ジョバンニと私 | 恵比寿のネイルサロン『S-me NAIL(エスミ-ネイル)』のblog

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やっと
文学を作品にすることができました
心の琴線に触れること
これが大事だと思います





宮沢賢治の
『銀河鉄道の夜』

主人公のジョバンニは
父親が不在であることを憂いている


昨年、私は相棒犬のてつの死を覚悟して
その後の心の平安を求めて座禅に行きました


足が痺れて
煩悩を払うどころか
いつ終わるんだろう、なんて
ずっと考えていました

禅って何だろ?
座禅って何?
と興味が湧いて
(それまで興味はあったけど
本を読むほどではなかった)


東洋哲学に行き着きました



ところで


てつってどこからどこまでがてつなの?
心臓が動かなくなったらてつじゃないの?
残された身体はてつなの?
魂がてつなの?
何が魂なの?
抜け落ちた毛はてつなの?
毛がなくなってもてつなの?
どんどん顔が変わっていくけど
それもてつなの?

そもそもそんなこと考えてる
てつをてつと認識してる

私って?
この手が私?
この足も私?
足がなくなったら私じゃなくなる?
脳が私?
心の痛みを感じるのが私?
どこからどこまでが私?


そんなことを考えていると
仏教の空の哲学に辿り着きました


実際
死を乗り越えるにはとても良かった
悲しい時に
悲しいと感じる自分は
どこからどこまでが自分なのかとか
存在がなくなったてつは
どこからどこまでがてつなのかとか

考えていると悲しみが切り離せました
少なくとも
考えないより良かった


てつは認識されることでてつで
わたしはわたしを認識する意識の意識の意識...


あ、
この意識は
〜に非ず、でしか表現できないのか。


ここで
ジョバンニの
不在の存在である父が重なります


宮沢賢治は
自分が傾倒している法華経と
その批判の的である浄土真宗の父との間で
終生葛藤がありました

存在するけど
信念の中の法華経には不在の父

ジョバンニの
生きているけど
目の前にいない父

現実と死後の世界
現実と精神世界
存在と不在の狭間を
銀河鉄道は走っています
それを言葉にすると
とても限定的で
本質を失ってしまう
なぜなら言葉そのものが
意図的に区分するための道具でしかなく
本質の本当の共有は
想像でしか生まれない性質のものだからです


てつのことと
銀河鉄道のことが重なって


『よだかの星』
『やまなし』


その他も読み
宮沢賢治の作品に感動しました





銀河鉄道の夜