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気まぐれ♡ポンコツmamaブログ♡

2児の母。モラハラ夫と離婚し3人暮らしの育児日記や出来事、大好きなコスメやメイク、ネイル等写真アップしたり、発達障害の子供を持つ母としても、経験談を記事にしています。

綺麗で可愛い人で居たい♡願望は、いつまでも持ちます!


長女 発達障害
次女 一才違い



2年前の12月に離婚をし、親権を取られました。
しかし、離婚してすぐ、子供達は引き取りました。
一人は逃げてきて、もう一人は、元夫の携帯を使い、(たすけて はやくきて)
でした。
安定剤とお酒を飲みすぎて、自分に包丁を当てている姿を、子供に見せたそうです。
その時に、親権を渡すと言われましたが、子供達がこちらに来ると、何故か渡さないと言うようになったのです。
その時にも、今も、もう子供達は見ないし、金も払わない。と言われていました。

調停、裁判、全てが終わってから発覚したのは、元夫の発達障害。

子供は一人、発達障害と診断されていましたが、途中から私に会わせなくなり、小学校へも無理矢理通わせていました。
服を全部学校で自分で脱いで、さらには手を掴まれ、引きずって教室まで連れていかれて居たようでした。

子供達と過ごした日々は、壮絶で、発達障害を持つ子供は、死にたい。と、頭を打ち付けたり、それが1日に何度も、10分から15分続いた。
それをしない時は、物に当たった。
病院へ電話して、対応を聞いたり、ひたすら勉強して、これはどうか、あれはどうかと試した。
朝まで眠れない日々もあった。
子供は、自閉スペクトラム。

興奮状態が続くと、手足が出てしまい、眠りにも支障が出た。

子供が苦しんでいるのに、私は人任せになんて出来ない。

一緒に苦しんで、一緒に乗り越えた。

離婚は、子供の存在意義を根こそぎ失くす。

私も両親で味わった事がある。

あなたは生まれてきて良かったの!

奇跡だったの!

2回の流産の末、


子供は二人とも、産まれた瞬間、産声を上げなかった。


首にへその緒が絡まっていた。


医師が居た一人目は、すぐに連れていかれ、医師が居なかった二人目は、私が、【泣いていない!】とすぐに見て、慌てて連れていかれた。

そして二人とも、出産した後の私は、重度の貧血状態だった。

立ち上がった後、倒れ、気付いたら車イスだった。


妊娠して分かった、私の身体の事情。

子宮の卵巣が、人より小さかった事。


もう産むことは、死を意味する。
それほど自分の身体を削る。

二人の子供達が、宝である事は間違いない。


それを伝え続けた。


ママも一緒に死ぬよ!

それすら言う時もあった。

悲しむなら、それ程ママは、大事に思ってる!


