おはようございます。

 

 昨日は雨模様の天気でした。今朝はよく晴れて朝陽が射していましたが、その後曇ってしまいました。予報では、午後には晴れるのではないかと思います。

 

 昨日の午前中には、孫の勉強をみていて途中で会合のために出かけましたが、午後に帰宅後勉強の結果を見たあと、彼の要請でともに本屋へ行き、本を買って帰りました。

 

  

東の本大震災9年を思う

 

 今日は東日本大震災の発生から9年の記念すべき日だ。宮城県のブロガーでいつも訪問していただく方が、「外見上はかなり復興が進んだが、人々の心に残る復興はまだまだだ」と述べられていたが、その通りだろう。

 

このことは、阪神淡路大震災で甚大な被害を受けた当地でも、四半世紀を過ぎた今になっても人々の心に残った傷が完全に癒えたとは言い難い。

 

 今朝の朝刊に目を通していると、米海軍の艦船や航空機による「トモダチ作戦」の記事が掲載されていた。それを主導したのは、空母「ロナルドレーガン」のトム・バーク艦長だったようだ。

 

彼は韓国に向けて航行していたとき、東日本の海岸が大津波に呑み込まれていく映像を目にして、「これは応援に駆け付けるべきだ」と思い至り、司令官に連絡するとその快諾を得て進路変更をしたのだ。

 

 私はこの時、会議を終えて帰宅していた車の中で大地震の発生を知り、帰宅後すぐにテレビをつけてその映像に驚いたことが脳裏にこびりついている。

 

その後の福島原発事故のことも、食い入るようにテレビの映像を追ったが、発電所の電源が遮断されてしまった時、「これで原発のコントロールができなくなる」と絶望的な気持ちになったことも鮮明に残っている。

 

 トム・バーク艦長は、駆け付けた時に最も衝撃を受けたのは「日本人の精神と文化だ」と述べている。彼らがヘリなどで運んだ支援物資を、人々は整然と並んでリレーしていった。

 

彼らが1週間後に訪れた小さな集落では、人々が倒壊した家の中から行方不明者を探し出そうと力を合わせていたと述べている。このくだりでは、いささか目頭が熱くなってしまった。

 

私などは持病を抱えており、現場に駆けつけても人々の足手まといになるにすぎず、ささやかな義援金を何度か寄せたくらいのことだった。

 

3年後に訪れた宮城県最北部の海岸で、首を垂れて心からの哀悼の気持ちを捧げた。この時、利用した飲食店やホテルの方々から様々な話を伺った。

 

ホテルで高校卒業後に就職したばかりの若い女性従業員は、家が浸水して腰まで浸かりながら逃げたが、隣のお祖母さんが絶命していた。

 

この震災では2万人以上の尊い命が奪われ、未だに多くの方々の行方が分かっていない。そんな中で、最愛の家族を失った人々や大事な財産、職場を失った人も多いが、必死に生きている。

 

 勿論、インフラをはじめ、新たな災害に備えるための復興工事はとても大事であり、政府も力を注いできた。それ以上に、私たちはそこで被災された人々のことや、そこで得た多くの教訓を忘れないことが大切だ。

 

 読んでいただきありがとうございます。