大阪城公園の片隅に煉瓦造りの建造物が存在していることを御存知でしょうか?これは1870年(明治3年)に大阪城三の丸跡に開設された軍需工場で、「大阪砲兵工廠」として太平洋戦争終了まで使用されていた。また兵器だけでなく金属製品まで製造していたという。
当初は大阪城周辺だったのが最終的には今の大阪ビジネスパーク、JR・大阪市交通局森之宮検車場、森ノ宮住宅まで拡大され東洋一の軍需工場となった。幾度か改名され最終的に「大阪陸軍造兵廠」となった。
しかし1945年(昭和20年)8月14日の空襲で壊滅し、多数の犠牲者を出した。戦後、不発弾を恐れてかしばらく廃墟のまま放置状態だったが順次開発され、現在は大阪城公園、大阪ビジネスパークなどに生まれ変わった。
ではここから残存する砲兵工廠の遺構をご紹介しましょう。
↑化学分析所。1919年(大正8年)建造。ベニヤ板で塞がれており中に入ることはおろかその様子をうかがうこともできない。
↑守衛詰め所。柵で囲まれておりこちらも中に入ることができない。
西淡路の「高射砲住宅」 もそうだが大阪の戦争遺跡はあっさり取り壊されてしまう(本館は1981年まで残存)。市は保存する気はなさそうでいつ取り壊されるかわからない。砲兵工廠を語る唯一の「生き証人」なのでぜひ残していただきたいものである。