次第に良くなった。


子供は、両親に似ることはあっても、同じ存在ではありません。

兄弟でも、似ることがあっても、全く違う人であるように、

一人の人間として、話してあげることが、とても大事だなと思っていました。

3ヶ月、更に3ヶ月、子供には、笑顔で助けられた。


そうでは無い子供も、実は言えないだけで、発達障害の子からのストレスで、感情は不安定だった。

自傷行為や、人に当たったり、物に当たらなかったものの、ほとんど同じ事を、もう一人の子供に話してあげて、自己肯定をしていった。


まだ安定はしていないものの、子供達はとても元気に過ごせるようになった。

学校へは行けなくても、中間の教室とある、別の場所で、友達を作りつつ、勉強はタブレット教材を取り入れて、2年生からやり直してる。


発達障害の子は、まだ睡眠前に、弱い安定剤を使用している。


生活においては、自分の身の回り、手伝い、無理無くさせているが、まだまだかな。


私の体調が、去年から良くなかった。

離婚前から、あまり出来なかった健康診断。

血液検査では分からなかったはず。

子宮内膜症ポリープ
子宮頚がん


どちらも細胞再検査。


子宮内膜症ポリープは、経過観察として、そこまで悪いものでは無かったが、

子宮頚がん

手術が必要かどうか、大きな病院で見て貰うことになった。
中度~重度の見分けがつかないらしい。


即座に考えたのは、子供達の事。

今となっては落ち着いてきた私の実母に、世話をお願いする形になると思い、親戚にも伝え、来て貰う事にもなった。


今となっては立派に大人になった甥っ子や姪っ子達。


子供達もとても懐いているし、力になってくれそうで、少し安心した。



子供達も、この春、小学の中学年と高学年になる。


心配させ過ぎず、私はしっかりと治して、これからの子供達と成長していきたい。




もし誰かが、苦しんでいて、この記事を読むことにより、少しでも前向きになれたら幸いです。


自分の身体を大事にし、子供達を育てていきましょう。


母強し、されど、人間なり。





実は撮り溜めしてたネイル達マニキュアネイル







どんなにキツくても、1本でもネイルを変えたり、カラーを使ったネイルは、癒されたり、どんなのにしよう?と、考える時間もくれます。


今年は実の父が亡くなったけど、過ごした時間はそんなに無く、家族を捨てて新しい家族と過ごしていたので、そこまで涙は出なかった。


色んな事が変わった1年も後少し。

体調が悪くなり、子宮の病気も見つかり、まだまだこれから!

病に伏せている場合では無い!


来年は治療になると思うので、しっかり治して、子供達と頑張ります!



MERRY X'MASプレゼントサンタ








明けましておめでとうございます門松





実は調停、裁判を繰り返し、昨年離婚しました。


これまで言えなかった事や事実を、ここに綴ってみようと思います。

これを読み、病みそうだと思ったら、読むのを止めた方が良いかもしれません注意


ですが、こんな事が起きている。と、認識してもらえればと思います。



調停と裁判を繰り返し、4年と言う歳月を費やしました。

発端は、元夫の仕事が上手くいかず、酒を飲んで、子供達と私の実母の前で、馬乗りになり、私の首を締めた事でした。



その2ヶ月程前。
異変は起きていました。

毎日帰ってくると、お風呂の後に焼酎を作り飲み始める元夫。


子供達がワーワーギャーギャーしてるのが煩かったのか分かりませんが、元夫は突然足元にあった空気清浄機を思いっきり蹴りました。



???

ビックリしたと共に、初めて元夫へ「怖い」と言う恐怖心が生まれました。



しかしながら、子供達が保育園に入るタイミングで私も仕事をし始めていたので、それ所ではありませんでした。


以前は、子供達がまだ小さく、大変だった為に元夫を構ってる暇など無く、「クズ」と言われ、荷物をまとめて子供達を連れて、地元へ帰った事もありました。

そう言った酷いことを平気で人に言える人と言うことを、子供達が生まれてから気付きました。
私の見る目が無かったのでしょう。


元夫が難癖付けてくるのが、大体3ヶ月に1回でした。

クリスマスイブに、子供達を連れて家を出たこともありました。



私自身、家族が複雑な為に、実家を頼る事は出来ませんでした。


誰にも言えずに過ごしていました。


そんなある日、「こいつは何もしねぇ!」
と、子供達を見に来ていた私の実母へ怒鳴るように言いました。


どうやら仕事や仲間に言われたのか何なのか、他の若い奥さん方と比べた様でした。


前に伝えてありました。
そう言う奥さんが良ければ、そうして下さいと。

現にそうです。
私でなくて良いと言うことでは?と思ったからです。

ここで私は頭にきました。
休みになればお昼頃まで寝ていて、うるさいと言われた私は、慌てて子供達を連れて外へ出ていっていたからです。


元夫の頬に手がかすりました。
それに更に激怒し、
「俺に向かって!」


と良いながら馬乗りになった後、首を締めて来ました。


元夫の目は、普通の人の目ではありませんでした。



「死ぬかも」

と思い、涙が出ていました。


私の実母が、

「暴力は止めて━!!」

と大声で止めてくれ、正気に戻ったのか、何故か近くの義姉を電話で呼び、私がおかしくなったと伝えた様でした。


巧妙ですよね。

元夫は少年時代、拘留された事があり、知識があったようでした。


自分は悪くないと、仕向ける為でした。


義姉が帰ると、また動揺し、

「離婚だ!」

と叫びました。


その後に何か喋っていましたが、段々と落ち着いたのか、

「離婚は言い過ぎたが」


と都合良く話していました。


???


私は震えが止まらず、絶対に言わないとお互いに決めた、離婚の文字を口走った元夫に、疑問しかありませんでした。



私は「もう一緒には居られません。離婚は子供の事もあるので考えます。」


実母の提案もあり、元夫は実家へ、私達は実母の家へ行きました。



ここで私の失点です。



警察を呼ばなくてはならなかった事。

アザの写真を残しておかなかった事。


今思えば。ですが、当時は初めて暴力を振るわれ、体の震えと、強ばりしかありませんでした。




数日実母の家で過ごし、元夫は荷物をまとめ、実家へ出ていきました。





続く。