峙垣内行者堂
峙(そば)にある行者堂。グーグルマップ上では行者堂としているが、地元での呼び名はどうなのか。
垣内は「かいと」と読む。小集落といった意味が基本だが、中町ではいろんな意味を含んで使われているようで判然としない。
峙を「そわ」とする資料もあるが地元の発音は「そば」。
藤ノ木の行者講の行者像と似ているが、小さくて風化も激しい。峙の行者講に関係しているらしい。
行者講自体はすでに絶えている模様。
藤ノ木より峙の方が歴史の古い地域であると思われるので、こちらの行者像の方が古いのかもしれない。
中山の役行者掛け軸
中山にあったと思われる中山村講中。その講箱にあった役行者掛け軸。安永の時代の物。
左右に當山、大峰の文字がある。當は当の旧字体。裏面には「霊山寺正大先達法印 賢静」とあり、修験道当山派の拠点、霊山寺に置かれた正大先達その人の名であろう。
残念なことに中山村講中について知る人がいないので、詳細は不明。
山ノ上の行者講
山ノ上に行者講があるようだが、どれくらいの歴史があり、堂や祠などが地域に残っているかは不明。
中町の原点となる中村。その中村が太閤検地により発足した当初の中心地が山ノ上と考えられるので、古いものが残っていそうではあります。


