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天使なんかじゃない

ダウン症の64歳のおば。
このブログは私個人の吐き出し口なので不快に思う方もいらっしゃると思います。色々な考えがあるのも分かります。ダウン症の症状にも差があるのと、老化も相まってこの状態なのですべてのダウン症の方がこのような状態でない事だけが理解ください。


祖父母はおばにちゃんとした教育を受けさせて無かったようで本当に何も分かっていないようでした。ひらがなも数字も分からずいつもチラシを折って過ごしてました。

父にはもう1人健常者の姉がいます。
父とその姉、そして祖父母を見ていて幼いながらにこの人たちは少しおかしいなと感じていました。

書ききれないほどありますが、祖父母はあからさまに嫁いびりをしていました。少し買い物に行けば「またほっつき歩いて」と言われ、私の姉が生まれつき乱視で視力が良くないと分かると
「うちの家系でそんな子が産まれるわけがない」といったり、弟が保育園のころ熱を出したため母が仕事を午前休みを取ると「私を病院に送っていって」などと言っているのを見てきました。

祖父が偏食で毎日レバーの焼き鳥が食べたいと言って毎日母が買いに行ってました。それを買いに行ってるのにいつも家にいないと言われてることもありました。

うちの家系でそんな〜ってあなた達の娘は目が悪いなんてもんじゃない障害かかえてますけど?

病院に送ってけって、なんで今家にいるか説明したよね?3、4歳の体調崩した子を放って置けないから休んでいるんであって時間が余ってるわけじゃないんですよ?

そんなのが日常で少しでも逆鱗に触れないようにと母が毎日必死に働いているのを見て育ってきました。


同居を始めてどれくらいがたったか、母のストレスが溜まっているのが分かりました。その頃はストレスなんて言葉も分かってないのでなんとなく様子がおかしいな?ぐらいでしたが。

私が学校から帰るとまた祖母が母に用事を頼んでいるところでした。車で15分〜20分ほどかかる所への用事でした。そのときの母の様子が気になり「私もついていく!」と車に乗り込みました。

最初は普通だったんですが10分ほど走らせ長いトンネルの中で母が急に「あああぁぁーーー!」と叫びながらアクセルを前回に踏みました。

そのとき本当についていって良かったなと思いました。もしかしたら私が乗っていたから思いとどまったのかも知れません。本気で死ぬ気だったわけじゃないとは思いますがそれぐらいにストレスは溜まっていたんだと思います。

用事を済ませて家に着いたとき、母が車の中で私に「もし離婚したらどっちについていく?」と聞いてきました。私が「お母さん」と即答すると母は「ごめんね、なんでもない冗談だよ!」と言いましたが、耐えられなくなっていたんだなあと思います。

当時はここまではっきり分かってはなくて、私も大人になって今やっとあぁ、あのときはこうだったんだなと理解できるようになりました。