過去にfbにかいた文章です。


最近またマイブーム再燃してきましたので
こちらにも。

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つらつらと
どうでも良いことをかきます。

人に話すようなことでもないしな
と思っていたが、
話してみると意外と発見があったのと

まぁ少なくとも、過去のワタシに
よかったね、みたいな感じなので
そんなワタシのために
メモを野に放っておこう。


ここ数年、気力が少なめの時に、いかに過ごすかというのを、ええ塩梅を模索していて。
元気な時はええのよ、色々重なってずーんと来た時よ。

高校から大学まで、アロットオブ引きこもり
色々と疲れが重なると、内にこもる傾向あるんですが

あ、今は、引きこもりを飼ってる感じ。
うちの引きこもりは、うまい食べ物と散歩と昼寝が好きです。

ガチ引きこもりの時は
何もする気おこらず
寝る、食べる、排泄、布団にくるまる
しかしません

話は変わって、趣味の話になるのですが
以前は、趣味は?ときかれたりして
バイオリンです〜とか言っていたわけです。

だが、ガチ引きこもり時は
日常でバイオリンを弾く気力もない、
ケースをあける気力もない
むしろ呼吸しかしてない

けど、そんなこというと、会話終わるから

呼吸してます、よりは、会話続きやすいかなっていう、見栄と想いやり?が7対3、というのが"趣味バイオリン"の内訳。
(あ、想いやりというより、過度に心配されたくない、てやつかな)

しかし
趣味の定義を、余暇についつい、やりたくなる事としたらば、私の趣味は、バイオリンとはいえないのでは、、。

では、なんだろうか、、と考えて
わたし、趣味がないのかもしれない
と絶望的な気持ちになりました。

しかし、よくよくみてみると

どんなに疲れていても、
引きこもってても
謎に集中力を発揮しているものがありました。



毛抜きです。


そんなわけで
私の趣味は
毛抜き
という結論になりました。




もう少し話は続きます。
(えっ、まだ続くの?)


喫茶店で珈琲をのみながら
わたしの趣味って、毛抜きなのかぁ、
何だかなぁ
趣味バイオリン、と、趣味毛抜き
の差がえげつないわ、と思いながら

毛抜きといえども、馬鹿にしてはならないな、と気を取り直してよくよく考えてみたのですが

毛抜きって
小さいながらも、達成感!
を味わうことができるんだよね。

気力が低い絶好調な時にも
出来たぞ〜的な。

すごいぞ、毛抜き。

そして、毛抜きには、さまざまな工程があるのを発見出来ました。

①ひとつの部位を選ぶ。
色んなところに無駄毛は生えてきますね。
一度には出来ないので、今はここをやろう、と範囲を限定。すると、終わりがみえるので、達成感を得やすい。

② 長い毛は短くカット。
毛が長いままだと、ちがう毛を引っ張ったりして、イテ、となります。
どこから毛が生えているのか、流れ、向き、量などを把握しやすくするために、短くします。※部位により省略可。

③任意の一本を選ぶ。
周りの皮膚を伸ばして抜けやすくするなどもポイント。

④抜く。
根元からうまく抜けると嬉しい。
達成感が味わえます。

⑤  ③と④をひたすら繰り返す。


おお、意外と、色々やってるじゃないか。

この工程を抽象化して、
あらゆる日常の動きにあてはめていくと、
かなり黙々とあらゆることが出来るのではないか、という仮説をたててみました。

これを「毛抜き理論」と名付けましょう。
(ほんとなら毛抜き仮説なのか? けぬきりろん、のほうが、ひょろっとした音になるから、こちらを採用します。)

毛抜き理論とは。

気力少なめな時でも、日々の活動、身の回りの様々なことを行うことができるよう、毛抜きの視点から捉える試み。

ex)
部屋の片付け
とりあえず、
①目についた書類boxの飛び出たのきになる
②まず四角にそろえる
③ひとつ手に取る
④いるかいらないか、いらないのすてる
達成感!
みたいな。

毛抜き理論は、応用範囲がかなり広いな〜
(あほかー)


これは、気力が底辺で何も手につかないという時期に、そんな時にすらやっている繰り返し行動を
抽出、抽象化、からの、あらゆる事象に適用する、というもので、
いろいろ省エネになり
無理がなく日常を過ごせる感じです。

私にとっては、毛抜き理論だけど
他の人だと、毛抜きではなく○○理論、
などと応用、展開していけるかもしれない、と思いました。

ま、学生時代から常々思っていた、ゲームに対する集中を他に使いたい、というのは、
私は上手くいかなかったな。

これを上手いこと、こうしてやろう、という
しめしめ、取らぬ狸の、的な気持ちがあると、途端に、全あつこはちりぢりに散っていく、ということも分かってきました。打算は上手くいかないわ。

今までが、全あつこを集めてスクラム組んで、気合いでやってやるぞ、みたいな感じで
ブルドーザーのように推し進める方式をとっていて、元気な時はそれでいいんですけど
それだと、時速200kmのあとに、時速3cmとかいうことになりがち。

毛抜き理論だと、まず、全あつこを集めなくていいし、やる気も気合いもださなくていいよ、みたいな感じが
今の私にはバランスとれてよいのかな、と思いました。

気になった毛を淡々と抜く、感じで
色んなことを淡々とやる。


食べ物やら、身体の使い方やら、色々見直しをしてきて、だいぶうごきやすくなった。

これはいいな!から
これやらないとダメだぞ
と見張り部門が出来る感じになり

気力ない時は色々出来なくなっちゃう
そんな自分に辟易。

正解探し思考の癖が強いんだな、と思います。

そこにきて、
毛抜き的にチョイスにしたところ
今のメンタルとボディの感じで
まぁ別にほっといてもいいけど
気になるなら、抜いたら?
くらいの気持ちになるような。


何も出来ないよう、と言って
へなへなしてる私の耳元で
「ヒントは毛抜き...」
とささやきたい気持ち。


まぁ、しばらくしたら
毛抜き理論ですか?
あ、もうやってないです、とか言いかねない。

こんなに毛抜きについて語ったけど
今は気が向いた時に剃っている。
(抜いてないんかい)

抜きたい時は抜けば良い。

まぁ手がかかる奴らですわ。
永久脱毛したい。

写真は、文章と同様に映えない感じでいこう。
毛抜き理論によってできたパウンドケーキと、某ジンギスカン店でいただいたタオルです。
ジンギスカン美味しかったなぁ。




もうまとまりがなくなってきた。

では、ごきげんよう。
.......

 
最近、また毛抜き理論がアツいです。