久しぶりの更新です。果たしてこのブログを楽しみにしてる人がいるのかも分かりませんが⋅⋅⋅⋅⋅。まずはこの人







フェンウェイ⋅パークでのアフターラン⋅パーティーでの1枚。
握手して、『オリンピックに出なきゃダメだ』って言ったら一瞬顔が『えっ?』ってなってました。
なんだか凄い事になってるみたいで⋅⋅⋅。

パトリオット⋅デイの映画が公開された後、グランド⋅ゼロのシンボルツリーは無くなってました。

有名な“261”ゼッケンとトレーナー。この辺知らない人は、ブログをさかのぼってください。

今回の自分のゼッケン。WAVE 1 corral 7
結果は⋅⋅⋅⋅5°41'03" でへ。まあ、まあ、、www
スタートのホプキントンは気温2°c前日に降った雪が残り、時折ミゾレ混じりの雨がふり、強くなったり風も吹きつけ、東京だったらランナーの安全を考え、中止になるような天気。
“ でも、ここは BOSTON⋅⋅⋅ ” 映画の中で『この街をナメるな』って言う台詞があったのを思い出して、ミョーに納得しました。
スタート時はだいぶ弱くなったけど、それでもびしょ濡れになった体は体感気温0°c以下で、カッパを着たまま走りました。
所々でしゃがみこんでるランナーがいたり⋅⋅⋅⋅
そして31km付近まではなんとか来たのですが、ここに来た時には、右足の筋肉が寒さで収縮し何度か痙攣して、officialのメディカル⋅テントに吸い込まれるように⋅⋅⋅。
ガタガタ震えていたら、メディカル⋅ボランティアの方が、10m離れたチャペルをウォーム⋅アップ用に解放してるからそこに行けとの指示。そこには10人位ランナーが、日本の人もいて『もぅ無理だー』なんて話しかけてきました。
この時点では自分もリタイヤしようか、どうしようか迷ってました。
窓際にある暖房(と言っても温風機)に当たりながら外を見ると、どしゃ降りの冷たい雨の中、働くボランティアや沿道の応援。『この人達は自分がスタートする前からこの雨の中にいて、自分がゴールしてもまだ働くんだよなー』なんて思いながら『これが “ BOSTON STRONG ”なんだ。』って感じました。
40分位経ち、ウェアも乾き、体も温まり『よし、行ける所まで、自分の限界まで行こう。』
37km付近まできたのですが、また寒さで痙攣、メディカル⋅テントへ。寒さで凍え死んでしまうんじゃないか?と思いながらも、ここまで来たときはリタイヤする気持ちも無く⋅⋅⋅
“ If I take a rest few minutes , I can go. ” (正しい英語か分かりませんが) “少し休んだら行ける”、ガタガタ震えながらボランティアに言うと、コンソメスープを作ってくれたり、ブランケットをかけてくれたり、優しい言葉をかけてくれて。
そのあとも1km?1マイル?毎の2箇所のメディカルへ。そのたびに同じような優しい対応をしてもらい、『ここが最後のメディカルだ、(ゴールまで)行けるか?』の問い。
もぅ、頭の中はランナーズ⋅ハイ。ガタガタ震えながら、ちっさくファイティグ⋅ポーズ、首を横に振り “ I never give up !!! ”
英語としては正しくないかな?
” I don't give up ” もしくは “ I never retire ” かな?
まぁ通じたみたいなので、少し休んで残り2マイル位かな?
時々、足を引きずったり、止まって屈伸したり、そのたびに沿道の応援が “オルモスト⋅ゼア” “キープ⋅コーイン“
“ BOSTON STROG ” 青に黄色の高架橋。
ボストン⋅⋅⋅この街の凄さはここから更に強烈に。雨でレッド⋅ソックスの試合が中止になり去年より多くの人がマラソンの応援に来ていて、オリンピックのスタジアムの様な盛り上がりで、右折、左折⋅⋅⋅2度の爆発のあったボイル⋅ストンstへ。
涙、涙⋅⋅⋅ ゴール。ボイルストンに向かって5秒間 “礼”
BQなんて参加基準があって、タイムや大会で参加出来ないランナーが沢山いるけど、この街の市民が作ってくれた大会を走る為にはそれだけの努力が必要なんだ、
そしてランナーなんて、ただこの街の人々が作った、この世界一の大会を走らせてもらってるだけなんだって実感しました。
ゴール後メダル、ブランケットをもらい、メディカル直行。体が暖まり一旦ホテルに向かったけど、テントを出て5mで足がつり逆戻り。
ベットに横になり、しばらくして再びテントを出て足を引きずって歩いていたら、二人乗りバギー自転車の女性が⋅⋅⋅『何処に行く?』
『シェラトンだ。』と伝えると『後ろに乗ってる女性と一緒だから乗ってけ。』
『お金持ってない』と言うと『(お金は)いいから乗って。』と。嬉しかった⋅⋅⋅またこの街に走りに来たい⋅⋅⋅
BQ(ボストン⋅クォリファイ)をとって⋅⋅⋅
降りる時に同乗の女性がお金を渡そうとしたら、運転していた女性は受け止ろうとしなかった。『気持ちがすまないから受け止って』と言ったら『OK』なんて、やっと受け取って。

メダル。左側が今年のものです。
タイムは今までで最低だったけど、今まで走った中で最高の大会でした。川内君にとってもきっとそうでしょうね。

フェンウェイのワンダの看板。
abbott world marathon majorsが2020年の春に “ wanda age group world championship ” と言う40才以上の5才刻みの年代別の世界大会を開催するそうです。
もしかしたら、ここ(ボストン)?なのか。世界大会に出るのは難しいかも知れないけど、2020年にボストンにまた帰って来ることを目標に頑張っていけたらいいですね。
『自分が出来ること』、『それを一生懸命に』
“ Boston Strong ”
『ボストンよ強くあれ』
今回の旅でお世話になったドイツの旅行会社の方々、出会った方々、そしてボストンの人々にはとても感謝です。
ありがとうございました。
つづく⋅⋅⋅