おはようございます。今日は急遽、これまでのシリーズを中断して、映画「永遠の0」の鑑賞記を掲載します。いつもアクセスしてくださるGマークさんのブログの記事を読んだ時から、一度観に行きたいと思っていた映画でした。よろしくお願いします。  ヤマナ


映画「永遠の0」

平成26124日(金)の今日、妻とともに映画「永遠の0」を観に行った。

三年、四年も前のことだったか、当時の話題作「武士の一分」を観に行った時と同じ映画館だ。その時の上映室は、今日のそれよりはるかに小さい部屋だったが、観客は少なかったことを覚えている。今日のそれは、比較にならないほど多数の観客で埋まった。

これまで百田尚樹氏の原作がベストセラーになって、報道機関でもしきりに取り上げられていたが、特に買って読もうとまでは思わなかった。更に映画化されて話題になっていることも知っていたが、わざわざ観に行こうとまでは思っていなかった。ところが、ブログの記事を見たときから、その思いは一変した。世間では、この映画に対する評価が二通りあるようだ。それを確かめてみたいという気持ちが、ふつふつと湧いてきたのだ。

広い上映室の観客は、私よりはるかに高齢の方もいれば、若いカップル、中年の人たち、女性だけのグループもあった。映画が始まってからというもの、ほぼ2時間半の上映中、誰一人として声を出すものはいなかった。加齢のためか、このところ涙腺が緩みやすくなっているせいもあるだろう。何度となく涙があふれた。

こんな悲しい出来事を誰が望むだろうか。これは決して戦争を賛美する映画ではないと確信した。これを「戦争賛美の作品だ」という人の感覚を疑ってしまう。

映画は、戦争時の出来事と主人公の孫たちが暮らす現在とで構成されていた。その良し悪しはともかく、平和な現代社会に生きる若者が、当時の感覚を理解できないとしても不思議ではない。戦後日本の教育はひたすら平和教育に徹し、中国や韓国のように戦争の現実やかつての敵国に対する敵視教育を徹底することはなく、戦争については現実味を感じられなかったからだ。

先の東日本大震災や17年前の阪神淡路大震災では、実に多くの尊い命や多くの損害をもたらした。多大な犠牲を強いられる中で、多くの若者たちが被災者のために役立ちたいという一念で、募金や労働奉仕などの活動に汗を流してきた。暴走行為を繰り返していた若者たちが、「こんなことをしている場合じゃない」と言ってグループを解散し、まともに働き出したという話もある。天災は突然やってくるが、いくら平和を願っていても、戦争に突然巻き込まれないという保証はない。

戦争を望む人はまずいない。ところが、戦後の日本の社会が、平和ボケしているとよく言われることが多い。現在、そして将来を担っていく若者たちの中には、惰性や享楽的な生活を送っているものも少なくない。先人たちの尊い命を懸けた歴史の上に、現在の繁栄を享受できていることに思いを巡らせて欲しい。命を尊び、今何をしたらよいのか、よく考えることが必要ではないか。

この映画も、いずれテレビを通じて放映されることになるだろう。若い人たちにも是非観てもらいたい作品である。

 

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