ハクソー・リッジ
【ハクソー・リッジ】[ハクソー・リッジ-Wikipedia-]人間の悪魔的、破滅的行為の一つに狂信がある。信仰心の有無に関係なく、私たちは神またはそれに代用される何かに対し、土着的で無意識的な歪なまでの特殊な信仰心を持っているのかもしれない。だが敬虔な信仰心を持ち得ない者達は信仰対象が代用できる分そのベクトルは日を追うごとに変化している。しかしそれらに対しはっきりと『信仰』という意思を持ち取り扱っているかといえばそれはやはり皆無で、むしろ否定的な言動をするにまで至る。もう私たち人間に清廉潔白なまでの『信仰』は行うことはできないのか?近代以降ポストモダン以降『信仰』の在り方はどうなったのか?まさに迷える子羊たちである私たちにこの映画は1つの『信仰』の模範として、今ここに現代にそして私たちに問をそして答えを投げかける。この映画は戦争映画ではない。そして純粋な信仰心を描いた映画でもない。勝手に規定するのなら一種のビルドゥングスロマンであり、そして宗教戦争の物語である。ドスは言う「医者になりたかった」と。慌ただしいまでに流動する時代、想像を超えた現実とその深淵に見出した虚構へと引き寄せられる若者。「国のために」と皆は言う。「守りたい者のために」と皆は言う。そして考える間もなく、言われるがまま流されるがままに皆銃を抱える。しかしドスは抱えなかった。「信仰のために」とドスは言う。しかし「国のためにも戦いたい」とも。では武器を持たずして何を持ってして戦うのか?「武器は持ちません。助けます」そう宣言した異端者は言うまでもなく多くの地獄を見ることになる。ーーーーーReviewーーーーー有楽町スカラ座で初日に見てまいりました。入りはまぁまぁってところだったかな。題材が題材なだけに人を選ぶのかもしれませんね。僕たち日本人が信仰心に対し希薄化したのはいつ頃なんでしょうかね?オウム事件だったり、それこそ資本主義により生まれた拝金崇拝文化の後遺症ってのも言えるでしょうね。まぁこういった希薄化ってのは僕たちの住む国、言うならば先進国にだけ見られ感じられる現象かもしれませんし、少し視点をズラし中東のほうなんて見れば言わずもがな『神』や『信仰』を中心とした争いだってあったりするわけですからね。この映画の良いと思ったところだが『信仰』の素晴らしさを伝える映画ではなく、『狂信(原理主義)』に陥ることによる弊害とそれに伴う二次的現象などを描いているところで、確かにこの映画の終わりは主人公を英雄的な終わり方で締めくくっているようには見える、それは映画としては正しい終わり方なのかもしれない。しかし今一度思い返しこの映画を振り返ってみたとき、僕たち観客は主人公のことを英雄と思えますか?確かにあの人数を救出したことは偉業で道徳的観点から見れば称賛に値するのはわかる、だが一個人の『ルール』によって他人の命を助けることは本当に正義なのか?忘れてはいけない、戦争から帰還した人が必ずしも正常な生活ができるのかということを。だからこそこの映画の前半部分(はっきり言って全く必要のない部分)で主人公の過去や家庭の内情(帰還兵の父親)を描いたのではないかと?そして多くを見せず語らずの余白の多さもこちら側に考えるさせる余地を与えるためなのではと。助けることは正しいし、宗教的観点からみても正しい。しかし正しいとされることが正義だとは限らない。『正常な狂人ほどの恐怖はない』これはあくまで僕の見方だが、ハッピーエンドとはときに残酷な未来を生む結果もあることを忘れてはいけない。