の同級生や近い年齢の子供たちとチャンバラごっこをやったり、自動車ごっこをやったりしていたが、これらの遊び道具は自分たちで作っていた。

 

 チャンバラごっこの刀は竹などを切って作ることが多く、同じ竹を使って鞘まで作っていた。当時の主人公は鞍馬天狗や旗本退屈男、宮本武蔵などだったように思う。

 

ある時などは、家の事務室の壁に掛けてあった細い針金を使って、鞘をぐるぐる巻きにしたが、終戦直後のものの乏しい時代だ。母に「勿体ない!」と言ってきつく叱れたことがあった。

 

 自動車ごっこでは、気の切れ端を使って車の形を作り、これに木の小枝などを輪切りにし、火箸を焼いて穴を開けて車にしていた。高学年になると、前輪にはクランクなどをつけて軸を運転席の上に伸ばし、ハンドルを作っていた。

 

この頃には本を読むのも大好きで、小学校の図書室に置かれていた物語や伝記ものを借り、そこにあった全てを読み尽くした。読書を始めると何事も忘れて夢中になり、歩きながらでも読んでいた。

 

今はこれがスマホなどに変わっているかもしれないが、中身が異なる。読書から受けた刺激はかなり強いものがあり、知識だけではなく、読解力や作文力などにも繋がったように思われ、特に国語は得意科目になっていった。

 

 読んでいただき、ありがとうございます。