こんにちは。

 

今日は晴れたり曇ったりの天気で、少し蒸し暑いように思います。

 

昨日の午後には買い物へ行って帰宅した後、家周りの樹木の選定などを行いましたが、少し動くと汗だくになってしまいました。

 

相撲に興味のない方には恐縮ですが、長期の休場から引退覚悟で臨んだ今場所の横綱稀勢の里、中日の小結玉鷲戦では一方的に敗れ、九日目の大関栃ノ心戦は難しいだろうと諦めていました。

 

ところが、元気な頃を彷彿とさせる素晴らしい横綱相撲で勝利しましたので、今日以降に改めて期待したいと思いました。せめて二桁の星を挙げてほしいと思っています。

 

 

 間人

 この二文字について、これは「一体何なのか?」、「何と読むのか?」 と思われた方も多いのではないだろうか。「もしかして間男(まおとこ、夫のある女性が他の男と関係を持つこと)のことか?」と思われた人もあるかもしれない。

 

これを「はしひと」あるいは「はしうど」と読まれた方は、かなり歴史に詳しい人ではないだろうか。

欽明天皇の娘で用明天皇の皇后、聖徳太子の母である穴穂部間人皇女(あなほべのハシヒト(ハシウド)のひめみこ)を思い出されたに違いない。(皇女をスメラメ、コウジョとも読み、時代によって異なる。)

 

一方、これを「たいざ」と読まれた方は、京都府北部丹後地方にある漁村の地名を知っていた方ではないかと思う。普通、この文字を見てタイザなどと読むことはできないはずだ。

 

 この地名の由来について最も有力な説は、やはり間人皇后に関係するようだ。彼女は渡来系蘇我氏と在来系物部氏の勢力争いを避けてこの地に身を寄せていたようだ。

 

乱が治まってからここを去る時、間人皇后は世話になった住民に地名を間人とするように言い残したようだが、そのままハシヒト(ハシウド)と呼ぶのは畏れ多いとして、皇后がここから退座したことに因んで「タイザ」と呼ぶようになったということだ。

 

 全国にある地名の中に、単になまって呼び方が少し変化したということではなく、元々一般的な読み方に該当しないものがある。そういう所では、何らかの謂れがあることが多いはずだ。

 

もしも、そういう地名をご存知の方があれば、教えてほしいものである。

 

読んでいただき、ありがとうございます。